用賀にある国立医薬品食品衛生研究所の研究者と懇談に行く機会があったので、途中にある用賀の真福寺を散策してみました。寺の後ろ側が研究所に行く道筋でしたが、表に回って入りました。赤門と呼ばれる山門です。
★ランドマーク真福寺:創建は天正年間で開山は法印宗円和尚で、開基は用賀村の開拓の功労者飯田図書(ずしょ)である。等々力にある満願寺の末寺で本尊の大日如来は、奥沢にある浄真寺の住職の作だと言われている。
当初は実相山真如院と名乗っていたが、後に瑜伽山(ゆがさん)真福寺となり、古くから山門が赤いため「赤門寺」とも呼ばれている。開基の飯田図書は、後北条氏に仕えており、用賀の地に住みついた後に確実に勢力をつけて、苗字・帯刀が許されたという。享和3年(1803年)に本堂などが焼失してしまうが再建。明治時代になり近隣の世田谷区立京西小学校が境内を借りていたこともあった。現在の山門は昭和28年(1953年)に完成。本堂は昭和40年頃(1965年)に造られた。(ウイキペディアより)
この瑜伽山(ゆがさん)から用賀の地名が付いたのではないという説もあるようです。
門の内側に左が庚申堂、右が太子堂のようです。六地蔵尊があり
奥に大日如来をまつった大日堂があります。
玉川八十八ヶ所霊場39番になっているようです。
これは芭蕉の区碑です。本堂です。
これが法教上人碑(法教上人は、当地に住みついた江戸時代の僧で様々な事業により当地の人々に尊敬されていた。それを顕彰する碑)でしょうか。
帰りはサトザクラとさざえさんの一家の像がある桜新町駅からでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます