Nonsection Radical

撮影と本の空間

青空文庫の限界から

2010年07月11日 | Weblog
某月某日
青空文庫の夏目漱石の何編かをPDAに入れて、寝ころんで扇風機に当たりながら屁をこいて読んでいたのだが、すぐに限界を感じた。
手が疲れる。
PDAなど150gほどで文庫本と変わらないはずなのだが、折り曲がらないボディを手に持つのと柔軟性のある紙束を持つのとでは扱いが全然違った。
ふと、だったらもう少し軽いケータイに入れてみたらと思って、初めてのように自分のケータイの機能を再確認する事になった。
メモリースロットがないのだ。
satoboのケータイにはメモリーカードは入らないのだ。(笑)
知ってはいたはずだが驚いたのだ。
ついでにカメラ機能もない。
これは知っている。
カメラ機能がないから選んで買ったのだ。
ケータイでハメ撮りしないようにしたのだ。
いや、正確にはハメ撮りなどしないからだ。
記念写真など撮らないので、ハメ撮り以外に使い道がないではないか。
その使い道の可能性がないのだから不要なのだ(悔し涙)。
まあ、パンチラ撮影という手もあるが、パンツには興味はない。
そんな事を書きたかったわけではない。

青空文庫の基本は、著作権の切れた小説等を死蔵させずに誰でも手に取れるようにしようというものだ。
だから基本は昔の話が多い。
タダだから文句はいえないが、新しい話も読んでみたいとも思うのだ。
当然それは青空文庫の範疇外である。
そこで出版社のサイトへいき、現在流通していないような「現代小説」(これが意外に多いのだ)を見繕うのだが、そんなものないのである。
新しいものが多いのだ。
文庫本が長く発売されるというのは神話になった。
すぐに絶版だ。
すると死蔵される可能性が高い。
電子書籍で長く発売するという「手間」は出版社はとらないようだ。
特に昔の原稿だと電子データで入っていないから電子化に手間と費用がかかるのだろう。
そのおかげで古本市場が生きていけるのだが。
その市場にも流通していなければ終わりである。
もう二度と読めないのだ。(国会図書館を除く)
電子書籍という可能性がありながら。
残念だが本屋さんへ行って安心出来る紙媒体を手に入れる事にする。
これだと手も疲れないしね。
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読書の夏

2010年07月11日 | Weblog
某月某日
気がつけばこんな時間となりました。
ついつい知り合いから貰ったブックオフで買った100円の文庫本を読んでいたら、アッという間に時間が過ぎていた。
夏は冷房の効いた部屋でゴザに寝転がって小説を読むに限る。
もちろんお酒は口にしない。
もっぱらコーヒーと野菜ジュース。
ブックオフだと100円で文庫が買えるんだと、ブックオフの場所を検索したら、電車に乗って行かないといけない場所だった。
わざわざそんな気がしない。
ちなみに読んだ本は
乃南アサ「軀」文春文庫
荻原浩「メリーゴーランド」新潮文庫
どちらも初めての作者だが、100円でも元が取れる内容。
タダだからもっとお得感があった。

文庫本サイズ重さの電子書籍端末出ないかなぁ。
キンドルの用な画面で。液晶は疲れる。
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