安倍という人物が靖国派の代表であり、岸の孫であることを考慮して、靖国派が利用している側面があります。安部自身は、法律上の専門家でもなく、歴史の研究者でもありませんが、首相という国家権力の頂点に君臨する点で非常に厄介な存在となっています。長期にわたる歴史の流れの中では「どうしようもない右翼政治屋、浅はかで日本政治を危険極まりない方向に引っ張った人物」と断罪、記載されることは確実です。しかし、現実に、今生きている日本国民にとっては自分の生活、生命財産、安心・安全が脅かされるという点で大きな政治的な問題です。
今までの、政局は失言、スキャンダル、病気、政党内における紛争などと国民的な不満が相乗して、政権の交代、退陣などが起きてきました。今の安倍、自民党政権は経団連、多国籍企業、大手金融機関、富裕層の利益を最大化することで支配層からの支持を安定させ、その支持を利用して政治支配を長期化指せようとしている点に特徴があります。また、失業率の高さ、貧富の格差拡大を使い、経済問題を使ってガス抜きをする点でも、狡猾な政権ということができます。このような政治支配が長期(10年以上)にわたり続くことはありません。短期的に目くらましのような効果をもたらすことはあります。その目くらましを自らの極右主張の実現に利用する。それが安倍です。
自民党内でも異論が出るくらいの政治支配状況は、危険です。自民党内で安倍、靖国派の極論に対抗する動きが起きないくらいの状況である点で、危険です。彼らの狡猾さを暴露し、徹底して批判するための国民的運動が最後の決め手になることは確かです。とにかく、彼らの悪行、暴走に対して目に見える反対、批判行動を巻き起こすことが最大の政治的な対策です。
<北海道新聞社説>
国会で憲法をめぐる論戦が続いている。
政府がこれまで「憲法上許されない」としてきた集団的自衛権行使を容認しようとする安倍晋三首相の前のめりな姿勢が目立つ。自らの考えを語ることには前向きだが、野党が指摘する問題点には正面から答えようとしない。なし崩し的に9条の解釈変更に進むことは到底容認できない。
武力行使を厳しく制限することで平和主義を貫くのが憲法の理念だ。安易な理由づけで骨抜きにしては「立憲主義」が成り立たなくなる。首相はそのことを肝に銘じるべきだ。
衆参両院の予算委員会質疑で首相は「集団的自衛権行使は憲法解釈の変更で可能」との考えを強調した。
内閣法制局は従来「行使容認には憲法改正が必要」としてきた。これに対し首相は「最高責任者は私だ」と、自らが解釈改憲を先導する意欲を見せた。従来の議論の積み重ねなど眼中にないかのようである。「わが国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しており、脅威は容易に国境を越えてくる。どの国も一国のみでは自国の平和と安全を守れない」。首相はこれが安全保障の法的基盤を再構築する理由だと語る。
だが具体論には不明な点が多い。
自衛隊艦船の近くにいる米艦船の防護や米国向け弾道ミサイル迎撃をしなければ「その瞬間に日米同盟は終わる」と首相は言う。それを理由に米国が日米安保条約を即刻破棄するとでも言いたいのだろうか。集団的自衛権が認められないと、シーレーンの機雷除去や周辺有事の際の船舶検査もできないとの立場だ。その根拠は明らかでない。不安をあおる極論との印象が拭えない。
集団的自衛権行使が本当に必要なのか、個別的自衛権でどこまで対応できるかという議論になると首相は、有識者による「安保法制懇」の報告を待つという答弁に逃げ込む。最も重要な論点であるはずだ。
一方で首相は「いままでの積み上げのままで行くのなら、そもそも安保法制懇をつくる必要がない」と述べた。従来の方針を転換し、解釈改憲に進むという結論ありきだと打ち明けたようなものである。
憲法改正の発議要件を緩和する96条改正にも意欲を見せた。「私たちの国の憲法は私たち自身で書いていく。この精神こそ未来を切り開くだろう」と力説した。よほど今の憲法が気に入らないのだろう。
だが安倍首相は現憲法の規定にのっとって選ばれた。首相の権力の正統性を裏付ける憲法を根底から否定する態度は理解に苦しむ。自らが憲法の枠組みの中にいることを忘れてはならない。