さっと

東北・秋田県南での田舎くらし

流行・・・なのかな?

2011-04-27 12:48:41 | くらし
みんなのところは災害がらみで、大変な状態なのだが、
私の周りでは、足を痛めている人が結構いて、白く固めた足で歩くのに苦労している様子が、あちらこちらのところ・場面で見受けられる。

よくよくかんがえてみたら、私が足を痛めたのもこの時期だったなぁ・・・などと、自分のことを振り返ってみてしまった。
寒さで、筋肉が弱っているのに、この時期に体質が変わるから、こういう状況がおきやすいのだろうか?

Dsc00138
高齢者には、これだけあれば一日分の食事量になるのではないのかなぁ・・・・などと、考えてしまう。
立場が変わると、ものの見方や考え方までが変わってしまう私って・・へ・ん~~~n?

前庭・・つぼみが、少しは膨らんでいます・でしょうか?
Img_0429
連休中に、咲いて、散って・・しまうのでしょうか?「花は盛り」に、「月はくまがない満月」のときばかり見るのか・・・と聞かれたら「観たいで~~~す!」と、答えよう!!


参考
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。歌の詞書にも、
「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、
「障ることありて、まからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。
花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。
男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。
逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、
遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。 椎柴・白樫などの、ぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて 心あらむ友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。
春は家を立ち去らでも、月の夜は閨の内ながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。
よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。
片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。
花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。
泉には手・足さしひたして、雪には下り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。 (第137段)

コメント
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