~藤堂高虎が築いた可能性~
2009年6月30日
伊賀市教育委員会が同市上野丸之内の上野商工会議所跡地で実施している文化財発掘調査で、伊賀上野城の外堀跡を示す石垣が見つかった。藤堂高虎が城下町整備の際に築いた可能性が高く、市教委が詳しい調査を進めている。
発掘調査は、今年3月に上野商議所ビルを解体した駅前再開発ビル予定地2000平方メートルで6月に始めた。3分の1ほどの調査を終え、外堀跡を示す深さ約3メートルの護岸用の石垣が見つかった。
江戸時代の絵図にも残っている外堀は深さ5メートルあったとされる。外敵の侵入を防ぐため、本丸と武家屋敷を囲むように東西南北に築かれ、今回出土したのは最も長い南側967メートルの一部。1887(明治20)年に解体された東大手門の西の隣接地にあたる。
市生涯学習課文化財係の職員は「藤堂高虎が城下町の整備を進めた際に設けた可能性が高い」と推定。その後、明治時代に入り、外堀は市街地化のため順次埋められた。
伊賀上野城を管理する伊賀文化産業協会の福井健二専務理事は「まさか残っているとは思わなかった。絵図通りに外堀があったことを証明している」と話す。
市教委は8月まで調査を続け、取り扱いについて専門家と協議する予定。外堀が見つかった場所は、計画の再開発ビルでは、地下1階の駐車場部分に相当し、再開発計画に与える影響について市街地対策課は「詳しい調査結果を待たなければ分からない」としている。
(平井良信)中日Webより
参考:上野城下町図(福井健二氏:伊賀市文化産業協会理事長:作図)
(東大手門付近が旧上野商工会議所ビルのあったところ)
2009年6月30日
伊賀市教育委員会が同市上野丸之内の上野商工会議所跡地で実施している文化財発掘調査で、伊賀上野城の外堀跡を示す石垣が見つかった。藤堂高虎が城下町整備の際に築いた可能性が高く、市教委が詳しい調査を進めている。
発掘調査は、今年3月に上野商議所ビルを解体した駅前再開発ビル予定地2000平方メートルで6月に始めた。3分の1ほどの調査を終え、外堀跡を示す深さ約3メートルの護岸用の石垣が見つかった。
江戸時代の絵図にも残っている外堀は深さ5メートルあったとされる。外敵の侵入を防ぐため、本丸と武家屋敷を囲むように東西南北に築かれ、今回出土したのは最も長い南側967メートルの一部。1887(明治20)年に解体された東大手門の西の隣接地にあたる。
市生涯学習課文化財係の職員は「藤堂高虎が城下町の整備を進めた際に設けた可能性が高い」と推定。その後、明治時代に入り、外堀は市街地化のため順次埋められた。
伊賀上野城を管理する伊賀文化産業協会の福井健二専務理事は「まさか残っているとは思わなかった。絵図通りに外堀があったことを証明している」と話す。
市教委は8月まで調査を続け、取り扱いについて専門家と協議する予定。外堀が見つかった場所は、計画の再開発ビルでは、地下1階の駐車場部分に相当し、再開発計画に与える影響について市街地対策課は「詳しい調査結果を待たなければ分からない」としている。
(平井良信)中日Webより
参考:上野城下町図(福井健二氏:伊賀市文化産業協会理事長:作図)
(東大手門付近が旧上野商工会議所ビルのあったところ)