Nonsection Radical

撮影と本の空間

ドキュメンタリー「映画」

2010年07月04日 | Weblog
某月某日
岩波書店の「日本のドキュメンタリー1」佐藤忠男編著 を読んでいるのだけど、映画のエの字も知らないsatoboにとって「へ~そうなんだ」と思う「常識」がわんさかあってためになる。
一番参考になったのは、ドキュメンタリーは映画であるという事。
まあ、本の最後の方にこれからのドキュメンタリーとして、映画ではないドキュメンタリーの可能性についても書いているから、これまでのドキュメンタリーはドキュメンタリー映画であったというべきかもしれないが。
映画であるから監督、カメラマンがいて、演出や編集が加えられ「作品」として「仕上がる」のだ。
だから観て面白いのだ。
しかし、作って面白いとは思えない。
それはsatoboにはドキュメンタリー映画を作る才能などないからで、才能がないのをわかっていて面白いはずがない。
ただ、ある種の場面を映像に残しておきたいという願望が時々現れるので、そういう時にはビデオカメラやデジカメ動画でシロートらしく演出や編集などしない(できない)非作品を撮っている。
理想とする映像は、シングル8で撮影したような何げない家族の記録みたいな映像だ。
意味も意義もなく、ただ撮っておきたいと思ったから撮ったというカンジの映像がサイコーにイイ。
まあ、写真も同じだけど・・・
コメント (2)
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