築地俊造の「まんこい節」を聴いたのはたった一度だけだったが,インターネットの発達で再会することとなった。
私は演歌は聴かないが民謡は聴く,日本音楽の始祖に連なるからだ。
若い,まだ仕事も音楽もペーペーの頃,TVでたまたま日本民謡大賞というのをやっていて,他は明らかによく聴く民謡のサウンドだった。
しかし,この「まんこい節」は知りうる範囲の民謡ではなく,沖縄の独特の調子でもなく,ましてや奇をてらった「他国の民謡」などでもない。
言葉も殆ど聴き分けられない,若い私に「未だ知らぬ土地と知らぬ音楽がある」と思わせた。
とにかくすごい,と思った。
ただ悲しいでもなく,笑う場面もない,いたく哲学的に聴こえたものだ。
三線には一定のリズムを崩さない何かがあり,歌の技術は絶品だと思う。
上手に説明できぬ自分に失望してしまう。
大会で築地は予想どおり日本民謡大賞および内閣総理大臣杯を受賞した。
[説明]この謡は現世は子宮の始発で始まり子宮の終着駅(墓)で終わると「輪廻転生」の因果を廻る水車に例える先史謡
[唄者]築地俊造 1934年鹿児島県大島郡笠利町川上生まれ。1975年南海日日新聞社主催「第1回奄美新人民謡大会」で優勝、1979年N.N.S(日本テレビネットワーク)主催「第2回日本民謡大賞」で優勝。日本民謡大賞および内閣総理大臣杯を受賞。民謡日本一となる。1988年以来、「渋谷ジァン・ジァン」等で首都圏でのライブ活動を続け、奄美島唄の普及に努める。1988年「鹿児島県芸能文化奨励賞」受賞、2002年南海日日新聞社主催「南海文化賞」受賞、2008年南日本新聞社主催「南日本文化賞」受賞、2013年「鹿児島県民表彰」、2014年「文部科学省地域文化功労者表彰」。2017年4月14日、逝去
『楽しき哉、島唄人生 唄者・築地俊造自伝』より
[追記]以下のように訳された方がいました
■歳や寄(ゆ)て行きゅり 先や定まらぬ 荒海に浮しゅる 舟ぬ如(ごと)に
(歳は寄っていくものの行く先が定まらない。ちょうど荒海の中に浮いている舟のような身上だ。)
※現在は,港で往く人に歌う別れの曲,として演奏されるそうです。
私は演歌は聴かないが民謡は聴く,日本音楽の始祖に連なるからだ。
若い,まだ仕事も音楽もペーペーの頃,TVでたまたま日本民謡大賞というのをやっていて,他は明らかによく聴く民謡のサウンドだった。
しかし,この「まんこい節」は知りうる範囲の民謡ではなく,沖縄の独特の調子でもなく,ましてや奇をてらった「他国の民謡」などでもない。
言葉も殆ど聴き分けられない,若い私に「未だ知らぬ土地と知らぬ音楽がある」と思わせた。
とにかくすごい,と思った。
ただ悲しいでもなく,笑う場面もない,いたく哲学的に聴こえたものだ。
三線には一定のリズムを崩さない何かがあり,歌の技術は絶品だと思う。
上手に説明できぬ自分に失望してしまう。
大会で築地は予想どおり日本民謡大賞および内閣総理大臣杯を受賞した。
築地俊造「まんこい節」奄美 / 徳之島民謡
[説明]この謡は現世は子宮の始発で始まり子宮の終着駅(墓)で終わると「輪廻転生」の因果を廻る水車に例える先史謡
[唄者]築地俊造 1934年鹿児島県大島郡笠利町川上生まれ。1975年南海日日新聞社主催「第1回奄美新人民謡大会」で優勝、1979年N.N.S(日本テレビネットワーク)主催「第2回日本民謡大賞」で優勝。日本民謡大賞および内閣総理大臣杯を受賞。民謡日本一となる。1988年以来、「渋谷ジァン・ジァン」等で首都圏でのライブ活動を続け、奄美島唄の普及に努める。1988年「鹿児島県芸能文化奨励賞」受賞、2002年南海日日新聞社主催「南海文化賞」受賞、2008年南日本新聞社主催「南日本文化賞」受賞、2013年「鹿児島県民表彰」、2014年「文部科学省地域文化功労者表彰」。2017年4月14日、逝去
『楽しき哉、島唄人生 唄者・築地俊造自伝』より
[追記]以下のように訳された方がいました
■歳や寄(ゆ)て行きゅり 先や定まらぬ 荒海に浮しゅる 舟ぬ如(ごと)に
(歳は寄っていくものの行く先が定まらない。ちょうど荒海の中に浮いている舟のような身上だ。)
※現在は,港で往く人に歌う別れの曲,として演奏されるそうです。