“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

福島原発と一揆

2011年07月20日 20時03分42秒 | 臼蔵の呟き
台風の影響で風、雨が被災地を蔽い、もやっています。

福島県浪江町の酪農家、福島市の農業者の方の話を聞き
ました。要約して書きます。
警戒区域内の家畜は飼い主がいないために野生化、放し
飼い状態になっているそうです。豚は食べるものがなく
豚が豚を食べているそうです。また、野生化し簡単な壁
等は壊されあらされているそうです。
牛は殺処分が政府の指示ですが、酪農家の三分の二は承
諾せず、殺処分はされていないそうです。当初は殺して
も埋葬する事を認められず、死骸に石灰をかけるしかな
かったそうです。(酪農家は感情的に許せなかった)

この方は、現在、定期的に牧場に通い餌を与えているそ
うです。多くの酪農家も同じような行動を取っているそ
うです。周囲は牧草が沢山生えているので食べるものは
沢山あり牛は生きることが出来るようです。
水は水を飲める場所に牛が自ら移動し、のんでいるとの
事でした。

なぜ出荷できない牛を生かし給餌するか?
放射能で汚染された牛がどのようになるかを科学的に検
証すべきだと考えているのだそうです。繁殖もあるよう
で子牛に放射能汚染がどのような影響が出る、あるかも
検証すべきと考えているのだそうです。(泣いてそのよ
うなことを話していました)
多くの大学、研究機関からも研究の対象として申し出が
あるとのことでした。なんともいえない話です。

東京電力からの酪農家に対する損害賠償は全くないそう
です。東京電力の本社にも抗議、補償の要求をしたが全
く対応がされていないとのことです。このままでは餌代
生活費、計を維持する事が出来ず破綻する。その結果多
くの酪農家は展望が持てないために自殺者も出ると思う
と話していました。
東京電力、政府の愚作に殺されてしまう。何とかしなけ
ればならないと仲間に、町民に呼びかけて政府に要求し
補償をさせよう。と立ち上がる取り組みを行っているそ
うです。
現代における「農民一揆」を起こし、政治を変え、農民
酪農家、町民を救済しなければとーー自分は東京電力と
心中するつもりでいるとのことでした。
東京電力の無責任さ、いい加減さ、放射能汚染を引き起
こした責任の大きさを自覚しない手前勝手さには怒り心
頭です。同時に、政治の冷たさ、政府の無能ぶりは目を
覆うばかりです。原発をすすめた自民党政権、現在の政
権政党民主党の無責任さは許すことができません。
原発の再開をいう民主党、自民党などのいい加減さは事
故、汚染で苦しむ地域住民の神経を逆なでしています。
政府に原発事故被害者、被害産業への補償を今すぐ、行
うように要求しましょう。そのような声を周囲の人に伝
えましょう。その声を束ね、大きくして政府を動かすよ
うにしましょう!









高台移転について考える

2011年07月20日 06時50分13秒 | 蜂助の呟き
おはようございます。蜂助です。

台風6号が近づいていて心配です。太平洋高気圧があるため東北地方には近づけずに四国沖で直角に東向きに進路を変更しているようですが、防潮堤が破壊された無防備の被災地に大きな台風が近づくと恐ろしい事態になります。早く対策を打ってほしいものです。

高台移転について以前に書いたら、複数の方から「高台移転に反対なのか」と言われました。反対ではないけど・・・    と思っていましたが、現在は「被災した当事者が高台移転はいやだという人に高台移転をさせるな」という考えに至っています。

人類の歴史を考えても海辺は多くの文明を与えてくれました。貝塚が全国各地にあるのも豊かな海があったから日本人が暮らしていけたのです。人々は、津波が怖いというだけで生きてきたわけではありません。津波、津波、   これが怖いから海から離れる・・・
こんな歴史は日本にも、世界にも無かったのではないでしょうか。人は防災のみで生きていません。人々には暮らしがあり、仕事があり、生きるための営みがあります。そのために、ある人は山に住み、ある人は里に住み、ある人は海に住んできました。海に暮らす人々は、舟に乗り魚を獲り、舟に乗らない者は海岸にある幸を獲り、家族はそれを調理し、家族や地域コミニュティーが成り立ってきました。歌や踊りがあり、祭りがあり、食文化があり、自然を大切にし、乱獲しないようにして自然の一部になり、ひっそりと暮らしてきました。

高台移転をして、通勤すれば良いと言われていますが、80歳のおばあちゃんは通勤は出来ないのではないでしょうか。年老いた人も浜では、その人はなりの役割がありました。小さな子どもや奥さんも海から戻った父や夫を迎えて、収穫した物を運んだり、応援したりしてきました。海に住んでいたからこのような豊かな暮らしができましたが、通勤するようになると夫や父だけがこの仕事に従事するようになります。
昨日も書きましたが、漁業権は生活そのものだと思います。

海に住んでいても、津波に負けない暮らしを作れないものでしょうか。津波を抑えようなんて思わないで、津波の勢いを押さえつける「減災」の防潮堤・防波堤を作り、頑強な避難施設を作りそこに逃げる。津波で千年後に街がまた破壊されてもいい、だけど死者は出さない。こんな考えはダメでしょうか。

津波からの防災という近視眼的な考え方で高台移転を考えるのは反対です。奥尻島でもこの取組みは失敗していると聞いています。さらに、ジャワ地震と津波の後でも住民から反対されて低地に美しい街が作られたと聞いています。
津波から逃げるのではなく、津波に負けない、語弊があるかもしれませんが「津波と共に生きる」方法を作るべきだと思います。

日本人は、事実に正面からぶつからず、あいまいにする傾向があるそうです。この津波対策だって、あいまいにせず正面からぶつかって考えれば、高台移転ではなく、浜に美しい安全な街を作ることではないでしょか。