船橋市に行く用事があたので、途中鬼越駅降りてで江戸名所図会に掲載されている高石神社に向かいました。駅の近くに神社らしいものがあったので寄ってみました。鬼越神明社でした。
★ランドマーク鬼越神明社:当神明社は天照大神様が御祭神である。
古老の口碑によれば約700年前より鬼越村に鎮座ましました。
境内には元和2年(今から368年前)伊勢の皇太神宮より遷宮されたとの石碑によれば現在の社殿は明治年間の造営である。
境内には道祖神(耳の神様)天神様(学問の神)お諏訪(商売の神様)与力与直(鎮世)浅間神社(富士信仰)が有るが、これは大正年間の区割整理の為村内に散在した神社を遷座したものである。現在ある宮神輿は大中二基であるがお御神輿は皇紀二千六百年を記念し行徳の浅子周慶氏に依頼したもので、当村旧家中村勝五郎氏と浅子周慶氏ごの特殊関係から氏子の浄財に倍する作品を得たもので神恩のしからしむ所と氏子一同感激した作品となった。又、中神輿は文久二年(今から百三十六年前)神田平永神輿師村田惣吉、寅吉の合作である。当時江戸では将軍直許の二十数基の神輿のみといわれていた時代で、当社にこの神輿が存在したことは異例のことであった。
尚太鼓山車上の神像は天皇初代の神武天皇様のお姿である。
昭和五十六年十月四日記 神明社 右の記述は氏子総代 山田 不二男氏に依る
社殿神輿殿
狛犬
道祖神(耳の神様)天神様(学問の神)お諏訪(商売の神様)与力与直(鎮世)浅間神社(富士信仰)が有ると書かれていますが、どれがどの社かよくわかりませんでした。
とりあえず浅間神社はわかります。
富士塚とは:「富士山を信仰の対象としている富士浅間信仰という信仰がある。この信仰では富士山に登山することが修業にあたるのだが、江戸時代にはなかなか実際の登山はできなかった。そこで地元に富士山のミニチュアを作り、そこに登ることで富士登山を疑似的に体験する施設が作られた。それが富士塚である。
富士塚は大きいもので高さ十m程度で児童公園の築山ほどの大きさであるが、富士山から運ばれた溶岩が積み上げられ、本物の富士山同様の登山ルートと要所要所の信仰対象が再現されている。」ということのようです。石碑にある中道大行と書いてありますが、「中道めぐり」というのがあるそうです。中道めぐりというのは、富士山の中腹(標高2300~2600m)を一周することで、大沢崩れという今なお崩壊の続く侵食谷を通るので、非常に危険の伴うものだそうです。
これは「猫のあしあと」さんによれば「与力与直社」のようです。
与直社は江戸時代末期の世直しと関わりがあるようです。
こちらはなんでしょうか。
その他にもなどがありました。こちらは三日月が描かれているので「三日月信仰」の祠のようです。
石碑はたくさん立っていました。
いつも行き当たりばったりで写真を撮っているので、次回に行く機会があったら由緒書きに基づいて散策してみたいと思います。
次は目的の高石神社です。
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