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危機宣言は最初はインパクトがあるが、繰り返し何度も出したらそれに慣れる。
「いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、徐々に温度が上がる状態ではぷか~と浮かぶまでその場にいる」
といった茹でガエルのようになってしまうのではないか?と違った意味での危機を覚える。
長引けば長引くほど、それはゆっくりと進む環境変化となり、
そこに慣れが生じ、いつの間にか危機が危機でなくなる。
そうした状況下での対応、つまり本来すべき対応への対応が難しくなるのだが、
わずか1年とは言え、これまでを振り返ってみても、
環境の変化はかなりの変化であって、元に戻るにしても相当な時間を要するのではないかと思う。
否、おそらく元に戻ることはないと考え、
改めて、「これから」についてどう対応していこう?備えようか?と少なくとも向かう方向性を見つけ出す、
その意識だけでも持つことは大事だと感じる。
しかしながら、日常があまりにも先き不透明なだけによく分からない中での、
手探り状態での、未来への確信を見出す作業になるが、
一つ確実に言えることは、個(個性)を活かす、大事にする、ということだ。
寄らば大樹の陰もなく、長い物には巻かれろも必要なくなる?
自分で流れに乗る(努力をする)、これかもしれない。
いやはやなんとも・・・であるが、面白いともいえる。
ポジティブにとらえましょう!
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