東陽町の江東区役所に出かけた帰りに、木場公園やら猿江付近を散策して猿江神社に行き着きました。
鳥居です。
コンクリート作りの拝殿です。
由緒書きがありました。
★ランドマーク猿江神社:伝承として昔、康平年間(1058-1065)源頼義が奥州征伐(後三年の役)の頃、この附近の入江に勇々しき戦武士の屍がただよい着き、不思議にも其の屍より毎夜光明を発し村人この屍を丁重に葬る。
武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり、又懐中よりありがたき経文一巻がいでたり。よって村人「猿藤太」の頭文字と入江の「江」をとりて、猿江稲荷と尊稱し、近郷近在の守護神となし、村落の敬神の地として仰ぎ奉り、豊作祈願、病気平癒、悪病退散、等のこの地の氏神社として祭り、又それより地名をも猿江村と稱えはじめ現在に至れり。
正に猿江の地名これより発祥せり。
尚、当時、この村落の氏神社である猿江稲荷神社は右末より「天照大御神」「宇迦之御魂神」とを御祭神としていたが武人猿藤太の御霊をも合せ加え、代々お祀り申し上げて参りました。江戸時代は猿江稲荷神社と稱し隣接せる、日蓮宗寺院本覚山妙寿寺の住職が代々守護管理を司っていたが明示以後、近年になり、神保宮司を祭官として招き、合せて村、町の発展と共に町内氏子の者達が、神社の護持運営にあたり現在に引き継がれた次第であります。
古地図(江戸切絵図)には猿江稲荷と書かれています。地図の下は小名木川、横は大横川となっています。右上の畑の奥が御材木場(現在の猿江恩賜公園)になります。
猿江の地名発祥の碑が建っています。
江東区の文化財に指定されてるものがいくつかりました。水盤です。
石造燈籠一対です。
境内には馬頭観音社がありましった。こちちらは藤森稲荷神社
由緒書き
今の猿江恩賜公園のところにあったものをこちらに移転したようです。
拝殿の裏側にも稲荷神社がありました。
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