淡路島デジカメ・バスツァー 2013.5.28
楽しみにしていたパソコン教室から淡路島へのバスツアー。それが何と10日も早い梅雨入り宣言となってしまいました。
早朝から曇天、いつ泣き出すかわからない空模様、それでも参加者の表情がとっても明るく元気一杯の雰囲気には心が和みます。
12時前に伊弉諾神宮へ到着。それまでにバスの中ではクイズが始まっています。昨年秋のバスツアーでは森さんがビンゴゲームで、賞品を人数分用意してくださったことが楽しい思い出となっています。私はその時の賞品は沢山のナイロン袋で、大変役にたたせて頂きました。 さて今年は趣向を変えての問題です。伊弉諾神宮にバスが完全に停車する時間は何時何分何秒でしょうか?。正解は帰りのバスの中でということで、さあ~神宮へ!!
まずは語り部さんの話や説明から入って行きます。
淡路島デジカメ・バスツアー
伊弉諾神宮
国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉なみ尊(イザナミ)の二柱をおまつりする神社。古事記・日本書紀の神代巻に創しの記載がある最古の神社で、淡路国一宮として古代から全国の崇敬を集めています。延喜式名神大社、三代実録神格一品、旧官幣大社で兵庫県唯一の「神宮号」を宣下された神社です。
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされたイザナギ尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されています。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源です。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮、淡路島神、多賀明神と崇められています。
「陽の道しるべ」
伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように東西南北には縁ある神社が配置されていることは実に不思議です。神宮の境内には、太陽の運行図としてこのことを紹介する「太陽の道しるべ」というモニュメントが建っています。神宮の真東には飛鳥藤原京、さらに伊勢皇大神宮(内宮)が位置しており、春分秋分には同緯度にある伊勢から太陽が昇り、対馬の海神(わたつみ)神社に沈みます。そして夏至には信濃の諏訪大社から出雲大社、冬至には熊野那智大社から高千穂神社へと太陽が運行します。
上の写真には、本殿、祓殿、拝殿、表神門、放生の神池、一の鳥居などがあります。
境内には、樹齢800年から900年と推定の県指定天然記念物の「夫婦の大楠」のほか、伝来の石碑があります。
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全員での写真は、出発前、教室横で運転手さんに撮って頂きました。この時はまだ雨は降っていません。
そして、帰りのバスでは京都のご住職さんのビデオを見せて貰って、有難いお話が心に響いておりました。
さあ、いよいよクイズの発表です。今回は全員には当たりませんが、でもドキドキ楽しみです。限定の人数なので後ろから名前が呼ばれます。
きゃ~当たった~。喜びは様々。皆拍手・・・。最後の一位は教室の先生だったのですが辞退されて、その番号をどうにかして、割り出された数字の時間が聞いて貰えますか。実は私だったのです。一万円のお米券、こんなこと初めてなので滅茶苦茶嬉しいで~す。森さんいつも有難うございます。そして西尾さん、辞退してくださった先生有難うございます。最後になりましたが武藤先生、白川先生、片岡先生、お世話になりました。また秋を楽しみにしています。こうして近畿梅雨入り宣言の日のバスツァーは無事終わったのでした。
楽しみにしていたパソコン教室から淡路島へのバスツアー。それが何と10日も早い梅雨入り宣言となってしまいました。
早朝から曇天、いつ泣き出すかわからない空模様、それでも参加者の表情がとっても明るく元気一杯の雰囲気には心が和みます。
12時前に伊弉諾神宮へ到着。それまでにバスの中ではクイズが始まっています。昨年秋のバスツアーでは森さんがビンゴゲームで、賞品を人数分用意してくださったことが楽しい思い出となっています。私はその時の賞品は沢山のナイロン袋で、大変役にたたせて頂きました。 さて今年は趣向を変えての問題です。伊弉諾神宮にバスが完全に停車する時間は何時何分何秒でしょうか?。正解は帰りのバスの中でということで、さあ~神宮へ!!
まずは語り部さんの話や説明から入って行きます。
淡路島デジカメ・バスツアー
伊弉諾神宮
国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉なみ尊(イザナミ)の二柱をおまつりする神社。古事記・日本書紀の神代巻に創しの記載がある最古の神社で、淡路国一宮として古代から全国の崇敬を集めています。延喜式名神大社、三代実録神格一品、旧官幣大社で兵庫県唯一の「神宮号」を宣下された神社です。
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされたイザナギ尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されています。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源です。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮、淡路島神、多賀明神と崇められています。
「陽の道しるべ」
伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように東西南北には縁ある神社が配置されていることは実に不思議です。神宮の境内には、太陽の運行図としてこのことを紹介する「太陽の道しるべ」というモニュメントが建っています。神宮の真東には飛鳥藤原京、さらに伊勢皇大神宮(内宮)が位置しており、春分秋分には同緯度にある伊勢から太陽が昇り、対馬の海神(わたつみ)神社に沈みます。そして夏至には信濃の諏訪大社から出雲大社、冬至には熊野那智大社から高千穂神社へと太陽が運行します。
上の写真には、本殿、祓殿、拝殿、表神門、放生の神池、一の鳥居などがあります。
境内には、樹齢800年から900年と推定の県指定天然記念物の「夫婦の大楠」のほか、伝来の石碑があります。
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全員での写真は、出発前、教室横で運転手さんに撮って頂きました。この時はまだ雨は降っていません。
そして、帰りのバスでは京都のご住職さんのビデオを見せて貰って、有難いお話が心に響いておりました。
さあ、いよいよクイズの発表です。今回は全員には当たりませんが、でもドキドキ楽しみです。限定の人数なので後ろから名前が呼ばれます。
きゃ~当たった~。喜びは様々。皆拍手・・・。最後の一位は教室の先生だったのですが辞退されて、その番号をどうにかして、割り出された数字の時間が聞いて貰えますか。実は私だったのです。一万円のお米券、こんなこと初めてなので滅茶苦茶嬉しいで~す。森さんいつも有難うございます。そして西尾さん、辞退してくださった先生有難うございます。最後になりましたが武藤先生、白川先生、片岡先生、お世話になりました。また秋を楽しみにしています。こうして近畿梅雨入り宣言の日のバスツァーは無事終わったのでした。
トラックバックしておきますので、機会がありましたら、許可してください。
近々、「淡路島ミステリー」を教室日記に投稿します。
教室のバスツアーは楽しみの一つです。
今回の空模様で予定が変わって、「雨でもまた楽しかな」って感じでした。
パソコンを通じてその日だけにしても、心が通い合っているような気分、私はそういう事が好きです。
また、宜しくお願い致します。
トラックバック(木)、また教室日記楽しみにしています。
仲間と行く「バス遠足」は楽しいですね。
雨でも、バスの中、行く先々でのおしゃべりも醍醐味でした。勿論お天気の良い日にはかないませんが・・・。
また、カラオケも楽しみにしています。奥様に宜しくです。
あなたのブログはいつも格調高く、
コメントを投稿するのは、かなり勇気が
いります。、
あの自称氏子代表の語り部が説明された
「陽の道しるべ」ですが、
あなたのブログにもかなり詳しく記録され
ましたので、蛇足になると思いつつ、
気になっていたことを書き留めます。
太陽の運行は古事記以前の太古から
今日まで普遍と考え、一方あの図に名を
連ねた各地の一の宮がー春分秋分ー
夏至冬至の季節(旧暦)に位置する
というのは、偶然でなければ作意による
ものなのか、興味があります。
その各地の一の宮は現在の県庁所在地
にある著名な神社・神宮ばかりですが、
設立は古事記の成立した7世紀より
さらに下って10世紀以降と考えられます。
(休憩のため、中断)
以降ですが、当時陰陽師として活躍した
阿倍晴明の画策ではないかと推察しています。彼は天皇の絶大な庇護のもと、陰陽道の傳道のため全国各地を巡回していますが(河内長野野千代田にもその碑がある)、特に天文の知識
に秀でていたと伝えられています。
あくまで私の推理ですが、彼の在世当時、
全国に設立されはじめた一の宮相互間に
天文学に裏付けられた地理上の相互関係を
誘導~指導をしたと思うのです。
来月の展示会が終われば時間ができるので、
図書館に通って調べ、裏付けてみます。
また時間が許されるとき、続きを楽しみにしています。
来月の蘭の展示会、お忙しいでしょうけれど楽しんでください。また、お邪魔させていただきます。
バスツアーお疲れさまでした。楽しかったですね。
また、神宝は人である王が神の子孫になるための呪具であり、語り継がれる神話や系譜の事実性を保証するための証拠である。天皇家に受け継がれる三種の神器だけが神宝だったのではない。日本書紀の崇神天皇六十年条・垂仁天皇八十八年条あるいは肥前国風土記彼杵郡・豊後国風土記速見郡などに、もともと王として存在していたであろう在地豪族が自らの神宝を天皇に献上するという伝承が伝えられており、その背後に古代王権の存在が暗示されている。そして、それらの神宝献上譚は、前代の王権が天皇制のもとに吸収解体されてゆく、その象徴的な神話であった。また、諸国の語部が古詞を奏上する天皇の即位儀礼としての大嘗祭は、それらの王権がもっていた神話や系譜を捧げて天皇への服属を誓うための神話的な場でもあったのである。