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第51話 崩れた信義
キム・チュンチュが帰国するという詳細は 機密情報である
高句麗(コグリョ)の巡視船が なぜそれを知り襲ってきたのか…!
チュンチュは 機密情報を高句麗(コグリョ)に売り
新羅(シルラ)と唐の信頼関係を崩し 国運を傾けようとしたのなら
たとえ上大等(サンデドゥン)であろうと 許されることではないと言い放つ!
※上大等(サンデドゥン):新羅(シルラ)の高級貴族階層の最高官職
閼川(アルチョン)は チュンチュこそが唐と密約を交わし
この国を売り飛ばそうとしているのだと息巻く…!
2人の口論を ヨムジャンが取り成し 何とか落ち着くよう説得する
他の臣僚らも口添えするが 閼川(アルチョン)の怒りは収まらない
国の領袖である閼川(アルチョン)に 真っ向から立ち向かい
決して裏切りは許さないというチュンチュ…!
2人の溝は深くなるばかりであった
チュンチュは 大耶(テヤ)城を奪還したことで
ようやく取り戻した 城主夫妻の位牌の前で涙する
父として 娘夫婦の亡骸を奪われた悲しみは 長い年月癒えなかった
それを支えてくれたのは 他でもないキム・ユシンである
しかも今回 生還するために ユシンの側近中の側近ナンスンが犠牲となった
三韓一統の大業を成すため いくつもの尊い命が失われてきた
その者たちの犠牲を無駄にしないためにも 必ずや三韓一統を成さねばと…!
キム・チュンチュは 敢えて唐の官服を着て朝廷に立つ
そして 真徳(チンドク)女王の前で 堂々と“信義の証し”だと述べる
唐からすべてを学び 吸収し 朝廷を改革していくと…!
それは伊飡(イチャン)の意向か! それとも唐の皇帝の意向か!
閼川(アルチョン)は激怒して詰め寄る!!!
※伊飡(イチャン):新羅(シルラ)で2番目の官位
チュンチュは落ち着き払い そんなに自信がないのかと反論する
たとえ唐から多くを学んでも 決して新羅(シルラ)の誇りは傷つかないと!
そして唐は 新羅(シルラ)の製紙技術を羨んでさえいる
それさえ 元々は中原から取り入れた技術であり
他国のものだと受け入れずにいたら 今の技術革新さえなかったと…!
臣僚らは 次第にチュンチュの話に耳を傾け始めた
製紙技術であれ 政治制度であれ 良いものを取り入れるのは
今後の新羅(シルラ)のためであり いつか他国の者が学びにやって来ると
真徳(チンドク)女王は チュンチュの提案を受け入れ
まずは 唐の官服を取り入れるようにと命ずるのだった
面目が潰れ 憤懣やるかたない閼川(アルチョン)に サジンが近づき
チュンチュはやがて 和白(ファベク)会議も廃止する
そんな噂さえ流れていると 耳打ちするのである
今の女王にも子がなく 次代の王は真骨(チンゴル)しかいない
だとすれば チュンチュにもユシンにも 機会はあるというサジン…!
※和白(ファベク)会議:新羅(シルラ)の貴族会議
※真骨(チンゴル):父母のどちらかが王族に属する者
和白(ファベク)会議が廃止され 貴族の力が奪われれば
それも十分にあり得ると言い サジンは 閼川(アルチョン)の反応を窺う
『黙れっ!!!!!』
怒鳴りつけられ 驚いて怯むサジン!
閼川(アルチョン)は サジンが チュンチュの帰国日を密告したと知っている
チュンチュと仲違いさせただけでは足りず まだ混乱を招くのかと憤る!!!
同じ時 ヨムジャンが ヨン・ゲソムンの密偵トチムを呼びつけ
高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)に密告したのは誰かと聞く
トチムは 財宝さえもらえるなら… と答えニヤリと笑う
※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職
しかし トチムは財宝に目が眩んでなどいなかった
ヨムジャンは サジンの手下によって殺されてしまう…!
これで 真の内通者がサジンだと知る者は 閼川(アルチョン)だけとなった
百済(ペクチェ)では
ウィジャ王が 唐と新羅(シルラ)の同盟を知り 高笑いしていた
高句麗(コグリョ)に敗退した唐など いかほどのものか…
そして そんな唐と組んだ新羅(シルラ)もまた 恐れるに足りぬという
すると太子プヨ・ユンが 百済(ペクチェ)も唐に学ぶべきであり
そのためにも新羅(シルラ)と和親を… と言いかけ一喝される…!
ウィジャ王は 新羅(シルラ)に奪われた城の奪還に固執していた
柔軟さを口にする息子に我慢がならず 二度と持ち出すなと釘を刺す!
そこへ 唐の皇帝が崩御したとの知らせが届いた…!
西暦649年4月
唐の皇帝 太宗(李世民)が52歳でこの世を去る
太宗(李世民)は 唐を建国した高祖(李淵)の次男として生まれ
兄弟を惨殺するという骨肉の争いの末 皇帝になった人物である
非常に征服欲が強く 突厥を征服し さらに高句麗(コグリョ)に攻め入った
しかし645年
安市城で敗戦し 高句麗(コグリョ)への遠征が失敗してしまう
太宗(李世民)は 志半ばの高句麗(コグリョ)攻めを中止せよと命じ
そのまま永眠してしまったのである
キム・チュンチュは 唐の新たな皇帝と 早々に和親を結ぶべきという
いかに中原を平定したとはいえ 創建30年という若き国であり
高句麗(コグリョ)にも敗退した国だと 懸念の声も上がるが
大王陛下が太平頌を捧げることを認め 全責任をチュンチュが取るなら…と
閼川(アルチョン)をはじめとする臣僚らが賛同する
※太平頌:唐の高宗の治世を称える詩
チュンチュは 長男のボムミンに 太平頌を届ける大役を命ずる
しかしボムミンは 賛同できない役目は果たせない!と 固辞する
弟のインムンが 代わりに行くと申し出ても チュンチュは聞き入れない
父親同士が交わした約束を 王位継承の息子同士が確認する
そのことにこそ意義があるのだと諭していく
『あくまでも固辞するというなら 三韓一統の大業を捨てたとみなし
父と息子の縁を切るつもりである!』
そこへ 怒り心頭のユシンが訪ねて来た
チュンチュの作った大仰な頌歌に 心底腹を立てている…!
それこそ新羅(シルラ)の恥であり 三韓の笑い者になると!!!
しかしチュンチュは 唐との同盟こそが新羅(シルラ)を守ることだという
『同盟? …何を言っているのだ!』
今の今まで ユシンは“軍事同盟”の話を聞かされていなかった
唐の第2皇帝 太宗は 崩御する前にチュンチュと同盟を結んでいたのだ
新羅(シルラ)が 大業を成せず戦乱に陥った場合
唐が20万の援軍を送って加勢するという まさに“軍事同盟”である
さらにチュンチュは たとえ援軍を送ったとしても
新羅(シルラ)の国政には介入しないとの約束も 取り付けていた
この同盟あってこそ 三韓一統の大業は完遂できると
そしてそれは 新たな皇帝にも引き継がれているというのだ
同盟の詳細を知り 茫然とするキム・ユシン
チュンチュは あくまでも三韓一統の実現を目指し
そのための手段は選ばないという姿勢である
同じく大業を掲げながら まったく正反対の考えを示すチュンチュ
それだけでなく ユシンの失望感は これまで聞かされなかったことにある
いくら間者の耳に入らぬよう 極秘裏に事を進めたのだとしても
まずは一番に打ち明けてくれるはずだと 信じていたユシンであった
その失望感を堪え ユシンは 全力でチュンチュを説得する
いかに独自の信念があるとしても “唐の忠犬”とまで噂されることは
これまで築き上げてきたすべてを失うことになりかねないと…!
しかしそれでも チュンチュの信念は揺るがない
数百年にわたる戦乱の世を終わらせ 苦しむ民を救うためにも
三韓一統の大業は 何としても成さねばならないのだ
築いてきた名声や拘り 恥辱を受けるつらさに怯んでいては
いつまで経っても大業完遂の日は訪れないと…!!!
屋敷を出て行くユシンを ボムミンが追いかける
自分と同じ考えで 父のやろうとしていることに反対する伯父ユシン
勘当するとまで言われたボムミンは 伯父に説得を頼むしかないのだ
『ボムミン たとえ国中のものが父上を中傷しても
お前だけは父上を信じ 守っていかねばならぬ』
ユシンが チュンチュの考えをすべて理解できたわけではない
しかしチュンチュが 誰より誇り高き人物であることは知っている
なのにそれでも唐にへつらうのは それなりの思いがあるからだと
今はボムミンに しっかり役目を果たせと言うしかなかった
同じ時 サジンは 閼川(アルチョン)の横でほくそ笑んでいた
新たな唐の皇帝に 太平頌を捧げることで チュンチュは自滅すると
だからこそ 敢えて反対しなかったのだろうと聞かれ
閼川(アルチョン)は 何も答えずじっと考え込むのであった
高句麗(コグリョ)では
唐と新羅(シルラ)の接近を按じるポジャン王に
ヨン・ゲソムンが 心配無用だと豪語している
何より チュンチュは 今回の件で失脚し
いずれ上大等(サンデドゥン)が 新羅(シルラ)の朝廷を牛耳る
閼川(アルチョン)は ヨン・ゲソムンの密書を黙認した
関与はしなかったが 黙認した… ということは
いずれ高句麗(コグリョ)の側に立つ人物であると…
一時は チュンチュを気に入り 敵ながらも その才を認めたが
唐の機嫌取りをするような男だったのかと ヨン・ゲソムンは失望していた
やがてボムミンは 太平頌を届けるという任務を遂行すべく 唐に向かう
父チュンチュから申し付かった言葉を 海原を見つめながら思い返す
唐の新たな皇帝は 先帝の遺志を無視し
高句麗(コグリョ)征伐を企てているのだという
“羅唐同盟”も いつ反故にされるか分からない
高句麗(コグリョ)を討った先に いずれは新羅(シルラ)に攻め入るだろう
三韓は さらなる戦乱にみまわれ ますます民の苦しみは続く
今回の任務は 太平頌を届けるのみに終わらない
羅唐同盟の信義を確約し 戦乱を回避する道筋を作るものであると…!!!
唐の3代皇帝 高宗(李治)は ボムミンが届けた太平頌に満足げだ
先代皇帝とキム・チュンチュが 軍事同盟を結ぶ瞬間にも立ち合っている
それを破ることは親不孝であると言明する高宗(李治)
しかし 同盟とは無関係の 新羅(シルラ)の年号に話が及ぶ
唐への信義を示すというならば 直ちに独自の年号を廃し
唐の年号を使うのが筋であろうと迫る…!
年号の使用を迫られた新羅(シルラ)の愚かさを 鼻で笑うウィジャ王
これで新羅(シルラ)は 唐の植民地になり下がったと…!
たとえ辺境の城をすべて奪われようとも
決して百済(ペクチェ)の誇りを捨てたりはしないというウィジャ王だった
『大国に頼り 国格を守るのが なぜいけないのですか!』
父王の高笑いを遮ったのは 長男プヨ・ユンである
太子でありながら 敵国チュンチュの政策を称賛する息子!
ウィジャ王は激昂し 息子に剣を突き付けた…!
『余が どれほどチュンチュを恨んでいるか 知らぬはずがない!』
今にも息子を斬ろうとするウィジャ王!!!
太子の前に立ちはだかり守ったのは 将軍ケベクだった
息子ばかりか 最も信頼する将軍がかばい さらに激昂していくウィジャ王!
『ここで父子が争い決別すれば 王室の権威が失墜します!!!
このまま権威が失墜し 朝廷が混乱することは 誰も望みません!!!』
この言葉に 剣を下ろすウィジャ王であったが
太子には自粛を命じ ケベクの顔も もう見たくないと言い
辺境へ行けと命じるのだった…!
ボムミンは 太平頌への応えとなる国書を持ち帰る
そして 喜ばしい国書と同時に 皇帝から言い渡された年号の件についても
真徳(チンドク)女王に報告しなければならなかった
唐の官服を取り入れ 太平頌まで捧げ さらに年号まで変えるとは…!
臣僚を代表し 閼川(アルチョン)が怒りに震え訴える
チュンチュはそれでも ここで逆らえばすべてが無駄になると説得する
断じて受け入れられぬと そっぽを向く閼川(アルチョン)
するとチュンチュが 静かに腰を下ろしひざまずき 土下座の姿勢を取る!
誇り高きキム・チュンチュが 臣僚の前にひれ伏したのだ
そこへ キム・ユシンが 部下を引き連れ乱入する!
ここは一体 新羅(シルラ)の朝廷か 唐の別宮かと揶揄し
大国に国運を委ねるキム・チュンチュを なぜ弾劾しないのかと憤る!
何とかチュンチュを理解しようとしたユシンであったが
年号まで変えるとあれば もう我慢の限界であった
『国益を得るために 国格まで売り渡すのか!
唐の甲冑を着て戦えと言うのか!!!』
『たとえ唐の官服を着ても 唐の年号を使おうとも
“徳業日新 網羅四方”という大義を捨てぬ限り 誇りを失いはせぬ!
大業完遂のため命をも捨てる気ならば 真の誇りは揺るがない!』
ここは最早 新羅(シルラ)の国ではないと
徐羅伐(ソラボル)を出て行くと言い残し 立ち去るユシン!
※徐羅伐(ソラボル):新羅(シルラ)の首都 現在の慶州(キョンジュ)
鉄壁の信頼関係と思っていた両者の決別を目の当たりにし
臣僚らは 言葉を失い立ち尽くす
チュンチュは 悲痛な表情でユシンを追いかけた!!!
少年の日 真興(チヌン)王の碑前で 大業を誓った2人である
『あの日のお前に戻れ!』 そう言い残し立ち去るユシン
打ちひしがれるチュンチュのそばに 息子ボムミンが寄り添う
臣僚を説得するどころか 盟友との絆さえ壊れてしまった
失意のチュンチュは 酒に溺れ 妻ムニに当たり散らす
唐の援軍20万は 新羅(シルラ)の民20万を救うのに
なぜ皆は それを理解してくれないのだ…!
ユシンに去られたチュンチュの 揺るがぬはずの信念が崩れていく
『兄上は いつかきっと分かってくださいます
必ずまた戻って 共に大業を成そうと言ってくださいます…!』
妻の言葉に さめざめと泣きだすチュンチュ
今のチュンチュにとって 弱音を吐ける相手は 妻ムニしかいなかった
苦しんでいるのは チュンチュだけではなかった
ユシンもまた 渓谷の夜の闇に紛れ 泣き腫らしていた
そんなユシンの前に 将軍ケベクとファシが現れる
2人の間には 国を超えた友情があった
傷心のユシンに必要な物はこれしかないと 酒瓶を揺らし微笑むケベク
百済(ペクチェ)の泗沘(サビ)城では 親唐を上奏した太子が廃された
しかしケベクは 親唐も反唐も関係ないと言い放つ
自分は あくまで百済(ペクチェ)王室に仕え
百済(ペクチェ)の民のために戦うのみ!
ただ王室と民のために戦うという ケベクの姿勢は 実に単純明快であった
『ケベク 実にお前は真の名将だ』
ケベクは 将軍としてのユシンに 共通点が多い
しかしチュンチュは 我々とは違うのだと諭す
政治家として千変万化するチュンチュの考えを 察することは難しいのだと
目の前の敵を 兵法を以って打ち取るという 単純明快な戦い方ではない
政治家のすることは そもそも我々には理解できないのだと笑うケベク
ユシンは 胸のつかえがとれたような気分で聞いている
ケベクは チュンチュについてそれ以上語らず
ただただ面白おかしく酒を酌み交わし 時が過ぎていった
西暦654年 真徳8年
真徳(チンドク)女王は 気力が弱まり死を意識するようになる
国政を執ることも難しく 摂政を立てたい意思を示す
死期を意識した摂政であれば すなわち“王位継承者”の指名となる
それを認めたうえで 真徳(チンドク)女王は チュンチュの名を口にした
それは 誰もが警戒していたことであり チュンチュが最も拒む問題だった
しかし チュンチュが摂政になり 王位を継承することは
先王である善徳(ソンドク)女王の遺志でもあった
真徳(チンドク)女王は 閼川(アルチョン)に総意を託す
上大等(サンデドゥン)の地位は 王位に次ぐ重職である
その座にいながら 伊飡(イチャン)のチュンチュに摂政を奪われてしまい
閼川(アルチョン)の胸中は複雑であった
黙り込む閼川(アルチョン)の前で 声高に反意を示すサジン!
前例に倣い 和白(ファベク)会議により 摂政を指名すべきだという
つまり 大王の意思ではなく 貴族の決議を以って推挙すべきだと!
朝廷の総辞職も辞さないという臣僚らの動きに
キム・チュンチュの側近たちは警戒する
閼川(アルチョン)は すでに王命に背いているというボムミン
直ちに上大等(サンデドゥン)を弾劾し 朝廷を制圧すべきだと…!
しばし考え込むキム・チュンチュ
そしてチュンチュは 自ら王に謁見し
摂政は 和白(ファベク)会議の決議で推挙すべきだと進言する
閼川(アルチョン)の同意もあり 真徳(チンドク)女王は
和白(ファベク)会議の召集を許可し 摂政の推挙を委ねた
事実上 閼川(アルチョン)とチュンチュが 摂政の座を争うことになる
キム・フムスンは 兄ユシンに チュンチュと和解すべきだと訴える!
ケベクと飲み明かした夜… そして弟の嘆願に じっと考え込むユシン
そしてユシンは 和白(ファベク)会議の前に
上仙(サンソン)会議を召集する意思を固めるのだった…!
※上仙(サンソン):風月主(プンウォルチュ)を務めた花郎(ファラン)
数年ぶりとなる再会を懐かしむチュンチュ
しかし 花郎徒(ファランド)の最高上仙(サンソン)として
また会議を主催する者として
ユシンはチュンチュとの私的な会話を 一切受け付けなかった
朝廷を 閼川(アルチョン)のものにせぬよう
チュンチュに加勢すべく戻ったと思われたユシンは
花郎徒(ファランド)が 和白(ファベク)会議に関与することを禁じた!
そして 親唐派である者が 摂政になるべきでないと明言したのである!!!
『私の意思に逆らう者は 花郎徒(ファランド)から追放する!』