ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

栗林公園・高松港

2013年10月10日 22時58分38秒 | 訪問地周辺散策

台風一過で暑い水曜日になりました。昨日と今日はそれぞれ2施設ずつの訪問です。午前中の訪問を終えて近くの栗林公園に寄ってみました。50年ほど前に高校の修学旅行で京都・奈良・屋島・栗林公園・金毘羅様を訪れました。ということで50年ぶりの栗林公園です。台風一過の好天でしたが、暑い日差しでした。松の名木が中心です。栗林公園は、室町の手法を残す石組みの地をもとに、江戸時代、讃岐高松藩の歴代藩主により百年余りの歳月をかけて完成、下屋敷として利用されていました。現在では、特に重要な文化財庭園として国の特別名勝に指定され、また日本に関する旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では「わざわざ旅行する価値がある」を意味する三つ星に格付けされているそうです。

芙蓉峰から見た園内北湖

飛来峰から見た園内南湖

空を泳ぐ鯉をイメージして撮ってみました。

ウイキペディアでは「紫雲山を借景として6つの池と13の築山を巧妙に配した大名庭園で、回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている。面積は約75ヘクタールと特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さである。1625年頃、讃岐領主生駒高俊によって、南湖一帯が造営され、1642年入封した松平頼重に引き継がれ、以後高松松平家5代約100年をかけて完成した。明治政府の管理下におかれた後、1875年に県立公園になり一般に公開された。1953年には特別名勝に指定された。」と書かれています。

こちらは高松中央公園です。菊池寛です。ウイキペディアより「香川県香川郡高松の生まれ1916年に京大卒業後、時事新報社会部記者を経て、小説家となる。1923年に私費で雑誌『文藝春秋』を創刊し大成功を収め、富豪ともなった。日本文藝家協会を設立。芥川賞、直木賞の設立者でもある。太平洋戦争中、文芸銃後運動を発案し、翼賛運動の一翼を担ったために、戦後は公職追放の憂き目にあい失意のうちに没した。「我々は誰にしても戦争に反対だ。然し、いざ戦争になってしまえば協力して勝利を願うのは、当然の国民の感情だろう」とは戦後の本人の弁である。」
もう一つの施設を訪問し、

最終の航空東京便まで時間があったので、玉藻公園にも3年ぶりに寄ってみました。

月見櫓から見た高松港

高松港は鉄道連絡船の宇高連絡船(岡山県玉野市の宇野線宇野駅と香川県高松市の予讃線・高徳線高松駅との間)が運航されていたところです。

宇高連絡船は1988年(昭和63年)4月10日、本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業したことから、前日限りで廃止されました。(写真はウイキペディアより)現在は宇高航路として四国フェリーがフェリーを運航しています。高松港からフェリーが出発するところです。

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