・一ノ関忠人歌集『群鳥』1995年12月 角川書店刊
以下引用は原著の旧活字を新活字として引く。
弥生雛飾らむとして妻ぞゐる火をはらみ爛爛とかがやくまなこ
黄に熟れて稲穂おもたき田の畔(くろ)にたたずみをればためらひふかし
※「稲」「穂」「畔」原書は旧活字。以下同様。
満身にみどりご笑ふその笑ひわれには視えぬものにわらへり
政治死の美学を説きて陶然たる父亡しすでに秋立つけはひ
卯の花の粒だつ花のこぼればな踏めるこころは逸楽に似む
えいさらえい声のみ聞きて曳かれゆく餓鬼阿弥陀仏われは人恋ふ
声低く鳥鳴けばこの十年のためらひがちなる生を思ふも
荒寥となびき臥したる夏くさはら踏み入れば鶸(ひは)の群れ翔びたちぬ
このゆふべ子ぞ生れたると告げやらむ死にたる人は言(こと)なけれども
自分のいまにつながる伝統的なものの持つ力に対して、心服し、または抗いつつ生きる逡巡を歌いとどめた作品集である。これは現代ではむしろ希少種となってしまった悩みの姿であり、この濃厚な父系と師系とから背負わされるものに対して、どうしても応答してゆかねばならない作者の苦悩が、ここに引いたようなすぐれた自然詠へと昇華されている。生々しい性愛のイメージを時に喚起しながら、零落の神のうそぶきは、常に作者の背中に聞こえている。そこに生ずる、そらおそろしいような実存のおののきが、これらの歌を結晶させたのだ。
以下引用は原著の旧活字を新活字として引く。
弥生雛飾らむとして妻ぞゐる火をはらみ爛爛とかがやくまなこ
黄に熟れて稲穂おもたき田の畔(くろ)にたたずみをればためらひふかし
※「稲」「穂」「畔」原書は旧活字。以下同様。
満身にみどりご笑ふその笑ひわれには視えぬものにわらへり
政治死の美学を説きて陶然たる父亡しすでに秋立つけはひ
卯の花の粒だつ花のこぼればな踏めるこころは逸楽に似む
えいさらえい声のみ聞きて曳かれゆく餓鬼阿弥陀仏われは人恋ふ
声低く鳥鳴けばこの十年のためらひがちなる生を思ふも
荒寥となびき臥したる夏くさはら踏み入れば鶸(ひは)の群れ翔びたちぬ
このゆふべ子ぞ生れたると告げやらむ死にたる人は言(こと)なけれども
自分のいまにつながる伝統的なものの持つ力に対して、心服し、または抗いつつ生きる逡巡を歌いとどめた作品集である。これは現代ではむしろ希少種となってしまった悩みの姿であり、この濃厚な父系と師系とから背負わされるものに対して、どうしても応答してゆかねばならない作者の苦悩が、ここに引いたようなすぐれた自然詠へと昇華されている。生々しい性愛のイメージを時に喚起しながら、零落の神のうそぶきは、常に作者の背中に聞こえている。そこに生ずる、そらおそろしいような実存のおののきが、これらの歌を結晶させたのだ。