洋服を買おうと思って、ネットショップを見ていたのだが、
モデルさんがみんな細すぎて、まったくイメージできない。
例えば「5キロアップ」「10キロアップ」のようなボタンがあって、
それをぽちりとやれば、画像が自動補正されて、
自分の体型にそっくりな姿を見られるようになったら便利なのに。
ネットショップ全盛なのだから、このくらいの親切機能は、あってもいいと思う。
で、しょうがないので、帰り道、新宿の洋服屋さんをブラブラしたのだけど、
モノがいいのはわかったが、どれも1万円越えで、
ということは、人民元に換算すると1000元だなあ、と思ったところで、買うのをあきらめた。
まだいいや。あるものを着よう。
確かに、いいものはいい。日本で売っているものは、いいものばかりだ。値段相応だ。
それはわかっているけど、そこまで洋服にお金をかける気合いがなくなった。
経済活動に取り込まれると言うのは、大変なことだ。
中国では、ここのところ急に経済活動が活発になったせいで、
日本のバブル期のように、よくわかんないからブランドを買うとか、
素材を見る目がないから、とりあえず高ければいい、とか、
もともとの見栄っ張りな価値観が影響したりして、
みんなどんどん消費に走るようになったけど、
そこまでの富裕層でなくても、価値観の多様化によって、
意識が大きく変化して来ていると思う。
特に、ある意味、出自がその後の人生に大きく影響する中国では、
親の価値観と子の価値観が大きくずれたり、
すでに固定された階層の中であがいたりと、いまの20代、30代は大変だと思う。
そもそも中国では、時代の変動を血族で乗り切って来たのに、
その絆は共産党政権になってから大きくかたちを変えさせられた。
もとより、中国の文字や思想は、国を統治するためにあったので、
個人の生き様には寄与するものが少なかった上に、
学校でそんな古典すら学ぶことがない若い人たちに、
自分が拠って立つものを見つけろと言っても、不可能に近い。
しかも宗教はアヘンである。
そして、少数民族は、もともとの自分たちの文化を奪われ、
時代の変化を乗り越えるための新たな思想も、なかなか自分たちで醸成することが難しい。
せっかくだから、中国人たちも、ダライ・ラマ法王の本が読めればいいのになあ。
たくさんの智慧がつまっているから。
モデルさんがみんな細すぎて、まったくイメージできない。
例えば「5キロアップ」「10キロアップ」のようなボタンがあって、
それをぽちりとやれば、画像が自動補正されて、
自分の体型にそっくりな姿を見られるようになったら便利なのに。
ネットショップ全盛なのだから、このくらいの親切機能は、あってもいいと思う。
で、しょうがないので、帰り道、新宿の洋服屋さんをブラブラしたのだけど、
モノがいいのはわかったが、どれも1万円越えで、
ということは、人民元に換算すると1000元だなあ、と思ったところで、買うのをあきらめた。
まだいいや。あるものを着よう。
確かに、いいものはいい。日本で売っているものは、いいものばかりだ。値段相応だ。
それはわかっているけど、そこまで洋服にお金をかける気合いがなくなった。
経済活動に取り込まれると言うのは、大変なことだ。
中国では、ここのところ急に経済活動が活発になったせいで、
日本のバブル期のように、よくわかんないからブランドを買うとか、
素材を見る目がないから、とりあえず高ければいい、とか、
もともとの見栄っ張りな価値観が影響したりして、
みんなどんどん消費に走るようになったけど、
そこまでの富裕層でなくても、価値観の多様化によって、
意識が大きく変化して来ていると思う。
特に、ある意味、出自がその後の人生に大きく影響する中国では、
親の価値観と子の価値観が大きくずれたり、
すでに固定された階層の中であがいたりと、いまの20代、30代は大変だと思う。
そもそも中国では、時代の変動を血族で乗り切って来たのに、
その絆は共産党政権になってから大きくかたちを変えさせられた。
もとより、中国の文字や思想は、国を統治するためにあったので、
個人の生き様には寄与するものが少なかった上に、
学校でそんな古典すら学ぶことがない若い人たちに、
自分が拠って立つものを見つけろと言っても、不可能に近い。
しかも宗教はアヘンである。
そして、少数民族は、もともとの自分たちの文化を奪われ、
時代の変化を乗り越えるための新たな思想も、なかなか自分たちで醸成することが難しい。
せっかくだから、中国人たちも、ダライ・ラマ法王の本が読めればいいのになあ。
たくさんの智慧がつまっているから。