これは文庫版の私家版の歌集である。作者の周辺の人に手渡しで配っているものだろう。
吉野家で目撃された翌朝に牛丼と呼ばれ牛丼となる
作者は、こういうひりひりするような歌が作れる人なのだなと思う。ここで思い出したのは、先日手に入れた松谷みよ子の詩集『とまり木をください』だ。一篇だけ引いてみようか。
仮面
目がさめたとき
死にたい とおもうのです
また一日がはじまる
いじめられる一日がはじまるとおもうと
死ぬことを 考えるのです
でも 死んではいけない
死んではいけないって
いっぱい いっぱい
自分にいいきかせて
のろのろと たちあがるのです
枕もとにおいてある
仮面をかぶると
それは わらいがおです
こんな感じの詩が十三篇収められていて、詩の前後に司修の絵がついている。いじめで悩んでいる人たちには、ぜひ読んでもらいたい詩集だ。
話はもどって、歌集『ひとりでプリクラ』の作者の御糸さちさんは、非正規労働者で低賃金と不安定な雇用にあえぎつつ、まだ小さい子の母親であり、自分に向いた仕事を探すのに四苦八苦している。けれども、生命力があって、負けない気概を持っている。「でも 死んではいけない」って、「いっぱい いっぱい/自分にいいきかせて」、「たちあが」っている一人なのではないかと思う。
内定の返事もメール 誰ですか?文字は冷たいとか言う人は
二週間わたしは試供品である時給千円の価値があるかの
ここには「発生期の酸素」特有のイキの良さがあって、言いたいことがあふれるほどあるということが、読んでみるとわかる。作者は2019年度の「未来」年間賞を受賞した。だから、この歌集はそれより以前の作品を集めた習作集のようなものなのかもしれない。日本中の働く母親の大半が抱いている思いを代弁するような歌が、この小歌集には詰まっているが、「歌人とは悲しいときに悲しいと言えば添削されるいきもの」という歌は、一般の人には、にわかにはわからないだろう。短歌のセオリーとして、すぐに「かなしい」とか「さびしい」とか言ってはいけませんよ、というものがあって、これはあくまでも原則的なものだから大歌人だって別に「かなしい」と普通に言っている歌はいくらもあるのだけれども、初心者へのアドバイスの一つとして、こういう言い方があることを言ったものだけれども、これは外してほしかった。ほかに
階段をひとつ飛ばしで翔け上がる一泊分の荷物が跳ねる
モザイクのかかったような隣室の友らの声を聞きつつねむる
こういう歌を読むと、この人は短歌と相性がいい人なんだな、ということがすぐにわかる。ちょっとした出来事を瞬間的にスケッチしてそこにその時の自分の心情をすくいあげて示す手際が心地よい。
※ 昨日は一年前の「短歌往来」四月号を何となくめくっていたのだけれども、特集「ハード・ワーキングをうたうⅧ」がなかなかおもしろく、そこに「学生アルバイト短歌 二〇一八 」という田中綾の評論が載っていて、そこに引かれている歌と御糸さちさんの歌の間には共通する時代の空気のようなものがあると思った。
それによると田中は労基法を短歌型式に「翻訳」するという授業をやっているのだそうだ。その内容は、川村雅則ゼミの『学生アルバイト白書』に掲載されていてネット検索も可能だという。
吉野家で目撃された翌朝に牛丼と呼ばれ牛丼となる
作者は、こういうひりひりするような歌が作れる人なのだなと思う。ここで思い出したのは、先日手に入れた松谷みよ子の詩集『とまり木をください』だ。一篇だけ引いてみようか。
仮面
目がさめたとき
死にたい とおもうのです
また一日がはじまる
いじめられる一日がはじまるとおもうと
死ぬことを 考えるのです
でも 死んではいけない
死んではいけないって
いっぱい いっぱい
自分にいいきかせて
のろのろと たちあがるのです
枕もとにおいてある
仮面をかぶると
それは わらいがおです
こんな感じの詩が十三篇収められていて、詩の前後に司修の絵がついている。いじめで悩んでいる人たちには、ぜひ読んでもらいたい詩集だ。
話はもどって、歌集『ひとりでプリクラ』の作者の御糸さちさんは、非正規労働者で低賃金と不安定な雇用にあえぎつつ、まだ小さい子の母親であり、自分に向いた仕事を探すのに四苦八苦している。けれども、生命力があって、負けない気概を持っている。「でも 死んではいけない」って、「いっぱい いっぱい/自分にいいきかせて」、「たちあが」っている一人なのではないかと思う。
内定の返事もメール 誰ですか?文字は冷たいとか言う人は
二週間わたしは試供品である時給千円の価値があるかの
ここには「発生期の酸素」特有のイキの良さがあって、言いたいことがあふれるほどあるということが、読んでみるとわかる。作者は2019年度の「未来」年間賞を受賞した。だから、この歌集はそれより以前の作品を集めた習作集のようなものなのかもしれない。日本中の働く母親の大半が抱いている思いを代弁するような歌が、この小歌集には詰まっているが、「歌人とは悲しいときに悲しいと言えば添削されるいきもの」という歌は、一般の人には、にわかにはわからないだろう。短歌のセオリーとして、すぐに「かなしい」とか「さびしい」とか言ってはいけませんよ、というものがあって、これはあくまでも原則的なものだから大歌人だって別に「かなしい」と普通に言っている歌はいくらもあるのだけれども、初心者へのアドバイスの一つとして、こういう言い方があることを言ったものだけれども、これは外してほしかった。ほかに
階段をひとつ飛ばしで翔け上がる一泊分の荷物が跳ねる
モザイクのかかったような隣室の友らの声を聞きつつねむる
こういう歌を読むと、この人は短歌と相性がいい人なんだな、ということがすぐにわかる。ちょっとした出来事を瞬間的にスケッチしてそこにその時の自分の心情をすくいあげて示す手際が心地よい。
※ 昨日は一年前の「短歌往来」四月号を何となくめくっていたのだけれども、特集「ハード・ワーキングをうたうⅧ」がなかなかおもしろく、そこに「学生アルバイト短歌 二〇一八 」という田中綾の評論が載っていて、そこに引かれている歌と御糸さちさんの歌の間には共通する時代の空気のようなものがあると思った。
それによると田中は労基法を短歌型式に「翻訳」するという授業をやっているのだそうだ。その内容は、川村雅則ゼミの『学生アルバイト白書』に掲載されていてネット検索も可能だという。