“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

戦後のがれきを思い出した

2011年07月28日 06時00分57秒 | 蜂助の呟き
おはようございます。今朝は、滋賀県の彦根市に居ます。井伊直弼が城主だった城のすぐ近くです。それほど暑くなく仙台と変わらないような気温です。

 私は東京都練馬区で育ちました。家から200メートルくらい離れたところに子ども達が「ごみ山」と呼んでいた所があります。遠くから見ると、草や低木が生えているため低い丘のように見えます。
 なぜ、「ごみ山」なのか。そこには、壊れたおもちゃ、ペンなど文房具、食器、瀬戸物、インク坪、さらには防毒マスクなどわけのわからないものがたくさんありました。そうです、東京の空襲で焼け野原になった瓦礫(がれき)の分別カスで山が作られていたのです。

 東京オリンピックが開催される前年の1963年位まで「ごみ山」があったと記憶しています。終戦が1945年ですから、実に18年間も放置されていたのです。練馬区は東京都では田舎ですから、都心から隔離した外部者からは見えない場所です。

 東日本大震災の瓦礫(がれき)を見て、焼け野原になった日本を想像してしまう国民は多いのではないでしょうか。現在の瓦礫を18年後には見ることが無いように願います。

本日は、私が絶対に行かなければならない所に行きます。