ワタシの母、昭和5年生まれ。
まさにNHKカーネーション時代の女性で、「子どもの服や自分の服は自分で作る=オーダーメイド!!」世代。
昭和35年当時、小学校に入学するワタシの為に「竹色のランドセル」を買ってくれた母。(お金を出してくれたのは、もちろん父!)入学式の服も“竹色”の手作りの服だった。嬉し恥ずかしの複雑な子供だった(笑)。
でもね、今思うに、そんな色(竹色)のランドセルを背負ってる子なんて、周りにだ~~れもいません、って…
“超”特別色のランドセルを背負って学校に通う子供は、どんな気持ちだったんだろう??(ワタシのことや!(笑))
それから、数十年経って、その母も80を越えた。でもファッションセンスは素晴らしく、時代の先端を行く(ような)ハイカラ!?ファッションで町を闊歩してる。(多少の弱弱しさを感じるけれど)遥かな先を歩いている母です。
その母に、
「これは、貴女の孫がデザインしたパンフレットだからね。これを見て、新天地をのぞきに来てね!」と渡した。
孫の活躍に嬉しいはずがない!喜んでくれるだろうと気軽に渡した、、、
喜んでくれるはずの母から、、、
「これって、字が小さくて、色が薄くて、、、読めないんだよね、なんとか私たちが読めるように大きな字にならない?」と
読めないモノは、読めない!!と。
あぁ、、、、、
「ごめんね、若い世代のために作られたパンフレットらしい」
82歳の母には無理だよね、58歳の私も読みづらい、、、ということは…
あぁ、ギャップ!! ジェネレーションギャップ!?
すべての人に同じように知っていただくための手段って、永遠の課題かもしれません。
それとも集中して選択してお知らせする!?
その情報についていけなかったら、、、どうしよう!?
やさしくあれ!!
まさにNHKカーネーション時代の女性で、「子どもの服や自分の服は自分で作る=オーダーメイド!!」世代。
昭和35年当時、小学校に入学するワタシの為に「竹色のランドセル」を買ってくれた母。(お金を出してくれたのは、もちろん父!)入学式の服も“竹色”の手作りの服だった。嬉し恥ずかしの複雑な子供だった(笑)。
でもね、今思うに、そんな色(竹色)のランドセルを背負ってる子なんて、周りにだ~~れもいません、って…
“超”特別色のランドセルを背負って学校に通う子供は、どんな気持ちだったんだろう??(ワタシのことや!(笑))
それから、数十年経って、その母も80を越えた。でもファッションセンスは素晴らしく、時代の先端を行く(ような)ハイカラ!?ファッションで町を闊歩してる。(多少の弱弱しさを感じるけれど)遥かな先を歩いている母です。
その母に、
「これは、貴女の孫がデザインしたパンフレットだからね。これを見て、新天地をのぞきに来てね!」と渡した。
孫の活躍に嬉しいはずがない!喜んでくれるだろうと気軽に渡した、、、
喜んでくれるはずの母から、、、
「これって、字が小さくて、色が薄くて、、、読めないんだよね、なんとか私たちが読めるように大きな字にならない?」と

読めないモノは、読めない!!と。
あぁ、、、、、
「ごめんね、若い世代のために作られたパンフレットらしい」
82歳の母には無理だよね、58歳の私も読みづらい、、、ということは…
あぁ、ギャップ!! ジェネレーションギャップ!?
すべての人に同じように知っていただくための手段って、永遠の課題かもしれません。
それとも集中して選択してお知らせする!?
その情報についていけなかったら、、、どうしよう!?
やさしくあれ!!

“お洒落な”発信はできない、無骨でもいい、年相応でいいかなと割り切るのも一つの“手”かもしれないと思えるようになってきました(笑)。
おかあさん、ホントにお若い!
孫と肩組んでじゃれ合っている姿を後ろから見たら、姉妹みたいでしたよ~♪
ところで、ジェネレーションギャップについて
以前、人権教育の研修で、ユニバーサルプリンティング(ユニバーサルデザイン印刷)というのを知りました。
あまり自覚のない色弱の方にも路線色が識別できるように模様をつけたり、強調文字や色文字や分かりやすい書体を考えたり、表や文字や写真などのバランスを考えたりするそうです。
イラストレーターなど、ポスターの基本を心得てデザインするのは当然でしょうけど、いろんなことを知らなければいけないんだなぁと思いました。
それを想い出して、長いコメントをしました。
ところで...
大黒さまのご質問、ごもっとも。
くノ一さまの文章、ごもっとも。
考えさせられました。
観光地にいるものの「ホスピタリティー」って、大切だな。
ご興味を持っていただいた方へのあたたかいご案内ができるよう、私も努力します。
今更できてしまったほころびに文句を言ったところで、地方の状況を見ないで机上の空論をしているエライ人にはわからないほころびです。
20年ほど前だったか、国は「大型店は郊外へ行け!」と町中から大手スーパーなどを追い出した。
おかげで町中や商店街はすっかりシャッター街化してしまった。それをみてエライコッチャと思った国の人たち、今度は「歩いて暮らせるコンパクトなまちをつくれ」ときた。
車社会で便利になって、週末に郊外の大型店で1週間分の買い物をして楽しく暮らしているひとたちが、なんで今更車も止められないような町中に買い物に来るものか!
それを「なんとかせよ!」と、目の前に補助金とやらをぶらさげて「食いついてきたら金をやる、但し半分または1/3は自分で金をつくれ」「書類はきっちり完全に用意しろ」と無茶なことをいう。
一般庶民がなんとかしたいと思っても、一度壊された生活を簡単に元に戻すわけにはいかない!
人の流れも然り、人通りが少なくなって多くの店が商売を閉じてしまった「昔、商店街とよばれたところ」。
人が通らないから閉店したのか!?
閉店したから人通りがないのか!?
商店街のひとたちは一生懸命考えたと思う。
それでも「時すでに遅し」、気が付いたころには犬と老人しか歩かない町になってしまった。
この現実、みな国の政策のおかげ。
人のせいにするのは嫌いだし、自分たちでなんとかしたい!と思うけれど、もう私たちの年代は疲れてきて、介護や健康面など考えると自分のことで精いっぱいになってきた。
頑張ってる人はいっぱいいるんですよ、でもこの方たちも高齢化してる、あとを継ぐ若者よ~~町に住んでるかい?? 都会に出ても帰ってきてくれるかい??
そこで、「まちなかに魅力的な場所を作って、若い人にたくさん来てもらって、いずれはお店を出してもらって、住んでもらえればいいじゃないの…」すなわち「町を好きになってもらう、この町を贔屓にしてもらいたい」という空気が流れてきた。
そんなコンセプトで頑張ってるまちづくりのひとつのパーツが“タカラモノイチ”なんだと思う。
そのにぎわいを戻そう!のきっかけづくりの「初めの一歩」だと思う。今は、多分そういう「思い」だと思う。
始まった頃の「朽ちかけた通り、みんなで協力、賑やかに!」という単純な思いとはちょっと違うかもしれない。
時の経過とともに「思い」は、変化していくのだと思います。
長くなってしまいました。
当初のコメントと脈絡がなくなってしまったかもしれない、ごめんなさい。
なんとなく心に元気がなくなってきたのかもしれない(苦笑)。でも、無理せず自分なりに頑張ろうと思う(笑)。
では、また
お願い!
・市内所々に「ありの巣穴」のようにある駐車場に先ず車を止める。
・狭い道だけどちょっと自動車に気をつけつつぶらぶらゆっくり「城下町」を歩いてみる。
・話好きのおじさんおばさん、じいちゃんばぁちゃんがいっぱいいるから、いろんなお店を覗きつつ歩く
これがイチバン
周遊バスを出すほどの町じゃない、歩いてなんぼ!の城下町。
不便だし改革的じゃないけど、なんとなく居心地がいい、ここに住むわたしはやっぱり大好き、この町。住めば都!なのかも。
何か聞きたいことあれば、どんどんコメントしてください、友人知人・公的私的なネットを駆使してなんとかしますから…(笑)
・1回500円の民間駐車場あり。お買い物代より駐車料金が気になるかもしれません。
・出店者も来店者も防寒対策はご自分で・・・
という場所です。
とくにご近所の皆さんは、「新鮮お野菜・伊勢志摩からの海産物・たこ焼き」などがお買い物目的だったところなり。
今は、オシャレ化されつつあり、(通りは昔のまんま、汚いけれど(笑))、出店者傾向も可愛い手作りグッズが多くなりました。出店者平均年齢が若返ってます、嬉しいことです…
始まった頃は、地域に住む人たち(当然、高齢者も多い)に、昔のように賑やかにワイワイと来てほしいね…という思いだった。
今は、きっと若い世代、観光客、ここが好きな人たち、、、なんだと思います。