「大人は子供から何を学べるか?」と、昨日のブログに書いて思い出したお話があります。
子どもは、感情をコントロールできません。
する必要がないのです。
ダーウィンやキューブラー・ロスは、感情について「神が人間に与えたもの」という言い方をしています。
だから、コントロールなどそもそもできないわけで、子どもたちは感じたものをそのままストレートに表現するわけです。
すると、全身で表現される感情は、「30秒で燃え尽きる」と言うのです。
確かに「鳴いたカラスはもう笑う」し、さんざん泣いた後には気持ちよさそうに眠ってしまいます。
大人はどうでしょうか?
十分に感情を表現しないので、身体の中にどんどん蓄積されていきます。
何かきっかけがあれば、いつでも過去の感情を取り出して、まるで牛の反芻のように「思い出し怒り」も「思い出し悲しみ」もできてしまいます。
「今ここ」ですべてを完了して、スッキリとしたいのですが、これはやはり「子どもチカラ」が必要なようです。
『きみなんか だいきらいさ』ジャニス・メイ・ユードリー
「ジェームス」と「ボク」のお話。
二人は大の仲良し。
いつも一緒に遊んだし、「たんじょうびのパーティによんでやった」し、「クルクルクッキーも わけてやった」。
「みずぼうそうにも いっしょに かかったんだ」と言うほどに大の仲良し。
「でも きょうはちがう ジェームスなんか だいきらいさ」
ジェームスがいつもいばりたがって、クレヨンも貸してくれないし、シャベルも取られてしまう。
砂までかけられて「ボク」は、もう友達にはなってやらないと思うのです。
そこでジェームスの家まで行って、ボクは「きみとはぜっこうだ」とと言うと、「いいとも!」と言って二人は別れます。
でもすぐその後に、ボクは「ねぇ、ジェームス」と呼びかけます。
「なんだい?」
「ローラー・スケートやらない?」
「オッケー!クルクルクッキー はんぶん あげる。」
「ありがとう ジェームス!」
ボクは、このお話しが大好きです。
子どものチカラから、大人はたくさん学ぶことができるのです。
こだわりやプライドを捨てて、真実を生きることができる。
信頼ってこういう事なんですよね。
子どもは、感情をコントロールできません。
する必要がないのです。
ダーウィンやキューブラー・ロスは、感情について「神が人間に与えたもの」という言い方をしています。
だから、コントロールなどそもそもできないわけで、子どもたちは感じたものをそのままストレートに表現するわけです。
すると、全身で表現される感情は、「30秒で燃え尽きる」と言うのです。
確かに「鳴いたカラスはもう笑う」し、さんざん泣いた後には気持ちよさそうに眠ってしまいます。
大人はどうでしょうか?
十分に感情を表現しないので、身体の中にどんどん蓄積されていきます。
何かきっかけがあれば、いつでも過去の感情を取り出して、まるで牛の反芻のように「思い出し怒り」も「思い出し悲しみ」もできてしまいます。
「今ここ」ですべてを完了して、スッキリとしたいのですが、これはやはり「子どもチカラ」が必要なようです。
『きみなんか だいきらいさ』ジャニス・メイ・ユードリー
「ジェームス」と「ボク」のお話。
二人は大の仲良し。
いつも一緒に遊んだし、「たんじょうびのパーティによんでやった」し、「クルクルクッキーも わけてやった」。
「みずぼうそうにも いっしょに かかったんだ」と言うほどに大の仲良し。
「でも きょうはちがう ジェームスなんか だいきらいさ」
ジェームスがいつもいばりたがって、クレヨンも貸してくれないし、シャベルも取られてしまう。
砂までかけられて「ボク」は、もう友達にはなってやらないと思うのです。
そこでジェームスの家まで行って、ボクは「きみとはぜっこうだ」とと言うと、「いいとも!」と言って二人は別れます。
でもすぐその後に、ボクは「ねぇ、ジェームス」と呼びかけます。
「なんだい?」
「ローラー・スケートやらない?」
「オッケー!クルクルクッキー はんぶん あげる。」
「ありがとう ジェームス!」
ボクは、このお話しが大好きです。
子どものチカラから、大人はたくさん学ぶことができるのです。
こだわりやプライドを捨てて、真実を生きることができる。
信頼ってこういう事なんですよね。
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