さて、今回の最終となった、春日神社編です。
春日神社は、お城の北側にございます。

(春日神社)
この神社は奈良の春日神社の分霊を勧請したもので、篠山城築城時に現在の場所に移られた様でございます。
文久元年(1861)に藩主によって寄進された能楽殿では、毎年元旦の午前零時に元朝能「翁」が奉納される、日本中で一年の中で一番初めに演能がある能楽堂となっております。又、春には春日能が奉納されます。

(春日神社能楽殿)
そうして、実はここへ来る迄に、既に妻入商家群の入り口で見つけていた、この建物。どう見てもだんじり蔵にしか見えず、蔵の横にあった立て看板で、やはりだんじり蔵であった事が判ったのでございます。


天保四年に創建と読めます。
中にはどんなだんじり・・山鉾が入っているのだろうか?と思っていましたが、神社のご神殿の軒下に、、ありましたよ写真が、ってなんで軒下に?


思わずシャッターを押してしまいました。
写真にある町の幟からすると、これが先程の蔵に収まっている山鉾ですね。2層の囃子屋台、鉦は2連ですね。軒下の写真からすると、全部で8基。どれもほぼ同じ形。お囃子はどんなだろう?
この山鉾が出揃うお祭は、春日神社例祭。10月です。
はい、上野天神祭と同じ月ですね。
観るチャンスは無いでしょうか、、残念であります。
だんじり蔵を発見してからというもの、蔵の中身がずっと気になってしようがなかったのですが、写真とは言え、形や雰囲気を確認出来たので、まずは願いは叶ったと、さあ戻ろうかと歩いていたら、
例の商家群のお家に、これまたどこかで見慣れた「あるもの」が、、、

いやいや、どこまでもよく似た雰囲気の町でした。
伊賀上野と兄弟の様なイメージを持った丹波篠山の城下町、何度か訪れるに連れ、佇まいや空気感をご紹介したくなって、我ながらおこがましい紀行文となりましたが、今回はこの辺でお開きでございます。
まだまだ観る事の出来なかった場所、「肝心の城跡に行けてねーぞ」とか、「武家屋敷群も観たかったぞー」とか、「そう言えば、伝統的町家を観光客向けに休憩所(カフェ)にしてたなー」とか・・・。
いっぱいありまして、勿論この後も篠山を訪れる機会はありましょうが、今回と同じ様に、も一度散策してみたい、と思いました訳でございます。【赤梟】
春日神社は、お城の北側にございます。

(春日神社)
この神社は奈良の春日神社の分霊を勧請したもので、篠山城築城時に現在の場所に移られた様でございます。
文久元年(1861)に藩主によって寄進された能楽殿では、毎年元旦の午前零時に元朝能「翁」が奉納される、日本中で一年の中で一番初めに演能がある能楽堂となっております。又、春には春日能が奉納されます。

(春日神社能楽殿)
そうして、実はここへ来る迄に、既に妻入商家群の入り口で見つけていた、この建物。どう見てもだんじり蔵にしか見えず、蔵の横にあった立て看板で、やはりだんじり蔵であった事が判ったのでございます。


天保四年に創建と読めます。
中にはどんなだんじり・・山鉾が入っているのだろうか?と思っていましたが、神社のご神殿の軒下に、、ありましたよ写真が、ってなんで軒下に?


思わずシャッターを押してしまいました。
写真にある町の幟からすると、これが先程の蔵に収まっている山鉾ですね。2層の囃子屋台、鉦は2連ですね。軒下の写真からすると、全部で8基。どれもほぼ同じ形。お囃子はどんなだろう?
この山鉾が出揃うお祭は、春日神社例祭。10月です。
はい、上野天神祭と同じ月ですね。
観るチャンスは無いでしょうか、、残念であります。
だんじり蔵を発見してからというもの、蔵の中身がずっと気になってしようがなかったのですが、写真とは言え、形や雰囲気を確認出来たので、まずは願いは叶ったと、さあ戻ろうかと歩いていたら、
例の商家群のお家に、これまたどこかで見慣れた「あるもの」が、、、

いやいや、どこまでもよく似た雰囲気の町でした。
伊賀上野と兄弟の様なイメージを持った丹波篠山の城下町、何度か訪れるに連れ、佇まいや空気感をご紹介したくなって、我ながらおこがましい紀行文となりましたが、今回はこの辺でお開きでございます。
まだまだ観る事の出来なかった場所、「肝心の城跡に行けてねーぞ」とか、「武家屋敷群も観たかったぞー」とか、「そう言えば、伝統的町家を観光客向けに休憩所(カフェ)にしてたなー」とか・・・。
いっぱいありまして、勿論この後も篠山を訪れる機会はありましょうが、今回と同じ様に、も一度散策してみたい、と思いました訳でございます。【赤梟】