中川及びその前身である庄内川の歴史は、栄枯盛衰、そしてもう一度「盛」である。元は渡良瀬川の中流域で、下流は現在の江戸川であり、利根川の本流になったこともある。だが、渡良瀬川からも利根川からも締め切られて落ちぶれて庄内「古」川となり(流頭を締め切られた川がどんなにみじめかは、Vol.6の葛西用水で見たところである。垳川に突入した後、南に向かう葛西第一水門を閉め切られた葛西用水は見るも無惨な水溜まりに化した)、さらに、江戸川下流も新たに開削された水路(現在の江戸川上流)の方を自分の上流と見るようになって、庄内古川はさぞや口惜しい思いをしたと思うのだ。ところがでござる。その後、江戸川下流との流路が埋め立てられて関係が切れ、新たに古利根川方面に開削が進んで庄内古川はそっちとつながった。するとどうだ、後からやってきた庄内古川が本流づらをして中川を名乗り(中川は、もともと古利根川の最下流の名称である)、つながった古利根川も、そして古利根川に合流していた新方川や元荒川もみな自分の支流にしてしまった。こうして、かつての庄内古川である現在の中川は、新天地で最終本流となり、かつての栄華を取り戻したのである。
しかし、中川(庄内古川)が支流とした古利根川も元荒川も由緒ある大河である。これを飲み込む(支流にする)って「小が大を飲む」という感じではないか?是非、飲み込む現場を見たい。そして、かつて江戸川に通じていたが埋め立てられて消滅した旧流路(両川のランデブーの場)の名残りが残っているのなら見てみたい。こうしたモチベーションで実行したのがVol.7の旅、すなわち、中川から江戸川への周遊旅である。
最初に、今回の踏破図を載せておこう。赤い点線が今回歩いたルートである。
では、見ていくこととする。スタートは武蔵野線の吉川駅である。駅を出てちょっと歩くとすぐ中川の土手で、これを上ると目の前に広がるのが中川の流れである。
ここまで乗ってきた武蔵野線の線路はすぐそばである。
この土手の道を北に向かって15分くらい歩くと、早速、元荒川との合流点が現れた。
手前を左右に流れるのが中川であり、奥から流入して来たのが元荒川である。元荒川は、Vol.5で、葛西用水が分流するまでその土手を歩いた流れである。あのまま元荒川に沿って歩いていれば、ここに到達していたわけだ。
そこから更に少し歩くと、次の合流現場、すなわち、新方川との合流現場が現れた。
手前を左右に流れるのが中川であり、奥から流入して来たのが新方川である。新方川は、Vol.5で葛西用水がその下をくぐり、私は上の橋を渡って超えた川である。あのとき新方川に沿って歩いていれば、ここに到達していたわけだ。
ここからは、少しというわけにはいかない。随分歩いた。すると、あれ、変だな、中川はまだまだ北進するはずなのに先が左(西)にカーブしている。
と思ったら、中川がカーブしているのではなかった。中川に合流せんとする古利根川の流れであった。古利根川がでかいものだから、中川の続きのように見えたのである。古利根川はVol.5で古利根堰で見て以来である。あのときもでかかった。そんな古利根川を中川が飲み込もうというのだから、まさに「小が大を飲む」である。その現場(合流点)がここである。
手前を左右に流れるのが中川であり、奥から流入して来たのが古利根川である。この先の中川(写真の右側に伸びている)は、開削された流路であり、急にこじんまりした感じになる。
やはり、これまでの威容は古利根川によるところが大きかったのだろう。古利根川の立場に立てば、掘り進んできて合流した新参者がいきなり偉そうな顔をしやがって、という感じだろうか。羽柴秀吉を苦々しく思う柴田勝家の気持ちだろうか。
開削した流路だけあって、まーっすぐである。
周りの景色はいよいよ長閑になってきた。ふと、東方面を見ると筑波山が見えた。
最近、ご無沙汰だね、早く登りにおいで、と言われているようである。はいはい、行きますとも。
どのくらい歩いただろうか。まっすぐだった流路が左にカーブし始めた。
そろそろ江戸川への旧流路があった地点である。旧流路の水流は完全に失われたが、左岸の土手だけが残っているという情報を予め得ている。あった!ここだ。こここそが、中川と江戸川の幻のランデブー・ポイントである。
これは上流から撮った写真であり、右に中川、中央左寄りが中川の土手、そして土手中央から左上に伸びている道路が旧流路の土手の跡である。土手だけあって中川の土手と高さが同じである。
これでこの日の予定は終了。さて、この後、どうしよう。もと来た道を引き返すのも芸がないし、むやみに歩いてきた相当な距離を考えるとぞっとする。よし、この旧流路沿いの土手を伝って江戸川に出よう。江戸川を渡って千葉県に入れば東武野田線(現在、カタカナの長い路線名がついているらしいが、あえて昔の名前を使わせてもらう)の野田市駅にたどりつけそうである。ということで、土手を進む。右側は低地で農地になっている。ここを庄内古川が流れていたと思うと感無量である。
すると、江戸川の土手が現れた(ブログではすぐ次のシーンになるが、実際はかなり歩いている)。
さすがにでかい。この後、土手の上に出て、野田橋を渡って江戸川を超えた。大河に架かる橋なのに、歩道が狭くてフェンスが低くて相当怖い。江戸川に架かる橋はこういう橋が多い。渡ってる最中はなるべく川を見たくなかったが、私には皆さんに報告する義務があるので(勝手に思ってるだけ)、がんばって撮った。
下流の様子である。
橋を渡ると野田市内である。かなりアップダウンがある。
台地と谷が入り組んでいるのだろうか。調べてみたいところである。そうこうするうちに野田市駅に到着。おろ!駅舎がまったく新しくなっている。
新駅舎の使用が始まったのは今年に入ってからだというから、できたてのほやほやのところに出くわしたのであった。街全体が醤油の香りにつつまれているのは昔のままである。なぜ、昔を知ってるかというと、かつて私はサイゼリヤの株を持っていて、株主総会はいつも野田市で開催されてたから毎年通っていたのである。当時、なぜ吉川に本社のあるサイゼリヤが株主総会を野田市で開くんだろ?と疑問だったが今こそ分かった。埼玉県吉川町と千葉県野田市はお隣同士であった。因みに、その昔、株主総会は本店所在地又は隣接地で開催しなければならないとの規定が旧商法にあった。今はそんな規定はなく、世界中どこで開いてもよいことになってるが、仮にその規定が今もあったとしても、サイゼリヤは野田市で株主総会を開くことができたわけである。歩くといろいろなことが分かるものである。この日も3時間はゆうに歩いている。
で、東武野田線に乗り、柏に向かうと、そうそう、途中、運河があったっけ。今ももちろんある。
写真は車窓から撮った。この運河は利根運河と言って、利根川と江戸川を結んでいるという。もともと江戸川は利根川の支流であり、水運的にはつながっていたのだが、更なるショートカットとして掘られたという。
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