ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

初秋の猿江公園

2016年09月14日 23時18分13秒 | 公園散策

リハビリのために江東区にある都立の猿江公園を2周以上歩くのが日課になっています。北側の公園は一周歩くと1080mになります。100mを歩くのに210歩ほどかかるので4000歩以上は確実に歩くことになります。時間も1周20分かかります。2周以上というのは外側を2周まわり後は内部を散策しています。いろいろな花やノボタンが鮮やかな紫で目を引き付けます。

タイタンビカスが息長く咲いています。

オオオニバス、蓮の葉は真夏より小ぶりになっていますが、花は咲き続けています。匂いはあまりしなくなっています。

彼岸花が咲き始めました。

こちらはエンジェルトランペットという花だそうです。

酔芙蓉も雨に負けず咲いていました。

秋の花萩です。1週間ほど撮影時期がずれていますが、赤く色づいてきました。

こちらの花の名前はわかりません。

水連や花壇の花、ノウゼンカズラも長く咲いています。

こんなマメ科?の花も咲いています。

これはバラです。

猫さんたちが目を楽しませてくれます。ネコさんは3匹いますが、撮れたのは白ネコさんと黒猫さんです。

池に映る風景はいろいろですが、空やスカイツリーが映るのがなかなかです。

少し元気が出たので、南側の公園にも足を向けて見ました。

同じ材木蔵ですが、北側よりだいぶ早くから公園になっています。

昔の案内標識らしきものが建っています。

ここの野球場若いころここで野球を楽しみました。

猿江恩賜公園の由来です。

これからはイチョウが色付くシーズンになるのでこれも楽しみです。今は銀杏が落ちていて歩きにくくなるほどです。

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快気祝いの集い2(1度目のリハビリから2度目の入院まで)

2016年09月06日 20時24分38秒 | 身辺出来事

快気祝いの集いには、親戚からは唯一姪の尚美ちゃんが来てくれました。兄弟たちも田舎から来たいと言っていたのですが、狭くて東京のメンバーでいっぱいということでお断りさせてもらいました。ということで唯一横浜の尚美ちゃんに来てもらいました。

前回いからの続きでは、手術・リハビリ病院の入院と外来でリハビリをして結構回復しました。理学療法士の先生がテニスが趣味ということで、リハビリを兼ねて柔らかいボール(8歳以下の公認ボール)で壁打ちをしていました。

理学療法士の先生です。

自転車には乗れるので、公園まで行って中を散策するということでリハビリをしていました。

近くに猿江公園がありここがあまり人もいないのでリハビリで歩くのにちょうど良い場所でした。でも1回目の時はあまり歩かず自転車で回るだけでした。

花を見つけると降りて写真を撮りに行きました・ホウセンカと酔芙蓉です。

彼岸花がちょうど咲いていまました。

リハビリ病院では午前と午後リハビリがありその都度20分ほど自転車こぎをしていました。20分漕ぐと5㎞位になったので、外来で自宅から病院まで5km弱だったので自転車で通っていました。

おかげさまでいつもリハビリの時に病院から眺めていた近くの木母寺にも入れることになりました。

木母寺の所から見たリハビリ病院です。逆に眺めてみました。

毎週のように見舞いに来てくれたテニスのパートナーの船木さんたちと、快気祝いということで浅草の飯田屋にドジョウを鍋を食べに行きました。ネギをたくさん載せていただきました。

御茶ノ水の三楽病院に行くのは階段が大変なので、水道橋まで出て、タクシーで通いました。水道橋の所からみた後楽園遊園地です。

手術の時に作ったコルセットも外して良いことになりました。

向島百花園やら木場公園にも自転車で行ってみました。

 

清澄庭園などにも行きました。

市川塩浜にあるエーススポーツのテニスコートまでは片道10kmほどありますが、テニスの応援にも行くことが出来ました。

11月には孫娘の七五三は亀戸天神で行いました。

リハビリ病院に行く途中で見かけた花が猿江公園にもあり、調べてみたら皇帝ダリアと書いてありました。

船橋のうたごえゴリはJRの船橋駅から少し離れているのですが、リハビリ思って歩いて通いました。11月中旬には仕事で大阪出張もできるようになりました。大阪市内の街並みです。

亀戸中央公園も紅葉しています。

このまま回復してくれることを願っていましたが、12月になり急に左足が前に出なくなり、急激に下半身に力が入らなくなり、歩くのが困難になり、再び入院。手術ということになってしまいました。

 二度目の手術も成功しましたが、ダメージが大きくリハビリに前回以上に時間がかかることになりました。一回目の手術で終わってくれたらテニスにも復活でたのにと残念でなりません。

 

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快気祝いの集い2016.9.3その1(最初の手術入院、リハビリ病院退院まで)

2016年09月04日 22時04分03秒 | 身辺出来事

入院中にお見舞いをいただいたり、お世話になった方に参加していただき、快気祝いの集いを開かせていただきました。会場は時々お邪魔している錦糸町のリトルインディアでした。

息子のバンド、東京ゴッドファーザーズのライブもあって会場を盛り上げてくれました。

家族もいろいろと手伝ってくれました。

 

私からは入院生活から退院、リハビリの状況をスライドにして説明させてもらいました。

最初は腰部脊柱管狭窄症ということで、腰部を背中から骨を削って脊柱管に迫り管を拡げて除圧する手術でした。

削った後はチタンで5個の腰椎をビス止めしました。

これで6月から9月まで入院とリハビリをしました。そして10月11月は職場復帰するまで回復したのですが、12月になり歩行困難反もちろん全く下半身が麻痺してしまい車椅子になってしまいました。

MRIで今度は胸椎にヘルニアがあるというので、胸椎も同じように削ってチタンで補強しました。全部で8つがチタンで固定されています。

手術は御茶ノ水の三楽病院で行いました。

手術するまでの入院生活は余裕があって、差し入れていただいた本を読んでいました。

病院での楽しみは食事です。幸い三楽病院の食事はうまいことで有名でした。

冷たいものは冷たく、暖かいものは暖かく提供してくれました。

手術後は窓ばかりをみていました。

手術をしたのは良かったのですが、歩行がままらなくなって、急いでリハビリ病院を紹介してもらい、まだ抜糸もままならないうちにリハビリ病院に転院しました。

車椅子の生活です。病院には杖で歩いて行けたのに、病院を出るときは車椅子というのは納得できませんでしたが、これ以上病状は悪くならないという医師の話を信じてリハビリを頑張りました。

リハビリ病院の食事は田舎料理的なものでした。

ちょっとおかずが足らなかったり、果物が少ないのでふりかけやバナナを差し入れしてもらいました。

リハビリ病院は車椅子が通れるようにベッド間とか広く取ってありました。

病院の写真を撮るために、車椅子で外に出たところ、坂を下ったのは良かったのですが、帰りに坂が登れなくなってしまいました。

たまたま、リハビリで病院の外を歩いていた患者さんに押してもらいどうにか病院に戻ることができました。

ここでもいろいろと差し入れしていただきました。

結構時間をつぶすことができまあした。

漢字のナンクロには結構はまりました。

窓の外の雀を撮ったりしました。

足立の花火も病室の窓から見えました。

テニスのパートナー船木さまに時々お見舞いに来ていただいたき、その時はリハビリを早めにやめて1Fの食堂で一緒に食べました。

いつも弁当ランチをおごってもらっていました。

あとは院内をウオーキングするときによく夕陽を撮っていました。

車椅子を卒業して歩行器や杖で歩くようになりました。

リハビリ病院は積極的に一時帰宅を進めているので土日はできるだけ自宅に戻るようにしました。病院ではなかなか食べられないステーキをよく食べに行きました。

いえかたパソコンを持ち込んで音楽を聴いていました。

8月15日には田舎のお盆にも出かけることができました。

「ふるさとの山は遠くにありて思うもの」などと歌いながら散歩しました。

病院は26℃に保たれていて居心地がいいのですが、自宅に戻ると真夏で、熱中症になりそうになりました。

布団からは起き上がれないのでベッドを急遽買いました。

9月には不忍池の音楽堂でのともしび大うたごえに病院から出かけました。

病院の食事はこれが最後と思い撮りました。9月18日の朝食です。

 

この4階からみていた防災団地の風景も最後と思って撮りました。

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