ジョルディ・サバールが指揮したコンセール・デ・ナシオンのベートーヴェン交響曲第7番を動画で視聴。この団体はもともと古楽を演奏する団体だったが、古楽の演奏家のあるあるで、古典派にまで食指を伸ばしてきたものである。
古楽の演奏家のベートーヴェン演奏はピリオド演奏、すなわち、ベートーヴェン当時の楽器、編成、奏法に即したものである。一番の特徴は弦楽器の弾き方だろうか。ロマン派以降のビブラートを付けた「ジャーン」というテヌートは、たたき切るような「ザッ」に置き換えられる。その他、テンポは速めで思わせぶりなフェルマータは排除。あと、ピッチも低めである。
こうした演奏は、フルトヴェングラーのベートーヴェンを至上のものとして拝んできた人々にとっては異端である。カラヤンの悪口を書いて蔵が建ったんじゃないかと思われる某音楽評論家(故人)も、こうした「新人類」に比べればカラヤンは「旧人類」だったと言って郷愁の念を表していたことは前に書いた。
このように評論家の言うことを公平な真実だとして鵜呑みにしてはいけない。彼らは自分の嗜好と相容れないものを「悪」として切り捨てるのである。例えば、かの有名なハンスリックはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を「悪臭のする音楽」と評したし(これを意訳して「鼻持ちならない音楽」と表すのが相当かどうかは知らない)、ビートルズがアメリカに上陸した際の新聞の批評は「メロディもリズムもダメ」であった(メロディもリズムもダメだったら音楽として成り立たないと思うのだが、人々が熱狂したのはなぜだろうか。当時、ジュリアード音楽院に通っていて普段はクラシックしか聞かない学生もビートルズは好きと言ってチケット争奪の列に並ぶ映像を観た)。
たしかに、ピリオド演奏は、ときとして、学究的で、客観性が過ぎて、感動とは縁遠いことがある。では、ジョルディ・サバール&コンセール・デ・ナシオンの演奏がどうだったかというと、めっちゃ感動的な大名演であった。なにより、プレイヤーが実に楽しそうでのりのりある。どのくらいのりのりだったかというと、ジョン・ウィリアムズの指揮でスターウォーズの帝国のマーチ(ダースベイダーのマーチ)を演奏するウィーン・フィルやベルリン・フィルのブラス・セクションほどにのりのりだった。「古楽=しかめっつら」という方程式が常に成り立つわけではないのである。そりゃそうだ、昔の人だって喜ぶときは喜んで生殖にもはげんでいたのだから。
あと、第二ヴァイオリンがガシガシ刻む音が鮮明に聞こえたことが印象的だった。昔風に第二ヴァイオリンを舞台の上手の客席側に配置したことや、管楽器を増強せずにスコア通りの数に抑えたこと等が功を奏したのだろう。
因みに、古楽団体が古典派に食指を伸ばすのを「あるある」と言ったが、走りはアーノンクールあたりだろうか。ある日、CDショップの店内にとんでもなく新鮮で刺激的なベートーヴェンの2番がかかっていて、店員に聴いたらアーノンクールだという。すぐさま交響曲全曲セットを買いこんだものである(当時のことであるから、「ポチった」ではない)。
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