“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

原発被害と自治体、住民の意向

2011年07月25日 14時32分17秒 | 臼蔵の呟き
仙台は薄曇、すこし涼しい気温です。

大熊町町民11,042人、アンケート回答者3,419人
2011年7月時点でのアンケート調査

 放射能汚染があるので街には帰らない。 9.0%
 <どのくらいであれば大熊町に戻るのを待つか?>
 3~5年      19.7%
 半年以内      9.0%(実質は12年上期)
 10年以内     5.1%
 いつまでも待つ  13.2%
 1~2年      41.0%
 
帰へる条件は、政府による安全宣言、上下水道などの生活基
盤整備が最低限度の条件です。自分の町、家に帰る事が出来
ない悔しさと願望です。長渕剛さんの歌詞に「旅に出るのは
帰るところがあるからだ」という歌詞があります.
自分の家、故郷に帰るあてがない浜通り住民が何万人も出て
います。流浪の旅に?

11年の統一地方選挙が延期され、再延期がされました。一
番困難なことは住民(選挙民)が圏外を含めてばらばらで連
絡をとることが困難だとの事です。また、自治体が庁舎ごと
避難しているので選挙準備自身も非常に困難との事です。

昨日、ほうねん座が震災復興チャリティを行いました。(秋
保)その中で稲垣さんのピアノ、福島県伊達市霊山たいこ、
空飛ぶくつした(3人のグループ)を聞いた。稲垣さんは自
分が作曲した曲を数曲を演奏しました。震災にあたって、家
族の為になどテーマにした曲で感動しました。また、霊山た
いこは数十年の伝統祭りであったが、今回の汚染で祭りが中
止になり、発表する場を奪われたとの事でした。あらゆると
ころに震災、原発事故の被害が広がっていること。聞いてい
て涙が出ました。

原発事故が収束し、除染などを行い、可能なかぎり、いつも
の(普段)生活がおくれる環境を作り出して欲しいと感じま
した。難しい、お金がかかることは分かってもそのことこそ
が政府、東京電力、原発推進企業の責任、義務だと思います。





阪神淡路大震災から学ばぬ政治

2011年07月25日 06時16分41秒 | 蜂助の呟き
おはようございます。蜂助です。

真夜中の地震で飛び起きました。私の住んでいるところは震度4でした。東京でも震度2とのことです。被災地では余震で安心できない日々が続いています。

内橋克人という方の「浪費なき成長」という本の第一章の「被災地神戸の復興策は日本型経済の象徴」というところにこんなことが書かれていますこの本は2000年2月に発行されています。

 「では、それから5年、被災地の経済と人々の暮らしはどうなったでしょうか。
 期待から遠く離れた厳しい現実が見舞っています。被災地にとって真の苦難はこれから、とさえいわれてます。始まっているのは復興の「停滞」ではなく「後退」だ、と私は震災5年の現実を語っています。(中略)
 神戸市のアンケート調査では、震災前にくらべ生活水準が低下している、と答えた人は46.2%。暮らし向きが低下した理由として多くの人が住宅費の増加、収入源、経営不振をあげています。
 まさに「リスク社会」の実相を目の当りにする思いです。
 いま地元経済はしばしば「八割経済」といわれます。震災前にくらべて経済活動が八割方回復したという意味です。現実はそれどころではないでしょう。何よりも復興格差の急進が大きい。
 震災地にはこの五年に二兆六一〇〇億円の復興支援資金が投じられていながら、どうして被災者の生活再建には思ったように進まないのでしょうか(国と自治体が投入した公共工事はじめ復興資金合計は10兆円)
 政治にも自治体にも「マクロ生産基盤」の回復は焦眉の急であっても、ミクロな「生活基盤」「生存基盤」の回復、つまり人々の暮らしの回復はほとんど眼中にない、といった姿勢で作業が進められたからです。先にあげた二兆円超の支援資金にしても被災者の自立支援金は九八〇〇億円にとどまっています。」


長い引用でしたが、えっ、これって今の宮城県のこと、と思ったのです。歴史から学ばない政治が繰り返しているようです。

被災者の生活、なりわい、職場、地域コミニュティーを大切にすれば、このような発想はできないはずだと思うのは私だけでしょうか。