黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

ドーリア旋法の呪縛(もろ天、ヨハネ受難曲)

2024-11-24 09:26:48 | 音楽

シュッツのもろ天(もろもろの天は神の栄光を語る(Die Himmel erzählen die Ehre Gottes))の話の続きである。その出だしはこうなのだが、

調号が♯一つだから階名で読むと出だしのソプラノ2は「レーファーミミレレ……」となる(今回に限っては、ABCは絶対音を、ドレミファは階名を表す)。だが、それだと音をとりにくい、どうみてもこれは、Aを主音とする短調、すなわち、イ短調ではないか?調号の♯をとっぱらって「ラードーシシララ」とした方が歌いやすい、と言う人がいる。他方「レーファー……」で全然問題ない、と言う人もいて、そういう人は古楽から音楽に入った人である。

そう、これは、教会旋法(ふるーーーい音階)の一つであるドーリア旋法(の名残り)で書かれた曲なのである。ドーリア旋法は第一旋法とも言われていて、レを起点とする「レミファソラシ」の音階である。第二音(ミ)と第三音(ファ)の間が狭いから現在のニ短調っぽいが第五音(ラ)と第六音(シ)の間が広いところがニ短調と違うところである。つまり、シの♭のとれたニ短調って感じである(逆に、ドーリア旋法のシに♭を付けるとニ短調になる)。短調と長調の間みたいな感じである。この「レ」は絶対音を意味しないから、いろんな絶対音を起点とするドーリア調が可能である。例えば、Cを起点とすると、CD♭EFGAのドーリア調となる。Aに♭を付ければ今日のハ短調になる。

だから「もろ天」の出だし(レーファーミミレレ)はレを主音としたドーリア旋法である。そのため短調ぽいが、ラとシの間は広くて(階名のシに相当する絶対音Fに♯が付いている。「♯が付く」と「♭をとる」は同義である)、そこが短調ぽくないところで……え?三小節目のソプラノ1のシ(F)の♯がとれている!? この♯のおかげでドーリア旋法になってるのにとれちゃったらドーリア旋法じゃないじゃん。これじゃ現代の短調と同じじゃん。なぜだ?(分かっているのにびっくりした風を装う私。何度もリハをするから実際は驚いてないのに驚いたふりをするNHKの出演者のよう)

実は、シュッツの時代は教会旋法の時代から500年経っていて、現代の長調短調に近い感覚が生まれている。実際、シュッツの100年後のバッハになると、「管弦楽組曲第2番ロ短調」と言うようにはっきり長調短調が市民権が得ている。だから、第6音の♯がとれる(=♭が付く)ことがあるのである。それでも、ときどきはドーリア旋法を思い出す。例えば、「もろ天」の少し行って全合唱になるところ、

ソプラノ1のシ(F)の♯が復活している。だが、二小節行くとまたとれる。こんな風に、楽譜上はドーリア旋法を採用しながらときどきドーリア組から足を洗おうとふらふらしているのがシュッツであり「もろ天」なのである。

ところで、完全に長調短調の世界になったはずのバッハであるが、ヨハネ受難曲の終曲の一つ前の合唱曲は明らかにCを主音とする短調(ハ短調)でありながら、その楽譜(冒頭)はこうなっている。

ハ短調なら調号の♭が三つのはずが二つしかない(Aの♭がない)。階名で読むと「ファレラー」であり、レを主音とするドーリア旋法である。だが、階名のシ(絶対音のA)にはことごとく臨時記号で♭が付いている。だったら調号からして♭を三つにして(Aに♭を付けて)、正直に「ハ短調です」と言えばいいと思うのだが、よほど、ドーリア旋法の呪縛に縛られているのだろう。バッハのコラールはこのパターンだらけである。

因みに、イングランド民謡のグリーンスリーブスはドーリア旋法ぽいと言われている。

なるほど、「ラーシラ」の「シ」に♭が付いてない。なお、「スリーブス」の「スリーブ」は「ノースリーブ」の「スリーブ」、すなわち「袖」の意味だという。

ドーリア旋法をドイツ語で言うと「ドーリッシャー・モードゥス」、英語で言うと「ドリアン・モード」。ときどき英語風にドーリア旋法を「ドリアン」と言う人がいるが、臭いの強烈な果物のドリアンとごっちゃになってうまくないと思う(果物のドリアンは食べたらうまいのだろうか)。

タイトルを「ドーリア旋法の呪縛」としたが、昨日、「もろ天」について書いたらドーリア旋法のことも書かなければいけないという呪縛に私はとりつかれて、それが悪夢となって夜中に何度も目が覚めた。理由は分からない。とにかく、これで今夜はよく眠れそうである。

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もろ天(Die Himmel。シュッツの曲から)

2024-11-23 17:54:20 | 言葉

とり天とずる天の話をした流れで「もろ天」の話をすることになった。「もろ天」とは、シュッツやバッハが音を付けている旧約聖書の詩編19「もろもろの天は神の栄光を語り継ぐ」の省略形である(多分「もろ天」などと言っているのは私だけである)。もともとはヘブライ語だが、シュッツやバッハの曲の歌詞のドイツ語でしか知らない。それは「Die Himmel erzählen die Ehre Gottes」である。以下は、このドイツ語歌詞についての私の誤解の歴史である。無知の告白であるが、ブログのためであれば、恥を恥と思わない私である。

【名詞の性】私は、当初、「天」を表す「Himmel」を女性名詞だと思っていた。「Die Himmel」の「die」を女性名詞の定冠詞だと思ったのである。言い訳をすると、ドイツ語を習うとき、名詞は冠詞付で覚えなさいと言われる。男性名詞なら「デア○○」、中性名詞なら「ダス○○」、そして女性名詞は「ディー○○」と言った具合である。そんななか、この曲をいつも「ディー・ヒンメル」と呼んでいたものだから、「ヒンメルは女性名詞」だと思ってしまったのである。だが、ドイツ語の素養があればそんな誤解はしなかった。なぜなら、「Die Himmel」に続く動詞「erzählen」(語る)の語尾の「en」は主語が複数であることを表している。すなわち、「Himmel」は単複同形であり、「Die」は女性名詞の定冠詞ではなく複数名詞の定冠詞だったのである。このことをしっかり理解できていれば「Himmel」が女性名詞であるなどという早とちりをせず、しっかり辞書で確認して、「デア・ヒンメル」、すなわち男性名詞であることを認識したはずである。ドイツ語をきっちりやる前にこの歌を歌ったことによる悲劇(喜劇)でもある。さらに、ドイツ語の素養がもっとついていれば「Himmel」の「mel」はいかにも男性名詞っぽいと感じたはずである。

【複数の天】そうか、「天」が複数であることを表すための「もろもろ」なのか。たしかに、普通、日本語で複数を表そうと思ったら「達」を付けたりするが、「天達」(てんたち)ではいかにもしまりがない。これを「あまたつ」と読むと、朝の番組で何十年も天気予報をされている気象予報士さんになる。
ちょっと脱線するが、「お友達」が複数の場合は「お友達達」になるのだろうか。いやいや、そもそも日本語の名詞は単複同形であった。お友達が一人でも100人でも「お友達」だと今書いてて思った。因みに「友達100人できるかな」って童謡があるが良くないと思う。友達が100人いなければいけないみたいな印象を与えかねない。友達なんかいなくても生きていけると教えた方がずっとタメになる(と私は思う)。

諸外国語では「Die Himmel」をどう表現しているかというと、英語では複数形の「s」を付けて「the heavens」。なるほど。それから、中国語では「諸天」。もろ「もろもろの天」である。

問題は、「天」が複数あるとして、そのイメージである。「天」は一個だと思っていたが、あえて複数というのなら、私は、それを「東の天」「西の天」と言った具合に横の連なるイメージを持っていた。「足立区の天」とお金持ちの棲息地である「世田谷の天」と言った具合である。

こうした天達(てんたち)が、横に向かって神様の栄光を語る、というイメージである。

だが、仏教の天は、上下にいくつもあるらしい(光瀬龍原作を基に萩尾望都が書いた「百億の昼と千億の夜」にそんなイメージ図があったと思う)。すると、こんな感じである。

果たして、横なのか、上下なのか。と思案しているところに、鍵となるかも知れない情報がもたらされた。アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)には「7つの天国」という概念があるという。これは、天使の住む階層を表すという。「階層」と言うと、上下っぽいなー、との浅知恵を働かせるワタクシである(そもそも、そういう三次元的なイメージでは計り知れないモノなのかもしれない)。

【die Feste】「もろもろの天」については分かった(分からないということが分かった)。誤解はまだあった(誤解は続くよどこまでも)。続く歌詞の「Und die Feste verkündiget seiner Hände Werk」(die Festeは御手の業を告げる)についてである。私は、当初、「die Feste」は「大地」だと思っていた。と言うのも、「fest」は「硬い」という形容詞で、それが名詞化して「die Feste」になったものだから、これは硬いモノに違いない。すると大地だ、と思ったわけ。ミサの通常文の「空には栄光、地上には平和」にも影響されただろう。ところが、御手の業を告げるのは「大空」だった。昔の人は、天空をドームのように考えていた。われわれが住む大地がすっぽりと東京ドームのようなドームに覆われているイメージである。ドームだから硬いのである。硬いからアトラスは汗水垂らしてこれをかついているのだろう。

 

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唐揚げと天ぷら(種々の○○天)

2024-11-23 09:02:26 | 料理

在りし日の私の夕飯は、鶏の唐揚げとレンコンの天ぷらだった。

物価高のせいでいただく肉が完全に鶏にシフトしたため、ほぼ毎夕食、鶏料理を作っている。そのほとんどは唐揚げである。

唐揚げと天ぷらの違い。「唐揚げ」=粉をまぶす程度に付けて揚げる。「天ぷら」=衣をつけて揚げる……と言うのだが、唐揚げのつもりで、下味用の酒+醤油を「つゆだく」にし、小麦粉の量を多めにすると、半分天ぷらっぽくなる(唐揚げと天ぷらの雑種)。写真の唐揚げの中で妙に白っぽいヤツがそれである。

この日のレンコンは、4個くらい入って99円だったものが更に半額になったものである。カビがはえてるくらいは覚悟したが、一見、まともである。お買い得であった。

天ぷらの衣は、粉に卵を通すそうだが、わが家ではそんな贅沢は許されないから、水のみである。なお、「天ぷら粉」にはもともと卵が原材料として入っているそうだ。なら、こっちを使った方が経済的(かつ美味しい)だろうか。

唐揚げにしろ天ぷらにしろ油を大量に使うが、残ったヤツは廃油缶に入れて何度も再利用している。この間、その廃油缶を猫がひっくり返して床にぶちまけ、それを猫に舐められたので、対策として、廃油缶をシンクに置くことにした。

これは名案である(「明暗」は漱石の未完の遺作である)。シンクには普段すのこをかぶせているから猫は手をだせないし、廃油を注ぐときにこぼれてもシンクだから問題ない。

「おーいごはんだよ」コーナーで、料理研究家が、材料としてトリ以外に何がいいか聞かれて「カモ」と言ったら「カモはトリだ」と突っ込まれていた。「トリ」を「鳥」と解せば突っ込みは妥当だが、「鶏」と解したならばカモは鶏ではないから突っ込みは的外れである。

家庭で鶏を揚げるときは専ら唐揚げで、天ぷらにしないのはなぜだろう……と思ったが、それは私の思い込みで、世の中には「とり天」と言って、鶏の天ぷらも普通にあるようだ。そもそも、私が作った「鶏の唐揚げと天ぷらの雑種」だって「とり天」に近い代物なのかもしれない。

「ずる天」は、「ずる」の天ぷらではなく、山岸凉子作の名作マンガ「日出処の天子」の略称である。

同様に、「もろ天」は、「もろ」の天ぷらではなく、ハインリヒ・シュッツ作曲の宗教曲「もろもろの天は神の栄光を語り」の略称である(多分、全世界で私だけが使用している略称である)。と書いた以上は、「もろ天」についても書かなければなるまいが、それは回を改めて。

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ディーコイ(大谷選手MVP獲得)

2024-11-22 10:03:22 | スポーツ

大谷翔平選手がMVPを獲得。何かと差別が問題となるアメリカだけれど、国籍・人種を問わず正当な評価をしたところは、さすが、憲法に人権条項を入れた世界で最古の国だけのことはある(腐ってもアメリカ。かつて国連の会議で米中の議論になったとき、中国代表が「4000年の歴史」を持ち出したのに対し、アメリカのパウェルさんが「世界で最古の民主国家から来た」と言い返したのが印象的だった)。

翻って自国を見るに、思い出すのは江川卓投手が沢村賞を獲れなかったときのこと。成績的には文句はないのに、投票した記者達が江川選手が嫌いなものだから「人格」とか言うワケのわからない基準を持ち出して選出しなかった。人の人格をとやかく言うって自分が人格者じゃなければできないことだと思うのだが。

大谷選手と奥さんの真美子さんがツーショットで並んでいると普通の日本人カップルのように見えるが、実際は、平均的な日本人カップルと比べて頭二つ(三つ?)抜けている。俳優さんも、テレビ画面では普通に見えてもトーク番組で見ると、わ、こんなに大きいの!?と思うことが多い。ってことは、周りの俳優さんもみんな大きいってことだね。大昔、♪おーきい(ソーソミ)、ことはいーことだ(ソラソミミーレドミ)ってCMがあったっけ。恐竜もどんどん巨大化していったし(巨大隕石が衝突しなければ滅びることはなかった?)

大谷選手がワールドシリーズで肩を怪我しても出場し続けられたのは、監督から必要だと言われたことが大きかったと本人が言っていた。大谷さんほどの人でも、周囲の期待がモチベーションに影響するのか。そういうものでしょう。激励は大事。逆もまたしかり。「いない方がいい」と言われたらそりゃどこにも行きませんよねー。

インタビューと言えば、感心したのがダルビッシュ有投手。改善点を見つけ、より良い選手になれるよう努力すると仰った。38歳でもう十分「よい選手」だと思うんだけど、さらに改善点を見つけようとする向上心は見上げたもの。やっぱり、大成する人は心持ちが違う。ダルビッシュさんって、高校からプロに行ったときはやんちゃなイメージだったんだけどね。因みに、当時、どこかの外国に日本チームが遠征したとき、現地のファンがダルビッシュにキャーキャー言ってて、イケメンは世界共通なんだと思ったもの。

因みに、大谷家の飼い犬のデコピンは、アメリカでデコイと呼ばれてると聞いたけど、アメリカのテレビのキャスターは「ディーコイ」と発音してた。なるほど、「de」だから「ディー」か、と納得した次第です。

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川の成り立ちVol.6葛西用水路(下巻)「都内編」(公開版)

2024-11-21 16:57:38 | 地理

【これまでのおさらい】利根川のほとりで生を受けた葛西用水路は、途中から古利根川と水路を共用したが古利根堰で袂を分かち、逆川と水路を共用し、新方川と元荒川をくぐってから逆川とも袂を分かち、独立して一路東京都足立区を目指して南下したのであった。

【垳川に合流】埼玉県内で南下を続けた葛西用水は、いよいよ東京都に突入する直前まで来た。正面にあるのは埼玉県と東京都の境を東西に流れる垳川である。

合流を垳川の側から見たのが次の写真。手前で左右に流れる垳川に右奥から侵入する流れが葛西用水路である。

葛西用水路は、他の河川にぶちあたるとその川底の下をくぐって通り抜けてきたが、垳川に対しては直接水を交えている。垳川は、大昔は綾瀬川の本流で中川に注いでいたが、現在では綾瀬川からも中川からも締め切られているから、交叉する葛西用水からもっぱら水の供給を受けている。

【葛西用水親水水路】垳川を横切らんとする葛西用水路の進行方向先にあるのが葛西第一水門。

この水門を通って葛西用水は南下すると思いきや、この水門は常時閉鎖されている。地図上では葛西用水路は続いているが、水の連絡はなく、この先は、葛西用水親水水路として、足立区民の憩いの場となっている。すなわち、用水としての使命はここまでである。だから、水門の南側に水はあることはあるが、

もはや水溜まりである。いっとき、古利根川と流れを共にしていたときはあそこまで大河であった水流がここまで落ちぶれるとは。人生もはかないが、川の生涯もはかない。

それでも、しばらく南下すると、いくぶん川幅が広くなり、親水水路らしくなる。

そのうち、おなじみの「潜る孔」が現れた。

今回潜るのは花畑運河である。

花畑運河は、垳川と同様、綾瀬川と中川を結ぶ水流である。上流から断ち切られた葛西用水親水水路は、この花畑運河から水の供給を受けている。

花畑運河をもぐった先は、暗渠と開渠が交互するが、開渠の部分は親水水路としての整備がよくなされていて、春は桜並木が見事だし、今の時期は紅葉がきれいである。

途中で、環七をくぐった後も、なお親水水路が続く。

なお、環七の手前までは、葛西用水親水水路に並行する通りが「葛西用水桜通り」であったが、環七を過ぎてからは、葛西用水桜通りは葛西用水親水水路の一本西側の道である。

葛西用水親水水路をさらに進むと右手に池が現れた。

東和親水公園である。ここにはカメがいるという噂だったが、池を占拠してたのはサギとカモだった。

さらに進むと(この間、ずっと南下してきている)、すっかりお馴染みになった「潜る孔」が現れ、水路は暗渠となった。

すると、巨大な水車(亀有大水車)が現れた。

傍らにポンプがあったから、これで汲み上げた水で回るのだろうか。この時期、水はなく、水車もただのオブジェであった。

さらに進むと、とうとう古隅田川との合流地点に到達した。

標識があるが、葛西用水親水水路は暗渠のままだし、古隅田川もここら辺は暗渠なので、合流は人の目の及ばない地下でひっそりとなされている。

昔は、葛西用水路は、ここから曳舟川となって、お花茶屋辺りまで南進した後、綾瀬川と合流するまで南西に流れていたのだが、現在、曳舟川は埋め立てられて消滅している。だから、葛西用水路はここが終点である。亀有大水車前の手前で暗渠になる直前に見た陽の光が、葛西用水路が見た最後の陽の光となったわけである。だが、曳舟川の跡は、道だったり公園になったりしていてその名を残している。ここから古隅田川をたどる考えもあったが、今回は、葛西用水路の旅なので、曳舟川の名残をたどることにする。

【曳舟川親水公園】曳舟川が変身した道(曳舟川親水公園緑道部)を進むと、JR線のガードが現れた。

そうか、ここは曳舟川だったのか。すぐ近くが亀有駅である(昔は「亀無」だったそうである)。ガードをくぐって更に進む。

すると、道路の中央が公園ぽくなってきた。

曳舟川が公園に変身したもので、その名も曳舟川親水公園という。そう、この公園は道路(曳舟川親水公園通り)の上下車線の間にあって、曳舟川親水公園通りと運命を共にするながーい公園なのである。水路っぽい所もあるが、水があったとしてもそれは人工的に流された循環水である。この時期、ほとんどの箇所で水は涸れていた。

公園内に、鳥とそれを見上げる人の像が現れた。

この鳥は白鳥だそうだ。この辺りには白鳥がいたそうだ。だから、この辺りの地名は「白鳥」なのだとガテンがいった。

すると、京成本線のお花茶屋駅横の踏切が現れた。

ここを渡ってもなお道路内の細い公園が続く。紅葉の時期真っ盛りである。

【綾瀬川に到達】四ツ木近くでようやく公園が途切れると、もう綾瀬川がすぐである。

とうとう四ツ木小橋に到着。綾瀬川にかかる橋である。正面にスカイツリーが見える。

葛西用水路は、その昔、ここで綾瀬川に合流して終点だった。途中から名残りのみを追うことになった葛西用水路をたどる旅もここでおしまいである。綾瀬川の上流をのぞむとなかなか立派である。

この向こう側に綾瀬川と並行して流れる荒川はもっともっと立派である。架かる橋も「小」がとれて四ツ木橋である。

今回の踏破図がこれ。

三回に分けてレポートした葛西用水路の全ルート図がコレである。

図の最上部は栃木県と埼玉県の県境であり、下部は東京都足立区を超えて葛飾区に入っている。取材に要した日数は3日。よく歩いたものである。暇人と人は言う。その通りである。

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