ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新宿御苑の紅葉(2017年11月28日)

2017年11月28日 23時48分38秒 | 公園散策

二週間ぶりに曙橋の鍼灸治療院に行きました。途中新宿御苑の紅葉を見に寄ってみました。

いつもの千駄ヶ谷門から、季節柄がら紅葉を見に来た入園者が結構多くいました。入り口手前の銀杏。まだ少し緑が残っていました。入場門手前のイチョウです。目指すは下の池のところカエデです。千駄ヶ谷門から入った桜園のところのもみじです。そのまま中の池方面に降りていきます。

外国の観光客らしき人が撮っていました。

池には降りずに手前の遊歩道を下の池方面に向かいます。ここまできたら梅園の赤いものが気になりました。

梅園から坂を下りて「下の池」のもっとも低いところです。この木もなかなかいいです。

ここらいよいよ目的の地点です。

桜の木の紅葉をいろいろな角度で撮ってみました。

いつもあまり通らないところに行ってみました。

の並木に出ます。いつも反対側から撮っています。

 

玉藻池にはいかずに花壇と銀杏のところに行きました。

皇帝ダリアです。

玉藻池です。大木戸門ところのヤツデの花です。

★ランドマーク新宿御苑:新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。
 東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。
 内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。  新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。

 また、現在大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部です。
 このようなことから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷と言えます。(環境省のHPより)

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亀戸中央公園のもみじ(2017年11月27日)

2017年11月27日 23時25分59秒 | 公園散策

秋空に誘われて亀戸中央公園のもみじを見に行きました。ちょうど見頃でした。

A地区の時計台です。

★亀戸中央公園:この公園は、日立製作所の亀戸工場のあったところを買収し、整備したもので、A・B・Cの3地区に分かれています。
A地区には、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、子供たちの格好の遊び場になっています。

B地区には、人工池、流れがあり周囲は芝生の憩いの広場となっています。
C地区は、運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコートのほか児童コーナーがあり、ターザンロープ等の木製遊具は子供たちの人気を集めています。
またこの公園は「サザンカの名所」として親しまれています。B地区の入り口スポーツセンターの近くです。

B地区の奥にある人工池の所です。

もみじに迫ってみました。

C地区には山茶花や皇帝ダリアなどが咲いています。

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亀戸中央公園の山茶花2017年

2017年11月25日 22時07分05秒 | 季節の花

紅葉と山茶花の競演です。亀戸中央公園のこの時期は山茶花が咲き紅葉も進んでいます。山茶花の種類をまとめてみました。

こちらは初光です。

もっと真っ白なのが

富士の峰です。

 

ピンクは

乙女と

福包と早くから咲いている昭和の栄

こちらは頼りなさそうな「おみごろも」です。

赤い椿のような

 と立寒椿

白と赤の混ざったもの

鎌倉絞りと星飛竜

まだまだ咲いていますので、見に行ってください。

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向島百花園 句碑等の文化財

2017年11月23日 15時46分07秒 | 史跡散策

向島百花園にはたくさんの句碑等が建てられています。下草が枯れたので少し見やすくなったので、撮ってきました。だいぶ撮ったつもりでしたが、いくつか取り残してしまいました。次に行って撮れなかったもの(・○○)を撮りたいと思います。→2018年2月13日に行って撮れなかったものを追加しました。

松尾芭蕉の句碑(春もやや)

入り口の左手にある。芭蕉の春もややの句碑です。福禄寿尊案内碑

千樹庵益賀の句碑(鳥の名の)

亀田鵬斎「墨沱海荘記」の碑

雲山先生看梅詩の碑

茶筅塚

松尾芭蕉の句碑(こにやくの)

山上憶良の歌碑(秋の野に)

大窪詩仏の碑(詩仏老人碑竹記)

金令舎道彦の句碑(きょうの月)

其角堂氷機の句碑(朧夜や)

しほふつか(忍ぶ塚)こちらは2016年6月に撮ったものです。

きやうけんつか(狂言塚)

飯島光峨翁之碑銘

井上和紫の句碑(紫の)

哥沢芝金之碑

矢田惠哉翁之碑

鶴久子の歌碑(空蝉の)

二神の碑

最中堂秋耳の句碑(限なき)

月岡芳年翁之碑

杉谷雪樵の碑(芦雁図)

螺舎秀民の句碑(芦の芽や)

七十二峰十湖の句碑(何事も)

雪中庵梅年の句碑(黄昏や)

北元居士の句碑(水や空)

宝屋月彦の句碑(うつくしき)

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晩秋の向島百花園

2017年11月22日 23時29分39秒 | 公園散策

弁当工場の衛生会議を終えてから、紅葉を見に向島百花園を訪れました。

★ランドマーク向島百花園:向島百花園は、文化元年(1804)佐原鞠鵜が開園しました。国指定文化財です。百花園に集まる江戸の町民文化を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが考案され、佐原鞠鵜が本草の神として愛蔵し信仰していた福禄寿尊が、隅田川七福神の福禄寿尊として、百花園庭内に祀られています。

内側の門には蜀山人が「花屋敷」の扁額、「春夏秋冬花不断」「東西南北客争来」は大窪詩仏が書いたようです。

紅葉と菊の花と山茶花が見られました。

入り口近くのさざんかです。手前に南天が赤くなっていました。

赤い実ですがこちらは万両のようです。

百両に一両です。

山茶花はあちこちで咲いていました。

紅葉はだいぶ進んでいます。もみじはもう少しで真っ赤になるようです。

にしきぎ

いちょう

これは冬桜でしょうか。白い小さな花がついていました。

これは「いたどり」と書いてありました。

もう枯れすすきに近い

百花園からの東京スカイツリーです。

菊まつりの名残でしょうか。いっぱい飾ってありました。

これは「伊勢なでしこ」と書いていりました。

隣の公園からみた百花園に紅葉です。

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