大阪出張2日目は午前中に甲子園で午後は堺市(堺東)でした。甲子園駅の球場と反対側に寮があり、そこを訪問しました。5回目くらいになります。今回驚いたのは貧弱な阪神甲子園駅が改造中だったことです。一般に大阪方面の私鉄駅舎は見るべきものがあまりありません。3年ほどかかるらしいですがどんな駅になるのでしょうか。これは球場と反対側(寮側)からの工事風景です。甲子園の仕事を終えて球場に向かってみました。球場側から見た駅舎です。11時ころの炎天下でしたので、
球場は外から写真だけ撮って、次の堺東の施設に向かいました。
甲子園球場は8月1日で90周年を迎えるそうです。前回13年2月には少し時間があったので、球場の外を一周してみました。途中に阪神タイガーズの永久欠番の選手名碑がありました。10番は藤村冨美男、11番は村山実、23番は吉田義男です。ここはタイガーズ神社とも言われている素盞嗚神社です。
今回は急いで甲子園駅から尼崎駅に出てそこから大阪なんば、難波で南海電車に乗り換えると急行で3つ目が堺東です。ここには3回目なので、どこか見たいと思って少し散策したら、古墳があるというので、あてずっぽうで行ってみました。途中こんなお寺さんがあるました。
駐車場から中に入ってみました。
来る途中でご老人が2人で一人の方が安倍首相は戦争をしたがっているけしからんと口角泡を飛ばして話していました。紅谷庵の由緒を見ていたら、私にも話しかけてきてくれました。「その通りですね」と相槌を打って、中を見学させてもらいました。その方に古墳はどちらにと聞いたところこの裏にあると教えていただきました。
ここに着きましたが、もっと見えるところ1周するようにしましたが、見つかりませんでした。
資料で調べたところこのような写真を見つけました。空からでもないと全景はみられないようです。反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)です。私は途中から写真の白い部部から上の方を半周したようです。堺観光ガイドによると「百舌鳥古墳群北端にある全長約148mの天皇陵では小さい方の前方後円墳。5世紀後半の築造で陪塚とされる古墳2基、二重濠の存在が確認されています。百舌鳥3陵の一つ百舌鳥耳原北陵とも呼ばれています。墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうですが理由はよくわかっていません。」と書かれていました。次はぜひ仁徳天皇陵古墳を見たいと思っています。
左手の方にあったのが方違神社でした。
堺東で昼食に辛味ソバ摂ったところ、そばに貝割れ大根のトッピングが載っていました。食べてる途中で「堺市の学校給食のO157事件」を思い出し、あわててソバの写真を撮りました。
現役時代に「O157はなぜ大発生するのか」という本を書きましたが、その取材で堺市役所の保健所の係長さんに面談していただいたことや貝割れ大根を栽培していた羽曳野市の南野農園を訪ねたことなどを思い出しました。1997年の春のことです。
炎天下甲子園から堺東での散策とついに一日の歩行数が15000歩を超えてしまいした。今日はリハビリでクリニックに行き痛み止めやら痺れ止めを打ってきましたが、いまだに、両足ががくがくしています。