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大王の夢~王たちの戦争~ 第53話 大義合一

2017-11-10 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第53話 大義合一 

 

『キム・ユシン!!! なぜ王命に背くのだ!

お前がどうしても従わぬというのなら!!

この場でお前を斬首し 王としての威厳を示してやる!!!』

 

武烈王の気迫に キム・ユシンは一歩も引くことなく反論する

なぜ唐軍に助けを求めるのか なぜ新羅(シルラ)軍を侮辱するのかと…!

 

2人の口論は 大殿(テジョン)の外まで響き渡り 大臣らを動揺させた

ユシンを辺境から戻し 重職に就けるべきだという参謀カンス

 

※大殿(テジョン):王が住む宮殿

 

しかし辺境は ユシンが自ら望んで赴任した地であった

別に 論功行賞に不満があってごねているわけではないというボムミン

これに対し弟インムンは 伯父上を罰せねば 父上の治世に傷がつくという

 

そこへキム・ユシンが現れ いきなり剣を抜き円卓に突き立てた!!!

もし大臣らが身を惜しみ 大王の誤りを正せないなら

直ちに辺境から徐羅伐(ソラボル)へ舞い戻り 斬り捨てると!

 

※徐羅伐(ソラボル):新羅(シルラ)の首都 現在の慶州(キョンジュ)

 

『私は 新羅(シルラ)の臣下で 三韓の民なのだ!

唐の手先となる者を 断じて許すことは出来ぬ!』

 

兄ユシンが冷たく追い返されたことを 文明王妃は憂えた

ボムミンは そんな母親をなだめるように話す

命懸けで諫言した伯父上に対し 父上が 王の責務を果たしただけだと

 

武烈王は 今こそユシンの意思をくじいておかねば

いずれ朝廷が分裂し 引いては民までもが分裂してしまうという

そして 誰に説得されるでもなく ユシンが自ら考えを変えねば無意味だと

 

ユシンが 親唐と反唐の反目を乗り越えて徐羅伐(ソラボル)に戻ると

そう信じなければ… そうあらねば三韓一統は成し得ないという武烈王だった

 

※三韓一統:新羅(シルラ)・高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)の三国統一

 

武烈王は 長子であるボムミンの立太子を行うという

いずれは王室の責務を継承し 大業をも受け継がねばと…!

 

辺境では

 

谷川に釣り糸を垂れるキム・ユシンの姿があった

そこへ 黒装束の一群が現れ包囲する

高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)ヨン・ゲソムンの差し金だった

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

ゲソムンは ユシンが同じ考えを持つ人物と見て接触を図って来たのだ

2人で手を組み 新羅(シルラ)の親唐派を倒そうと…!

もしユシンが挙兵するなら 喜んで支援するというゲソムン!

 

『まさか 私に謀反を起こせと?』

『謀反ではなく革命だ!

新羅(シルラ)の摂政となり この莫離支(マンニジ)と手を組めば

唐軍も 迂闊に三韓を攻められなくなるだろう』

『莫離支(マンニジ)!!! これは離間の計か!』

 

※離間の計:対象の仲を引き裂く心理戦

 

三韓の民として 新羅(シルラ)王に仕える者として

ユシンは 決して惑わされはしないといきり立つ!

しかし ヨン・ゲソムンも真剣であった

唐の皇帝に太平頌を贈り 唐の年号をも取り入れる新羅(シルラ)王!

そのような者に 三韓の民を救えるはずがないと!!!

 

※太平頌:唐の高宗の治世を称える詩

 

『この度 太子になったボムミンは 非常に誇り高い人物と聞いている

ユシン公が 太子を即位させ摂政になれば 共に唐に立ち向かえるのだ!

私情ではなく 三韓の大義のもとに決断してくれ!』

 

ヨン・ゲソムンとの会談を終え 戻る途中

ユシンの前に キム・ボムミンが兵を率いて現れる

 

辺境を守るキム・ユシンが なぜ国境を渡ったのか…!

ボムミンは 決して伯父を見張っていたのではなく

父である大王陛下と 伯父との間の誤解を解きたくてやって来たのだ

 

ユシンは 国境を渡った言い訳をすることなく 伯父として問いかける

もし自分が親唐派を倒し 陛下を廃位させたなら 即位してくれるかと

 

『何を言うのですか!!!』

『答えろ! 私が挙兵したら お前はどちらの味方に付くのだ!!!』

『もし伯父上が謀反を企てるなら 私は伯父上を斬ります!!!』

『ボムミン お前は 大義のために天倫を断つことは出来ぬのか…』

 

キム・ユシンは ヨン・ゲソムンと同じ考えを持っている

そしてまたボムミンも 同じ考えを持っていると信じていた

だからこそ 敵とはいえゲソムンの持ちかけを 無下に突き離せない

三韓一統の大業を目指しながら 決定的に異論を唱える武烈王ではなく

ボムミンが即位するなら 共に大業を成せるのではないかと…!

 

『父上は 途方もなく遠くを見渡しておられます

だからこそ父上を信じるべきなのです! 決して忠義を捨てないでください!』

 

キム・チュンチュとキム・ユシンが反目したと聞き

百済(ペクチェ)のウィジャ王は高笑いして喜んだ

 

『父子で親唐と反唐に別れ争う隙に 徐羅伐(ソラボル)を攻めよう!』

 

ユシンは確かにチュンチュと反目しているが 忠義を重んずるがゆえ

王座に挑むことは 決してあり得ないという将軍ソンチュン

側近フンスも 新羅(シルラ)の内紛を待つことなく

唐との親交を図り 羅唐同盟を揺るがすべきだと進言する

 

常に百済(ペクチェ)王室を支えてきた側近たちも

歳をとったものだと笑うウィジャ王

 

唐が百済(ペクチェ)に攻め入るとして

その途中には 高句麗(コグリョ)の精鋭が待ち構え

また倭国の軍隊が 新羅(シルラ)の後方を見張っている…!

羅唐同盟軍が この泗沘(サビ)城に攻め入ることは容易ではないと!

 

新羅(シルラ)では

 

ユシンが ヨン・ゲソムンと密談したことが問題視されていた

明らかに朝廷に背く大逆行為であると 臣僚を代表し進言するクムガン

 

これに猛反発したのは太子ボムミンである

伯父ユシンは 武烈王の即位に最も貢献した功臣であり

王室の血筋である人物なのだと…!

しかし 弟インムンが ゲソムンは反唐を掲げ国王も暗殺した者であり

そのような者と密会した伯父を 決して許すべきではないという

 

キム・ユシンを 花郎徒(ファランド)の誇りとする臣僚たちは

上仙(サンソン)を捕えるなら 揃って辞職すると騒ぎ出す!

 

※花郎徒(ファランド):花郎(ファラン)に仕える貴人の子弟

※上仙(サンソン):風月主(プンウォルチュ)を務めた花郎(ファラン)

 

これを受け武烈王は ユシンを徐羅伐(ソラボル)に呼び

すべての疑惑について 本人の口から釈明させるという

 

辺境のユシンのもとへ 弟フムスンが駆けつける

ユシンは 辺境から動こうとせず 武烈王の動向を見守っていた

チュンチュが自分を疑い 兵を差し向けるなら 自分も忠義を捨てると…!

 

そんなユシンのもとへ 閼川(アルチョン)が訪ねて来る

チュンチュが即位し武烈王となって以来 政治に関わらずに来たが

2人が反目していると知り とうとう黙ってはいられなくなったのだ

 

キム・チュンチュが即位し 名将ユシンが補佐するなら

どんな太平の世になるのかと 新羅(シルラ)の民は安堵したのに

2人が親唐と反唐に分かれいがみ合うとは まったく情けない!と吐き捨てる

 

『チュンチュを王座に就け後悔しているなら 今すぐ挙兵しろ!

ヨン・ゲソムンと手を組むなら 今すぐ長安に攻め入り皇宮を燃やせ!』

『閼川(アルチョン)公…』

『どちらも出来ぬなら 大王陛下に従え!

推挙した本人さえ従わぬなら 他の誰が王命に従うというのか!』

 

閼川(アルチョン)は 親唐政策に猛反対し

百済(ペクチェ)と手を組もうとして失脚したのだ

だからこそ 今のユシンに言える言葉がある

 

『あの和白(ファベク)会議で チュンチュ公は

ユシンを失うくらいなら 王座に挑む資格も捨てると言ったのだ

そんな陛下を なぜ信じることが出来ぬのだ!!!』

 

※和白(ファベク)会議:新羅(シルラ)の貴族会議

 

ここまでユシンを一喝できるのは 閼川(アルチョン)であればこそ

他の誰も 武烈王とユシンの反目に 意見できる人物はいなかった

キム・ユシンは 閼川(アルチョン)の言葉を受け 武烈王と和解する

そして武烈王もまた 決して唐に対し 誇りまで捧げることはしないと誓う

 

ユシンに釈明させることを口実に 徐羅伐(ソラボル)に呼んだが

武烈王の目的は それだけではなかった

文明王妃と相談したうえで 娘のチソ王女をユシンの妻にと考えたのだ

これは 王女自らも望んだことであった

 

伯父と姪の間柄で 歳も親子ほど違うと 最初は拒むユシン

そんな伯父に 是非にもと後押ししたのはボムミンだった

チソ王女が 激しく反目し合った2人を繋ぐ架け橋となり

睦まじい王室の姿を見れば 朝廷も民も 心から安心するのだと…

 

キム・ユシンが 武烈王の3女であるチソ王女と婚姻したのは61歳である

この時代の新羅(シルラ)では 近親婚が当たり前であり

キム・チュンチュとキム・ユシンは 義兄弟であり義理の親子となった

まさに 武烈王がユシンの信頼を得るための 政略結婚であった

 

ユシンの婚姻を 風の噂で聞いたケベクは 大いに喜んだ

そして自身も なかなか会えない子らを大切にしていた

戦場を駆け巡り 家に戻る暇もない夫のため 野営地を訪ねるケベクの妻

猛将と称されるケベクも 愛する妻子を慈しみ

いつの日か戦乱を治め 家庭に帰りたいと望んでいたのである

そうした当たり前の幸せを望むからこそ 国と民のため戦えるのかもしれない

 

新羅(シルラ)では

 

武烈王が 唐の皇帝と交わした秘密同盟の国書を ユシンに見せていた

新羅(シルラ)が三韓一統を成し得ない時は 20万の援軍を送る

それがチュンチュと先帝が交わした密約であった

 

しかし 三韓一統を成し得た後 唐軍が攻めてきたらどうするのか

 

武烈王は 王座を懸け唐軍に立ち向かうと言明した

そして 唐を打つ先鋒将は ユシンしか有り得ないと…!

さらに持論を展開する武烈王

百済(ペクチェ)は およそ200の城に精鋭軍を配備している

豊かな農地により 兵糧も十分に蓄えられる

たとえ100万の軍勢を送ろうとも 簡単に破れぬ強国であった

 

朝廷が分裂し 民心が乱れない限り 容易に征服することは出来ないのだ

ユシンは 武烈王の前にひざまずき

必ずや百済(ペクチェ)を分裂させ 民心を乱れさせると誓う…!

 

西暦659年 武烈王6年

百済(ペクチェ)の王宮では 賑やかに宴が催されていた

三韓一統を唱える新羅(シルラ)王は 一向に攻めて来る気配もない

唐にへつらい王座に就いた武烈王など 敵ではないと豪語するウィジャ王

 

するとそこへ 将軍ソンチュンが現れ 苦言を呈する

いかに国の財物や農地が豊かでも 君主の贅が過ぎれば国は滅びると…!

奸臣に甘んじ 享楽の限りを尽くせば いずれ民心が乱れると…!!

 

ウィジャ王は ソンチュンの命懸けの諫言に激怒し

奸臣らは 不忠なソンチュンを厳しく罰するべきだと進言した

長子プヨ・ユンは 身を賭して忠言する臣下にご慈悲を!というが

すでに太子を廃されたユンの進言は無視された

 

ケベクは 国境近くの新羅(シルラ)の城を 次々に攻め落とす

しかし 戦勝を上げながらも 何かが変だと感じていた

新羅(シルラ)軍は 以前のような覇気がなく 簡単に城を捨て退却する

すぐにも密偵を送り 新羅(シルラ)の内情を探れと命ずるケベクだった

 

『ひょっとしたら これはユシンの策かもしれぬ』

 

確かに新羅(シルラ)軍は変わった

そして ウィジャ王もまた 変わってしまったと感じるケベク

連戦連勝の報告に酔いしれるウィジャ王は 先を見通すことをしなくなった

今の百済(ペクチェ)は危ういという 臣下の忠言を聞く耳はなく

目前に広がる 三韓一統の野望を夢見て酔いしれるばかりだった

 

ケベクは 捕らわれの将軍ソンチュンに会う

すでに死を覚悟したソンチュンは 誰にも赦免を請うなと命じていた

ウィジャ王が 自分を庇う者は同じ罪に問うと 明言していたからだ

 

今の百済(ペクチェ)の太平は 偽りに過ぎぬというソンチュン

いずれ新羅(シルラ)が 唐軍を率いれ戦争を起こすと…!

そして 国運が傾くさまを見ずに死ねるのは 幸いかもしれぬとつぶやく

 

長きに渡りウィジャ王に仕えた名将ソンチュンは

命懸けの忠言を最期に 獄中で餓死した

奸臣に惑わされ 時世が見えなくなった百済(ペクチェ)王

 

キム・ユシンは 今こそ百済(ペクチェ)に攻め入る好機だと進言する!

偽りの敗北を重ね 百済(ペクチェ)が先勝に酔いしれ

好機が訪れるのを待ち続けたユシンであった…!

 

これを受け 武烈王は いよいよ唐へ国書を送り

キム・ユシンは 各軍に戦闘準備を整えるよう命じ 出征に備えた

 

ふと 花郎(ファラン)の修練に目をやり ある若者に注目するユシン

将軍キム・プミルの息子クァンチャンは まだ15歳の少年であった

憧れの名将キム・ユシンに呼ばれ 緊張して挨拶するクァンチャン

 

※花郎(ファラン):美しく文武両道に秀でた青年の精鋭集団

 

ユシンは クァンチャンの気概を褒めつつも 戦場に出るには早いという

その昔 ユシンは16歳で 椵岑(カジャム)城へ単騎で出陣した

それは今も 花郎(ファラン)の伝説として語り継がれている

クァンチャンは 年齢を理由に早いと言われ 名将に対し勇敢に反論した

 

ほほう… と感心し 兄ユシンに目くばせするフムスン

ユシンも苦笑し いい息子を持ったという

プミルは 誇らしげに我が息子を見つめるのだった

 

ユシンは 息子サムグァンと側近グングァンに 奇妙な甲冑を見せる

亀の甲羅を模した甲冑には 文字が記されてる

“百済同月輪 新羅如月新”

この甲冑を 百済(ペクチェ)王宮内に埋めてきてほしいというのだ

すでに 百済(ペクチェ)の臣僚を買収しているので問題はないが

なぜこれを?と まったく意味が分からない2人

 

『これが世に出る時 百済(ペクチェ)の国運は尽きる…!』

 

一方 武烈王は 閼川(アルチョン)を呼び語らっていた

閼川(アルチョン)の説得なくして 今の状況はなかった

またあの時 摂政の座を譲り受けなければ 王座に就くこともなかったのだ

 

そんなことを語り合うために 呼んだわけではないだろうと

こうして王宮に呼んだ 武烈王の真意を訊ねる閼川(アルチョン)

 

『陛下 私に何か任務でも?』

 

それを話す前に 武烈王は 今でも羅唐同盟に反対か?と問う

今でも朝廷は 親唐派と反唐派に分かれている

しかし武烈王は 派閥を問わず すべての臣僚を大事にしていた

その治世を見て今さら 何を疑うことがあろうかと答える閼川(アルチョン)

 

そこで初めて 任務について口を開く武烈王

長安へ行き援軍を請う役目を 閼川(アルチョン)に任せたいと…!

閼川(アルチョン)が同盟に反対していたことは 唐にも知れ渡っている

その本人が 自ら援軍を請いに出向けば 大義を疑う者はいないと

 

己の罪を認め 政治から身を引いていた閼川(アルチョン)

この大役を果たすことが出来れば 願ってもない罪滅ぼしになると

謹んで王命を受ける閼川(アルチョン)だった

 

唐の皇宮

 

使者としてやって来た閼川(アルチョン)に対し

第3代皇帝高宗が 容赦なく詰問する

同盟に反対し 高句麗(コグリョ)と手を組もうとまでした

そんな閼川(アルチョン)が使者では 簡単に信じられるものではない

 

『先代皇帝は 三韓の大業は 三韓の民が成すべきと仰せでした

私は その意思を信ずるのみでございます』

 

高宗の意地悪な詰問が続き 唐が援軍を出した場合

新羅(シルラ)軍は 唐軍の指揮下に置かれるとまで言い放つ!

 

三韓の地の利に不確かな唐軍が指揮をすれば 上命下服の軍律が守れない

それでは 先帝の意思に反すると 真っ向から反論する閼川(アルチョン)

同行しているインムンは 形勢が不利になる気がして表情が曇る…!

 

『先帝と結んだ同盟の意義に従い 両軍の将帥に同等な地位を保証すれば

今回の戦いに 初めて勝算が生まれるのです!』

 

唐の皇帝にへつらうことなく 真摯に援軍を請う閼川(アルチョン)

これにより 正式に同盟が果たされることとなった

三韓一統の足掛かりとなる 百済(ペクチェ)出兵の王命が下されたのだ!

 

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