テレビCMで、手汗をかく人はお医者に行こう、と言っていた。だったら、私は、グルベローヴァを初めて聴いたとき、お医者に行かなければいけなかったはずである。そのときの話をしよう。
話は遡る。グルベローヴァは、空前絶後と言われたコロラトゥーラ歌手(高-い音にたーくさん装飾を付けてキラキラ歌うソプラノ)である。私は、最初にFMで聴いて知った。びっくりぽんどころじゃなくたまげた(平仮名ばかりの文)。次に、「ナクソス島のアリアドネ」のレコードを聴いた。こんな歌を人間が歌えるのかと思った。是非、生で聴いて確かめてみたい。だが、グルベローヴァは既にウィーン国立歌劇場と共に初来日を済ませていて、まさに「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタを歌って、会場にいた老若男女にあんぐりと開いた口を閉じるのを忘れさせたという。だが、私は、その時分、就活の真っ最中で聴きにいけなかった。その後、なかなか来てくれない。
そのうち、悪い噂が聞こえてきた。グルベローヴァが「夜の女王」を歌ったビデオの解説に「花の命は短い(コロラトゥーラ歌手は衰えるのが早い)。グルベローヴァも例外ではない。だが、安心されよ。このビデオでは全盛期の声が聴ける」と書いてあった。まるで、グルベローヴァが衰えたと言いたげである。
そうこうするうち、ようやく再来日が決まった。初来日から7年経っていた。単身での来日で、ソロ・コンサートを開くのであった。もちろんチケットを買った私は、しかし、半分心配しながら東京文化会館に向かった。「衰え」が現実だったらどうしよう、という心配である。
そして、いよいよコンサートが始まった。普通、オペラ歌手のコンサートは、一曲目にオペラの序曲をオーケストラだけで演奏して(露払い)、会場が暖まった頃に歌手が登場する。だが、グルベローヴァは、いきなり一曲目から登場した。曲は、ロッシーニのオペラ「セビリャの理髪師」の中のロジーナのアリア「今の歌声は」である。チャラーン、チャラーンとオケがイントロを弾いて、そしていよいよ歌。期待と不安が入り乱れる中、グルベローヴァは、そろ~っと歌いだした。
コロラトゥーラとは思えないような奥の深い艶っぽい声である。こちらは固唾を呑んで聴いている。すると、いきなりガツーンと来た。
まるで、そろ~と走り出したジェットコースターがいきなり坂を下りだした感じである。その後はもう大変。なにこれ、なにこれ、と思っているうちにこんな感じで、
イントロ部分が終わった。もともとの楽譜にはこんな装飾はない。これは記憶に基づく再現楽譜である。まさに上になり下になりのジェットコースターである。しかも、グルベローヴァ様は、高いレをピアニッシモでお出しになる(それどころか、この後、もっと高いファさえもピアニッシモでお出しになった)。きっと、私はここまで呼吸をしてなかったに違いない。ようやく一息ついたときには手汗でぐっしょりであった。そして、全曲が終わって拍手をしようとしたら、汗が糊になって合わさった手が離れない。だから私の拍手はパチパチではなくベットンべットンであった。しかもこれはまだ第1曲である。この夜、何度も何度もベットンベットンの拍手をした私であった。
「花の命は短い」なんていったい誰が言った?衰えてないどころの話ではない。超絶技巧はレコードで聴くそのまま。それに加えて圧倒的な声量があった。こんなコロラトゥーラがどこにいる?
「花の命は短い」は一般論としては正しいが、グルベローヴァにはあてはまらない、ということである。しかも、この後、グルベローヴァは60を過ぎるまで美声と超絶技巧を維持した。この点においても、空前絶後であった。
私は、可能な限り、グルベローヴァが日本に来たときは全日程を聴きにいった。終演後、グルベローヴァは舞台袖に集まったファンと握手をしてくることを覚えた私らファンは、必ず、舞台袖に集結して、親鳥にエサをねだるヒナのように手を差し出したものである。その際、手汗をかいていては失礼だから、ちゃんとハンカチで拭いてから手を差し出したはずである。
さらに、私は、これまでの人生で一度だけサイン会で並んだことがあり、もちろんそれはグルベローヴァのサイン会であった。今はなき六本木のWAVE(レコード店)だった。サインをしてもらったら握手を交わすのだが、そのときも手汗は拭き取っていたはずである。
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