中野坂上にある施設を訪問しました。近くに成願寺というお寺さんがあるということで、訪れてみました。駅から坂を下る途中にありました。
鈴木九郎は応永(1394-1427)の頃に熊野からこの地に来ると馬喰から身を起こし一代で財を成して中野長者と呼ばれるようになったと伝えられています。成願寺付近に邸宅を構えていた。鈴木九郎には小笹という一人娘がいたが18歳で病死し、九郎に深い悲しみを与えた。これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にしたのが当寺院の始まりで、1438年のことであった。名は娘の戒名から当初は正観寺となっていたが、江戸時代に成願寺と改められる。幕末には一時、新撰組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。明治時代に神仏分離令により十二社の熊野神社が分離され、現在に至っている。ということです。寺の中には中野長者の物語が書かれていました。馬喰だったので馬頭観音ですか。こちらは、中野長者物語に出てくる「ある日九郎はやせた馬を一頭つれて、千葉のほうの馬市に売りに行きました。その途中、浅草の観音さまにお詣りして、こんなお願いをしました。「どうか観音さま、馬がよい値で売れますように。この馬が売れて、そのお金のなかに大観通宝がまざっていましたら、それはぜんぶ、観音さまにさしあげます」ということで大観通宝が祀ってあるようです。