右大将道綱母
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
『蜻蛉日記』の作者で、この歌もそこからとられている。
人臣初の摂政となった藤原良房の兄・長良の孫である倫寧の娘。関白・藤原兼家に嫁ぎ、その名の通り道綱を生んだ。
また、本朝三美人の一人とも言われている。また、義姉は清少納言の姉である。さらに妹は菅原孝標に嫁ぎ、生んだ娘が『更科日記』の作者である。
弟の長能・息子の道綱とともに中古三十六歌仙に選ばれている。
清原深養父━春光━元輔┳清少納言
┗娘(清少納言の姉)
|| 菅原孝標
┏理能 ||━孝標娘(更科日記作者)
┣━━━娘
┏長良━惟岳━倫寧━━━┻道綱母
┃ ||━道綱
┗良房━基経━忠平━師輔━兼家━道長
『蜻蛉日記』は19歳の頃から38歳までの約20年間もの間をつづった女流日記文学のさきがけ的なもので、主に家庭内の様々な出来事や旅先の見聞などが書かれている。なぜ38歳でとまったかは不明。ちなみに『更科日記』の方は作者が13歳の頃から晩年まで40年間をつづっている。
息子の道綱の方は政治家としての才能はなかったようで、同時代人で道長の批判者でもあった藤原実資から「自分の名前に使われる漢字以外読めない」とばかにされている。そのくせ家柄はいいから大納言筆頭の地位にあり、左大臣だった藤原顕光(この人も無能で有名だが)が辞職するという噂がたったとき必死に顕官運動をし、1ヶ月限定でいいから大臣をやらせてくれと道長らにせがんだが、顕光の辞職自体がただの噂だったため、空騒ぎに終わった。
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
『蜻蛉日記』の作者で、この歌もそこからとられている。
人臣初の摂政となった藤原良房の兄・長良の孫である倫寧の娘。関白・藤原兼家に嫁ぎ、その名の通り道綱を生んだ。
また、本朝三美人の一人とも言われている。また、義姉は清少納言の姉である。さらに妹は菅原孝標に嫁ぎ、生んだ娘が『更科日記』の作者である。
弟の長能・息子の道綱とともに中古三十六歌仙に選ばれている。
清原深養父━春光━元輔┳清少納言
┗娘(清少納言の姉)
|| 菅原孝標
┏理能 ||━孝標娘(更科日記作者)
┣━━━娘
┏長良━惟岳━倫寧━━━┻道綱母
┃ ||━道綱
┗良房━基経━忠平━師輔━兼家━道長
『蜻蛉日記』は19歳の頃から38歳までの約20年間もの間をつづった女流日記文学のさきがけ的なもので、主に家庭内の様々な出来事や旅先の見聞などが書かれている。なぜ38歳でとまったかは不明。ちなみに『更科日記』の方は作者が13歳の頃から晩年まで40年間をつづっている。
息子の道綱の方は政治家としての才能はなかったようで、同時代人で道長の批判者でもあった藤原実資から「自分の名前に使われる漢字以外読めない」とばかにされている。そのくせ家柄はいいから大納言筆頭の地位にあり、左大臣だった藤原顕光(この人も無能で有名だが)が辞職するという噂がたったとき必死に顕官運動をし、1ヶ月限定でいいから大臣をやらせてくれと道長らにせがんだが、顕光の辞職自体がただの噂だったため、空騒ぎに終わった。