3か月の診察で、腰部脊柱管狭窄症の手術を受けた御茶ノ水の三楽病院にいってきました。次の3か月視察で2回目の手術から1年となります。錦糸町からの帰りがけに萩の花がどれくらい咲いているのか確かめたくて萩寺史跡の龍眼寺を散策してみました。
山門です。
史跡碑のところに榎本其角 「つき見とも見えずや露あり庭の萩」 大納言家長郷 「ききしより見る目ぞまさるこの寺の庭に散りしく萩の錦は」と句が、山門右手のところには、松尾芭蕉の 「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」彫られていますが、写真ではうまく撮れませんでした。
白い説明書きを読んでわかりました。
★ランドマーク萩寺史跡、龍眼寺:お寺さんのHPより天台宗 慈雲山 無量院 龍眼寺 (萩寺)龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。
その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称“萩寺”として多くの文人墨客が訪れ、「江戸名所図会」には萩を愛でる人々で賑わう様子が描かれています。
境内に咲く四季折々の花々は、訪れる人の心を和ませ、松尾芭蕉、落合直文など文人墨客の句碑が昔の風情を偲ばせます。
江戸名所図会に描かれているものです。昔は本当に萩を楽しんでいたようです。わたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵より
キャプション「庭中萩を多く栽ゑて中秋の一(いつ)奇観たり。ゆゑに俗呼んで萩寺と称せり。『万葉集』芳子(はぎ)に作り、『和名抄』鹿鳴草(はぎ) に作る。『続日本書紀』に、「仁明承和元年八月、清涼殿に内宴す。これを芳宜(はぎ)華の讌(えん)といふ」とありて、 皇朝古へより萩を愛せられしことかくのごとし。」と書かれているようです。
萩寺の名前にふさわしいように、今もいろいろな萩が植えてありました。
いつも思いますが萩の花は写真に撮るのが難しい、なかなかピントが合いません。
これはうまく撮れた方です。
こちらはぼけています。遠くに見えるのがマイチャリです。
駐車場から撮りました。
江戸時代の古地図(江戸絵図)では横十間川のところにあると、ほぼ今のようなものになっています。
入り口のところに史跡の看板がありました。
龍眼寺の御本尊は江東区の指定有形文化財木造聖観音菩薩立体です。観音菩薩像は江東区最古のものということです。
本尊は本堂の有るということですがは見ることができませんでした。
本尊は厄除け眼病平癒の観音様として信仰されたようです。本堂は八角堂で八聖(正)堂といいます。八聖(正)とは①正見(正しい見解)②正思(正しい思い)③正語(正しい言葉)④正業(正しい行為)⑤生命(正しい生活)⑥正精進(正しい努力・勤め)⑦正念()正しい信念・気づかい)⑧正定(正しい精神統一)を実践する正しい生活態度のことだそうです。
こちらは庚申塔の案内です。万冶2年(1659年)の作品のようです。江東区指定有形民族文化財になっています。
前回来た時は見つからなかったので今回はと必死に探したら萩の隠れて少し見えました。
地蔵堂です。
子護八起地蔵尊(ねごやおきじぞうそん)が安置されています。扉が開いていてみることが出来ました。
こちらは亀戸七福神の布袋さん布袋堂です。布袋さんも見えました。
不動明王の不動堂です。
不動明王です。添え護摩木に願い事を書いて納めると願いがかなうようです。1本300円です。
いろいろと石碑がたっているのですが、撮りきれませんでした。こちらは冬嶺(ふゆみね)市町句碑で 冬嶺 「ひと色を千々の錦や萩見寺」
市町 「露の世にこぼさぬ露や萩の上」と句が彫られているのだそうです。
神無月は10月ですので今の季節の花のカンナは7月末から咲いています。9月下旬まで咲いていると遅咲きのような気がします。