パスモとクレジットカード数枚の入ったパスケース(別名=定期入れ、カードホルダー等々)を紛失した。普段はストラップで首からかけているから落とすはずがないのだが、飲み会ではずしたときが魔の時間帯。これまでも、店を出た後にお店の人が追いかけてきて「これ、忘れてますよ」といったことが何度かあったから危ないと思っていた。このたび、飲み会に0次会から2次会まで参加して、駅の改札でないことに気がついた。お店に確認したがない。だったら直ちにとるべき途は一つ。何度か経験しているから、やることは分かっている。カードを止めることである。
てなわけで、カードを止め、交番に紛失届を出した。
クレジットカードの使用停止はネット又は電話でただちにできるし、不正使用があっても補償される。幸い、不正使用の形跡はなかった。不安なのはパスモである。カードのストップと再発行手続は最寄りの駅に行かなければならない。タイムラグが生じる。その間、不正使用されても補償はない。前回パスモをなくしたときは数千円分使われていた。その前に財布を落としたときは全部戻ってきてさすが日本はまれに見る善人の国だと思ったが善人ばかりではないことを思い知った。今回は幸いに不正使用はなかった。実損は、パスモの再発行に必要な1020円(手数料520年、デポジット500円)のみである。
再発行されたパスモの受け取りは手続日の翌日以降であるから、手続日は券売機で乗車券を買った。久しぶりに路線図を見て金額を確認して券売機に現金を投入した。結構な値段だったんだなと再認識した。だから「涙の」乗車券なのではない。「涙」は紛失についてであり、それがために乗車券を買う羽目になったから「涙の乗車券」なのである。乗車券購入自体は頭の体操になって悪くない、と思った(が、パスモが世に出る前は降車駅で購入した乗車券をどのポケットにいれたんだっけと探しまくったことを思い出す羽目にはなった)。なお、ビートルズの曲の「涙の乗車券」の原題は「Ticket to Ride」、すなわち「乗車券」であるが、そこに「涙の」を付けるあたり、洋画の邦題作りにも共通した「お節介」を感じるワタクシである(確かに、彼女が乗車券を買ってどこかに行ってしまう悲しい曲ではある。ただし、調性は長調である。すなわち、泣き笑い的な歌である)。
これまで、落としたときに備えて、ポーチを腰に巻いたり、パスケースを首からぶら下げたりしたが、それでも落としてしまった。今後はどうしたらよいだろう。パスポートを入れるセキュリティポーチのようなモノを日頃から体に巻こうかしらん。だが、飲み会で鬱陶しいといって体からはずすことが目に見えている。だったら、落とすことを前提として、いっそうの危険分担(容れ物を分ける)を図ろうか、それとも、いっそ現金決済のみにしようかしらん。等々の思案を結構楽しみながらやっている一難去ったワタクシである。
因みに、かつてすべてをぶちこんた財布を落としたときは出てきたと言ったが、それはこういう経緯である。カードを全部止めて、最寄りの警察署に行って紛失届を提出したら、係員が奥の方からなにやら見覚えのある物体を乗せたお盆を持ってきた。私は、一瞬、ヨハナーンの首を乗せた銀の盆のことを思った(サロメ)。その物体は、ヨハナーンの首ではなく、私の財布であった。ということである。
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