“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

アメリカ大使館のNHK取材拒否

2014年02月19日 14時42分10秒 | 臼蔵の呟き

籾井会長、百田経営委員の暴言、発言の繰り返しにより、アメリカ政権、アメリカ大使館の対応が話題となっています。自業自得です。しかし、日本で最大の公共報道機関が、取材拒否をされるまで事態を悪化、放置した安倍、自民党極右政権の任命責任こそが追求されなければならないと思います。

安倍、籾井、百田の個人的な関係などはどうでもよく、その個人的な関係と守ることで外交関係までもが不正常になることこそが問題です。安倍の意識、考え方と酷似している籾井、百田、長谷川などの極右人物の登用をやめ、罷免すべきです。

<東京新聞報道記事>

NHKの籾井勝人会長や経営委員の百田尚樹氏の発言をめぐり米大使館が同局のキャロライン・ケネディ駐日米大使インタビューに難色を示している問題で、籾井会長は19日の参院総務委員会で「取材や制作の過程については答えを差し控えたい」と述べ、発言による現場への影響について明言を避けた。民主党の吉川沙織氏に対する答弁。13日の定例記者会見で、自身の発言で大使館などへの取材が困難になっているケースについて「ないと思う」と説明していたこととの整合性もただされたが、籾井会長は「お答えできない」と同様の答弁を繰り返した。

<日刊現代報道>

いつまで強気でいられるか――。NHK経営委員の百田尚樹氏の放言が、外交にも悪影響を与え始めている。米国のキャロライン・ケネディ駐日大使が、「南京大虐殺はなかった」「東京裁判は(米軍の)大虐殺をごまかすための裁判だった」などという百田氏の一連の発言を理由に、NHKの取材を拒否していたことは深刻な問題だ。

「大使館が、特定の問題を理由に公共放送のインタビュー取材を拒否するのは、極めて異例のことです。それほど、百田氏は“危ない”と見られている。もちろん、取材拒否は本国の指示によるもので、日米関係がかつてないほど悪化している証左です。経営委員や会長の人事が、NHKの報道現場に影響を与えるだけでなく、外交上の問題に発展しているのです」(元外務省国際情報局長・孫崎享氏)

 ところが、百田氏は〈百田尚樹を国会に呼び出せよ! びっくりするようなこと、いっぱい喋ってやるから〉とツイートするなど、挑発的な言動を続けている。ケネディ大使の取材拒否についても、15日には〈アメリカ大使が百田尚樹の街頭演説を理由に、NHKの取材に難色を示したという。もしこれが本当なら、アメリカは「東京大空襲と原爆投下は大虐殺」という言葉に、よほど腹が立ったのだろう〉、16日は〈現在、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、テレ朝、TBSが百田尚樹ネガティブキャンペーンを実施中。さすがにその威力はすごくて私の本の売れ行きが減ってきた〉とツイートしていた。

 


名護市長選挙 4000票の差を生んだもの

2014年02月19日 12時59分06秒 | 臼蔵の呟き

安倍自民党政権の傲慢さ、身勝手さがあらゆる対応策にでた名護市市長選挙、普天間移設問題でした。沖縄の善良な県民、市民の良心を踏みにじり、肉親が移設、基地反対などをめぐって争わなければならない関係を作り出し、強要するのが安倍、自民党政権、アメリカオバマ政権、アメリカ軍です。このようなことが永遠に続くことはありえず、必ず、沖縄県議会決議、名護市市長選挙に示された意思が実現することは確実です。

善良な市民に対して札束で意思を捻じ曲げる、転向を迫るような政治行為が有効であるはずがありません。原子力発電所設置、建設地域(その多くは過疎化、雇用がなくて経済的に疲弊している地域)住民、自治体を札束と補助金で買収し、従わせてきたか結果、福島第一原発事故を引き起こした。この構図と全く同じです。原子力行政、電力会社の傲慢な対応、原子力ムラの利益追求構造は白日の下に引きずり出され、誰もがそのどす黒い意図、彼らの非人間性を確認しました。

人間の尊厳を札束で踏みにじる安部、自民党政権、また、彼らに連なる利益集団、アメリカ政権、軍部の思惑が成功することはありえない。善良な沖縄県民、名護市民、善良な福島県民、汚染され避難する東北の避難者は安倍、自民党政権、電力会社、原子力ムラの非人間性、彼らの倫理観を告発し続ける。金で転んだ仲井真沖縄県知事、東電擁護した福島県知事佐藤、渡部恒三(当時の自民党議員)などを決して忘れない。

<毎日新聞記事>

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設の是非が問われた19日の名護市長選で、移設に反対する現職が、移設推進を訴えた新人を約4000票の差をつけて破った。勝敗を分けたものは、沖縄の人々の誇りを傷つけた政府・自民党の手法や、そのやり方に屈した仲井真弘多(ひろかず)知事への人々の怒りだったと思う。

 告示前日の11日から4日間、名護市などを歩いた。両陣営の出陣式、街頭演説、住民集会、街の声。どこへ行っても出てきたのは、「カネさえあげれば沖縄の人は何でもオーケーすると思われるのが一番、悔しい」という声だ。

 名護市辺野古で農業を営む比嘉英憲さん(70)は、辺野古で生まれ育った。移設に反対する現職の稲嶺進氏を支持した理由を「騒音もあるが、事件事故が心配だ。振興策で潤うのは企業だけ」と語る。比嘉さんは声を荒らげない。とつとつと絞り出すように話す。そして最後にこう言った。「県民は反対しているのに、知事は交付金をいっぱいもらったからといって、首相に『驚くべき立派な内容。140万県民を代表して感謝する』なんてばかみたいなことを言って、逆効果だ。本土の人たちからメア(元米国務省日本部長)が言ったように思われるんじゃないか」

 メア氏とは3年前、沖縄県民を「ゆすりの名人」と侮辱した発言をしたとされ、米国務省日本部長を更迭された人物だ

 仲井真知事が、政府から大規模な振興策を提示されて、県外移設公約と明らかに矛盾する辺野古埋め立てを承認したことにより、メア氏が言ったように、沖縄の反基地運動は結局カネ目当てだと本土から誤解されるのではないか。知事の言動は県民への冒とくであり、恥だ−。比嘉さんや多くの市民はそう受け止めた。

 辺野古も反対一色ではない。むしろ他の地域以上に移設容認派の動きも活発で、事情は複雑だ。もともと辺野古には、経済振興のために米軍キャンプ・シュワブを誘致した歴史がある。「銃剣とブルドーザー」で基地用地を強制接収された他の地域に比べると、基地と共生する意識が強いとされる。辺野古区は1〜10班の地区に分かれるが、住民はキャンプ・シュワブを「辺野古11班」と呼び、海兵隊員も参加して毎年、区民運動会を開くなど、親睦を深めている。

 辺野古に住む無職、當山(とうやま)勇さん(68)は、移設推進を訴えた新人の末松文信(ぶんしん)氏を支持した。當山さん自身はキャンプ・シュワブ内のクラブで30年近く働いてきたが、移設を受け入れて街を活性化しなければ、このままでは若者の仕事がなくなることを心配している。「そのために基地を持ってくるんですね」と私が確認しようとすると、「基地を持ってくるんじゃない。カネで命を売ると言われるが、そんなものじゃないんだ。地域の活性化のためにはどうしても国のカネが必要なんだ」と怒ったように言った。

 名護市長選で辺野古移設の是非が問われたのは1998年以来、5回目だ。結果は、移設への容認派が最初に3勝し、反対派が前回と今回で2連勝した。97年には市民投票もあり、反対派が勝利している。

 いずれも市民を二分する厳しい選挙戦で、有権者は、悩み、怒り、中には親兄弟までもが争う中で、経済振興か基地反対かの選択を求められた。

 そして今回、移設反対の地元民意が示されながら、防衛省は投開票の2日後には早速、辺野古埋め立て工事の受注業者を募る入札公告を行った。市民は地域が分断されるような選挙を長年にわたって戦わされ、移設反対の選挙結果が出ても、安全保障は国の専管事項だからといって考慮されず、工事が進められようとしている

 那覇市の首里城近くに住む大城立裕(おおしろたつひろ)さん(88)を訪ねた。沖縄初の芥川賞作家で、「小説 琉球処分」の著者だ。琉球処分とは、明治政府が、琉球王国を強制廃止し、沖縄県を設置して、近代日本に編入した過程をいう。

 大城さんは「普天間飛行場を国外に移設できればそれに越したことはないが、せめて県外に移設すべきだ。県外移設はできないというが、政府からきちんとした説明を聞いたことがない」という。そして「沖縄に対する差別は民衆生活レベルではかなりなくなったが、政治の差別は残ってきた。政府は沖縄を軍事植民地化し、琉球処分の総仕上げをしようとしているようにみえる」と語った。

 政府・自民党が、振興策に絡めて基地受け入れを迫るむき出しの「アメとムチ」の手法は仲井真知事らには通用したのかもしれないが、名護市民や県民からはかえって怒りを買ってしまった。それでも政府は、この道をひた走るしかないと思い定めているようだ。

 地元に対する説得力に乏しく、行き詰まっても他の選択肢を検討する余力がない。そんな国の政治の力不足のつけが、沖縄に押しつけられているようにみえる。

■毎日新聞社説再録

○名護市市長選挙 移設反対の民意生かせ

 沖縄県名護市長選で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する現職が、移設推進を掲げた新人を破り、再選を果たした。

 基地受け入れの是非が真正面から問われた地元の市長選で、反対派が勝利した意味は重い。地元の民意に背いて移設を強行すれば、反対運動が高まるのは確実で、日米同盟の足元は揺らぎ、同盟は弱体化しかねないだろう。

 普天間飛行場の危険を一日も早く除去するため基地負担軽減策を進めるとともに、普天間の固定化を回避するためには辺野古への移設という選択肢しかないのか、今一度、再検討の必要がある。振興策と引き換えの基地押しつけでなく、発想を変える必要がある。(1月20日掲載)


貿易は平和のために 原発は輸出財ではありえない。

2014年02月19日 10時59分57秒 | 臼蔵の呟き

浜教授は、金融、為替などにかんして積極的に意見表明、書籍の出版を通じて、グローバル社会、経済の動向、本質について見解を明らかにしています。優れた現状分析をされる優秀な経済学者でもあります。似非学者である竹中平蔵などとは質も、知的レベルも異なる学者です。安倍の経済政策の問題点についても当初より、機会あるごとに警告、意見表明を行っています。示唆にとんだ講演内容です。

<記事内容>

同志社大学大学院教授・浜矩子は1月31日、「貿易は平和のために 原発は輸出財ではありえない」という演題で講演した。 

もう一度、去る6月の安倍さんの成長戦略スピーチに話を戻すと、そのスピーチの中には「人間」という言葉は人間洗濯機ということで一度しか出てこなかったのですが、それに引き替え、むやみやたらに連発された言葉がありました。 「成長」という言葉が41回出ております。 「世界」という言葉が37回出ておりました。 メインテーマである「成長」とほぼ同じ回数で「世界」という言葉が出ておりました。 「世界」という言葉が、メインテーマである「成長」とほぼ同じ頻度で出ていたこと自体は、一国の総理大臣のスピーチですから、世界に思いを馳せ、世界に言及することは多々あることでございますし、そうでなければ困ることでもあります。

ですけれども「人間」という言葉がどのような脈絡の中で登場していたかということと同じようにあげつらって言えば、「今、再び日本が世界をリードする時が来た」とか、「再び日本が世界の中心に位置することができる」「世界最高水準を目指す日本」「企業が世界一活動しやすい日本を目指す」「世界大競争に打って出る日本」「世界で勝つ日本」、遂には「世界を席巻する日本」という言葉まで飛び出してくる有様でした。

世界一になるというスピーチを聞いて私は「そういう事か!」と思ったことがございます。 要するに「安倍政権の成長戦略とは、世界制覇戦略なのである」と。 安倍政権の目指すものは「富国強兵」なのであると。 アベノミクスで富国、憲法改正で強兵、こういう方向感を持っているのだなと実感いたしました。

もっとも、憲法そのものの明文改正はさすがにハードルが高いという事が分かってきて、裏口から事実上の憲法改正を狙うような格好になるようですが、いずれにしてもそういうところが狙いなのだなと考えられ、平和のための貿易には程遠いと思われます。

「しかし、「世界一になる」という発想は、実にグローバル時代の現実と相性が悪いのです。 「ぼくちゃん、世界一になるんだもん」という奴がどういう意味合いにおいてグローバル時代と相性が悪いかというと、グローバル時代は「だれも一人では生きていけない」時代なのです グローバル時代というのはいまだかつてなく相互依存度が高い関係で人びとが国境を越えて結び付いている、「誰もが、誰かから力を借りて生きている」のがグローバルな時代の現実です。

ところがこのところ、この辺を誤解してきた面がありますが、「世界に勝つ」というような言葉にも滲み出ております。 グローバル時代は「誰もが一人で生きて行くしかない時代だ」と思われて来てしまった面がございます。 「自己責任で、自力で勝者になることによって生きて行くしかない」と、いわば「お一人様」で生き抜いて行くしかないと思われてきた面があると思います。

福島のある小さな会社が、3・11の大震災の被害で創業停止に追い込まれた時、世界中で自動車の生産が止まってしまったという事がございました。 グローバルジャングルの巨大なる王者である世界の自動車産業、その強きもの大なる者といえども、微小にして弱き者といえる部品工場の操業中断によって自動車生産ができなくなってしまう。 これがグローバル時代の現実なのです。

大なる者も小なる者も、強き者も弱き者も、老いたる者も若き者も、皆夫々役割をもって支え合って生きて行く、誰もが分かち合いのシェアの連鎖の中に組み込まれている、これがグローバル時代なのです。

そういう現実があるところに「ぼくちゃんだけが、一番になるんだもん」というような奴が、奴とは誰か?皆さまにはすぐお分かり頂けるとおり、「あの方」でございますが、その奴も一人では生きていないのです。 グローバル経済の中にどっぷり浸かって支えてもらいながら生きているのに、自分を支えてくれているみんなを蹴散らかして「ぼくちゃんだけが、一番になる」、これは典型的にして過激な奪い合いのシェアの発想です。

分かち合いのシェアがもたらす共生の生態系がうまく回っていれば、貿易は至高の防波堤になるわけでございますのに、極限的に奪い合いのシェアの者が流れ込むことは(生態系に)破壊的な力をもたらすわけでございます。

そして、ぼくちゃん のように、誰か一人がそういう発想で動き出すと、周りの人たちも自己防衛上同じように動き出してしまう。貿易が平和のための防波堤ではなく戦争の道具になってしまうわけでございます。

ある方の言葉を思い浮かべます。 マリー・キュリーさんの数多くの名言の中で「人生の中において恐れる必要があることは何もない。必要なことは、理解することである」との言葉でございます。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というようなことでございますが、キュリー夫人の言葉を掘り下げてみれば、原子力を扱っている方々が如何に原子力という技術を理解していなかったかが、福島の事故でよく分かったと思います。 何を恐れるべきか、ということさえ理解できていなかったのではないか。もっと理解してからでなければ、ああいう商業適用すべきではなかった。いわんや輸出の対象物にすべきではないのです。

理解なき恐れは確かに怖いですけれども、恐れること理解しようとしない感覚の怖さをあらためて感じるのでございます。無知がもたらす恐れ知らず、これほど怖いものはないという気がします。 


大間原発に反対する函館市

2014年02月19日 06時51分52秒 | 臼蔵の呟き

東日本大震災から3年が経過しようとしています。安部、自民党政権、電力会社各社、原子力ムラの企業群、御用学者は一斉に、原子力発電所を再稼動するための策動を始めています。しかも、事故の原因すら究明せずに、ベトナム、中近東、インドなどに原子力発電所を輸出しようと画策しています。ベトナムでは反原発団体が、福島原発事故被害者、有識者の報告を聞き、意見交換する会議も開催したとのことでした。国の経済を活発化させたい。経済規模を拡大し、生活レベルの向上を目指したい。そのために、電力不足を解消したい。その1つとして原子力発電所を考える国があるのはうなずけます。しかし、原子力事故を引き起こし、三年もたたない日本が、兆円単位で事故処理、除染、冷却水のコントロールすら出来ないでいながら、輸出を働きかけるのは、異常であり、死の商人といわれても当然です。

国内では、函館市のように、自治体としての区分では北海道に位置する自治体でありながら、青森県大間原発が青森市よりも近い距離にある自治体が国、原発建設企業より無視され続けることは異常であり、許されるものではありません。青森県は大間原発が事故を起こした場合、函館市に対してどのような対応をするか、考慮する道義的責任、自治体としての政治責任があるはずです。自らが原発企業、国からの補助を受けて、地域、行政としてはその甘い汁を吸う。しかし、近隣自治体、市町村が事故の可能性を検討し、反対する意見には耳を傾けない。そのような姿勢が許されて良いはずはありません。

函館市の抗議、建設中止要求こそが正当性を持った判断、姿勢と考えます。利害を超えて判断できる自治体の意見こそ、まじめに検討することが王道です。利害関係者が握り合い、まともな検討もせずに、暴挙を繰り返すことを許してはならない。福島第一原発事故の愚挙を再現させてはならない。 

<河北新報社説>

 3年前、東京電力福島第1原発でメルトダウン(炉心溶融)が起きた時、放射性物質はどこまで飛来したのか。風で北西方向に流されて原発の30キロ圏をはるかに越え、福島県飯舘村や川俣町、福島市、伊達市なども高濃度に汚染された。さらに県境を越えて宮城県の丸森町などにも広がった。いったん環境に放出されてしまえば、風向きや降雨によって50キロ以上離れても深刻な汚染に見舞われてしまう。予想を超えて放射能汚染が広がることは、福島原発事故によって初めて示された事実だ。

 青森県大間町に建設中の大間原発(出力138万キロワット)について、北海道函館市が事業主体の電源開発と国を相手に建設差し止めを求めて提訴する方針を固めた。地方自治体が訴訟で原発建設に異議を唱えるのは前例がないが、函館市の置かれた状況を考えれば不思議はない。大間原発からの距離は津軽海峡を挟んで最短23キロ。しかも大間原発は世界で初めて、全燃料棒がプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料というタイプになる。
 法廷では広範に原発をめぐって主張を闘わせるべきだ。事故の際の避難や被ばく防護策はもちろんだし、原発の建設や運転の是非に意見を出せる「地元」の範囲を一体どこで線引きするのかも問題になる。さらにウランとプルトニウムとの核特性の違いや制御への影響といった技術的なポイントに関しても、できるだけ双方で主張を展開すべきだ。
 函館市は以前から大間原発の建設に批判的な考えを示していた。30キロ圏の「緊急防護措置区域」(UPZ)に含まれるのに、建設同意手続きなどで蚊帳の外に置かれていることへの不満があった。住民の被災が現実的に想定されてヨウ素剤配布の準備などが求められるにもかかわらず、電源開発や国に意見を出せないのは納得できないだろう。
 原発建設ではこれまで、立地する市町村と県などが発言権を持っていたが、福島原発事故で状況は変わったはずだ。
 放射能の拡散を考えたら、例えば50キロ圏の市町村を全て同等に扱うのが筋ではないか。事故で被る影響を尺度にすれば、同じUPZ内の市町村を区別することに合理的な理由は見いだせない。

 大間原発の危険性についても函館市は不安を抱いている。プルトニウムはウランより中性子を吸収しやすく、その分制御棒の効き方が低下することが知られている。審査権限を持つ国は安全面について十分に説明しなければならない。
 フルMOXは使い道のないプルトニウムの大量消費という側面もあり、核燃料サイクル政策とも密接に絡む。さらに使用済みMOXの後始末も何ら具体化していない。
 国内の原子力開発が抱える多くの問題点は、大間原発によっても浮き彫りになるはずだ。