東京タワーの所にある社員食堂を定期的点検しています。点検の前に周辺を散策していますが、今回は前にも行った妙定医院を再度訪れてみました。
都営地下鉄の赤羽橋駅から上がります。
最初に厄除け地蔵尊が見えます。
★災除地蔵尊:江戸南方四十八所地蔵尊参 第二十七番
開創当時から境内に地蔵堂があり、木造寄木造丈六金箔置の大地蔵尊坐像が安置されていました。相貌は崇高な中にも温容慈光が参詣者の心を打ち、延命子育・利益広大と言い伝えられてきました。のち、「江戸南方四十八所地蔵尊参」(寛政六年(1794)撰)の第二十七番に列せられ、多くの参拝者でにぎわいました。昭和二十年(1945)の東京大空襲で消失しましたが、惜しむ声多く、唯一残った守護札版木をもととして石像で再建され、霊験あらたかと親しまれています。(寺院のHPより)ピンクの花は河津桜でしょうか。山門です。本堂です。
由緒書きがありました。
★ランドマーク妙定院:妙定院は、徳川九代将軍家重公の大導師を勤めた、増上寺四十六世妙誉定月大僧正によって、家重公菩提のため「御中陰の尊碑」を安置して、宝暦十三年(一七六三)、幽水閑雅だったこの地に開創された。増上寺の別院として位置づけられ、明蔵(一切経)を有し仏典研究の中心的存在でもあり、のち浄土宗の准檀林の寺格を持つ、念仏道場・学問研究の名刹として知られてきた。
法然上人御直作で熊谷直実の念持仏と伝える法然上人像をまつり、「円光大師(法然上人)東都二十五霊場」の第一番とされた。
また十代将軍家治公の尊碑も納められるなどその後の幕府の帰依も厚く、多くの什宝物が寄進された。「法然上人伝絵詞」など現在文化財に指定されているものも多く、「熊野堂」「上土蔵」の二建造物は、国の登録有形文化財となっている。
元伯爵・萬里小路家、明治の殖産興業の先覚者・前田正名翁などの墓所がある。
国の登録有形文化財があるというので散策してみました。
港区の有形文化財です。これが「琴棋書画図屏風 狩野探雪筆」のようです。
こちらが銅造阿弥陀如来及両脇侍立像でしょうか。
石灯籠も由緒あるものようです。
境内を散策してみます。
良く見えませんが仏足石です。
練塀です。
はkの入り口
その前に石仏があります。
墓には
墓から東京タワーがよく見えます。
こちらは「ザ・プリンス パークタワー東京」のようです。
妙定院は古川の沿いにあります。この周辺は
広重の赤羽橋
名所江戸百景 増上寺 塔 赤羽根
広重 江戸名勝図会 赤羽根などに描かれているところです。
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