会長の就任発言、百田委員の田母神支持発言、長谷川委員の右翼幹部礼賛と朝日新聞攻撃などは、経営委員としての資質、放送法に抵触することはあきらかです。安倍、菅大臣に答弁は彼らを擁護し、野党の質問は政治的圧力であり、籾井、百田、長谷川氏が政治的圧力(?)に屈しないで欲しいと解党する審議は異常としか言いようのないレベルです。
自民党、安倍、自民党政権のおごりと統治モラルの崩壊は、泥沼のような状況を呈しています。海外のマスコミもこの予算委員会での質疑内容を報じています。特に歴史認識議論の異常さを日本政治、安倍、自民党の右翼的政策を気炎であるとして報じています。衆参選挙結果はこのようなNHK経営委員の右翼化、放送法の無視を容認したことにはならず、このような安倍、菅、自民党の対応は厳しい審判を下すことが必要です。
<北海道新聞社説>
私的な言動として見逃すわけにはいかない。
籾井勝人(もみいかつと)会長の歴史認識発言で揺れるNHKで、今度は、最高意思決定機関である経営委員会の百田尚樹(ひゃくたなおき)委員が東京都知事選の応援演説に立ち、その発言内容とともに波紋を広げている。
長谷川三千子委員も、政治団体元幹部を称賛する追悼文を発表していたことが明るみにでた。
両氏は「経営委員であることは自らの思想信条を制約しない」と主張するが、そうだろうか。経営委員は政治的中立をうたった公共放送の根幹を担う。放送法は「公共の福祉に関し公正な判断ができること」を条件に掲げている。選挙で特定候補を応援したり、政治活動家を礼賛する思想を公言したりする人物が規定に反するのは明らかだ。適格性が厳しく問われる。
経営委員は衆参両院の同意を経て首相が任命する。国会は早急に両氏を呼び、説明を求めるべきだ。
百田氏は、先の大戦による東京大空襲や原爆投下を米軍の「大虐殺」と指摘し、戦犯を裁いた東京裁判も「それをごまかすため」との持論を展開した。南京大虐殺の史実も「なかった」と力説した。この史実をめぐって論争があることは確かだが、東京裁判を受け入れることは、戦後日本の出発点である。その否定は、日本の歩みそのものを否定することにつながる。国際的信用にもかかわる。
また、都知事選の他の候補を「人間のくずだ」と繰り返し述べたことも、あまりに品格に欠ける。
一方、長谷川氏は、追悼文に政治団体元幹部の自殺行為をたたえ、抗議先となった朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と記していた。男女共同参画についても「女性は家庭にいるべきだ」と復古的な立場を取っている。
2人はともに保守系論者で、安倍晋三首相の再登板を求める民間有志の発起人を務めた。昨年11月にそろって委員に起用されたのは、安倍氏の後押しがあったからだとされる。
職責を顧みぬ言動に対し、首相の任命責任も問われよう。
NHKが視聴者の受信料で支えられている以上、経営委員の人選には何よりも透明性が求められる。選考方法の見直しが必要ではないか。委員を公募制とし、候補者には国会で意見陳述をさせるなど、国民が納得できる仕組みが不可欠だ。
NHKでは、ラジオ番組の出演者が発言内容の変更を要求され、出演を辞退するトラブルも起きている。
公共放送の信頼が根底から揺らぐ。職員の萎縮が心配だ。