三島に日帰り出張でした。施設を訪問する前に三島大社を訪れました。
相模原の施設を訪問しました。途中に蚕(かいこ)の名がつくお稲荷さんがあったので寄ってみました。私の子供のころ、農家では養蚕が主要な産業で唯一の現金収入でした。蚕の飼育がはじまると、家の中すべてが蚕優先で、家族の寝る場所も隅に追いやられていました。そんな思いで蚕の字に引き付けられて寄ってみました。正一位とは神階の最高位だそうで、伏見稲荷大社が正一位であることから、全国の稲荷神社でも正一位を名乗るのだそうです。今でも2月の初午や4月17日の大題目や7月24日の御命日の祭礼があり春の養蚕(春蚕)の始まる前の大題目には多くの人は集まるようです。今はまったく養蚕は行われていませんが、昔からの習わし事は続いています。
蚕守稲荷神社 (こもりいなりじんじゃ)の正式名称は谷口山野稲荷神社です。縁起によると、 1774 (安永 3) 年には 成立しており、 谷口郷霊現閣と称していた。 1854 (嘉永 7) 年に京都の伏見稲荷大社 から勧請を受け、 養蚕の神として近在の信仰を集めた、と書かれていました。
24年度の最初の航空機による遠距離出張は鳥取・島根でした。2回目の訪問なのでどこか新しいところと思っていましたが、限られた時間では定番になってしまいました。最初の訪問地鳥取で仕事を終えてから、砂丘まで急いで見てきました。鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘です。日本三大砂丘の1つでもあります。 あいにくの雨の降った後で曇り空で、夕日は見ることができませんでした。 駅前には「因幡のしろうさき」の像がありました。稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)とは、日本神話(古事記)に出てくるウサギのこと。または、このウサギの出てくる物語の名。この説話は、「大国主の国づくり」の前に、なぜ他の兄弟神をさしおいて大国主が国を持ったかを説明する一連の話の一部である。今日では、「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)」が「淤岐島(おきのしま)」から「稻羽(いなば)」に渡ろうとして、「和邇(ワニ)」を並べてその背を渡ったが、「和邇」に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを「大穴牟遲神(大国主神)」に助けられる、という部分のみが広く知られています。
翌日の島根では松江城松江城(まつえじょう)は、島根県松江市殿町にある平山城です。別名・千鳥城といわれ、天守が現存し、国の重要文化財に指定されています。また、日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれています。
小泉八雲が通ったという隣の城山稲荷神社小泉八雲(出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン =Patrick Lafcadio Hearn)は、1890年(明治23年)、アメリカ合衆国の出版社の通信員として来日。来日後に契約を破棄し、日本で英語教師として教鞭を執るようになり、翌年結婚。松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力し、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺した。日本では『雨月物語』『今昔物語』などに題材を採った再話文学で知られる。それに小泉八雲旧居にも寄ってみました。八雲は1904年(明治37年)に狭心症で死去。満54歳没旧居は、1940年(昭和15年)に国の史跡に指定されています。
宍道湖の夕日もいいらしいのですが、時間的に間に合わないので、嫁が島だけ撮ってきました。宍道湖(しんじこ)は、島根県松江市、出雲市にまたがる湖で、湖沼水質保全特別措置法指定されている湖沼です。日本百景の一つ。
帰りの飛行機からは夕映えの空が輝いて見えていました。