ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

復活したものの

2012-06-03 19:02:02 | Weblog
とりあえず復活したfacebook。
1月にアカウントを削除し、使用停止したはずなのに、
しかもfacebookから、
「アカウント完全削除のリクエストを承りました。
アカウントは現在利用解除されており、14日後に完全に削除されます」
というメールまで届いていたのに、
今日、「おかえりなさい!」というメールが届いたんだけど、どうして?

なんだかもう、よくわからない。
だけど、相性がよくないことだけはわかる。

今回facebookを復活させたのは、
中国での仕事や生活をより楽しくしよう、という目的のため。
海外に暮らす人にとって、facebookは必須アイテムのようだったから、
もう一度試してみる気になった。

さて、私が住んでいるアパートは2棟が並行して建っており、
私は道路から見て奥の棟に住んでいる。
通りに面しているもう1つの棟の1階は、商店や料理店になっていて、
料理人がよく裏口の外でサボったり、タバコを吸ったりしている。

今日は一日中ずっと、白い服を着た料理人たちが、
大声で話しながら、時に歌いながら、空き缶をつぶしていた。
あの店、廃品回収も始めたんだろうか。
っていうか、ゴミを処理するときには、コックスーツ脱いでくれよ。

まあ、中国だからねえ。

でも、なんとなく・・・、
こういうエピソードは、facebookではなくて、
このブログで言いっぱなしの垂れ流しにしておきたいんだなあ。

描く

2012-06-03 02:22:17 | Weblog
夜からの女子会に向けて、
というわけでもないのだが、
今日は、『密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈』(宮坂 宥勝 翻訳、講談社学術文庫)を読んだ。

理趣経は、母が亡くなったときに、高野山真言宗のお坊さんがよんでくれた経典で、
その後、なんとなく気になって、読んだり聞いてるお経だ。

母は、なんといっても私の高校の同級生が、
「お前の母ちゃんと結婚したい」と言っていたくらい、
年齢を問わずモテた人なので、
そして、それによって苦しんだ人なので、
理趣経はまさに、母にあげてもらうのにぴったりのお経だったと思っている。

理趣釈では、
曼荼羅を描くという修業の大切さについて、
くどいくらいに述べていた。

ふと思い出したのは、以前一緒に仕事をしていた
絵を描く人たちが言っていたこと。

頭の中のイメージと、実際に描くということは、まったく違う、という。
実際に描くときには、その細部にまで細心の注意をはらう。
対象をよく観察し、どのように描くかを考える。
描くという行為は、イメージが頭に浮かぶのとまったく次元が違うことだ、と。

きっと、曼荼羅を描く修業をすすめている人たちも、
同じことを言っているのだろうと思う。

その意味において、
私は、仕事で、よい影響を受けてきたのだと思った。
とはいえ、あの頃に、もう戻りたくはないが。