5日目、最終日です。
ボクにとっては、リートレを入れて7日目。
1週間もこの高原に滞在できるなんて、しあわせだ。
でも、この日でオシマイ。
最終日のこの日は、忙しい。
11:00にはヌプカを出発しなければならない。
6時起床、6時半集合。
ところが、今朝は様子がおかしい。
子どもたちがなかなか降りてこない。
そして、6時30分。
一旦集合。
「 何が起きてるんだ? 」
すると、KICが
「 ボクのバンダナが見当たらない 」
と言う。
「 探したんだけど、ない。 」らしい。
「 KICがバンダナがないってこと、知っていたのか? 」
知っているという子どもたちが大半。
「 知っていて、お前たち、掘っておいたのか? 」
「 探したけどなかった 」と、誰かが言う。
今回のグロース、毎日がとてもスムースに行って、時間も守るし、問題がほとんど起きなかった。
でも、最後の最後に起きた。
バンダナが見当たらない、と言った、たわいもないことではあるけれど、あえて、こういう困った問題をみんなで学ぶのがグロース。
原因探しや、事情はどうでもいい。
ただ、今目の前の現実として起きていることは、バンダナがないという事実。
この事実を真正面から受け止めて学んでいく。
なんで?とか、ちゃんと探したのか?とか、もっと前から準備しておけばよかったんじゃないか?とか、、、、、
そんなことは、子どもにだってわかっていること。
今何が起きていて、それがKICだけのの問題じゃなくて、ここにいるボクも含めた一人一人の問題であることを全員で確認する。
目の前に起きていることから学ぶ。
そして学んだら、行動する。
行動すると、何かに気づく。
気づきはまた、学びになる。
そして行動する。
その言った繰り返しの中で、だれもが試行錯誤する。
あーでもないし、こうでもない、どうすればいいのかとか、どうすればよかったのか、と。
その試行錯誤が、子どもたちの心をたくましく成長させてくれる。
答えがすぐに手に入る時代だからこそ、正解のないことを一生懸命に考え、話し合う。
スクールの語源ともなっているスコラ。
スコラ学、或いはスコラ哲学は、問題となる事象をあらゆる面から考察し、矛盾を見つけ、検証してく。
つまり正解のないテーマ ( あるいはすでに正解と言われているものがある場合にも ) に、自分なりの答え探し見つけ出していく。
簡単に言えば、あーでもないこーでもないを延々と続けていくわけだけれども、誰かの出した答えをうのみにしていくのではない魅力がある。
なんせ、スクールの語源になっているのだから、本来学校と言うのは正解を教える場所ではないはずなのだ。
「 で、KICは、どうしたいんだ? 」
「 ・・・・・みんなに・・・・協力してもらって探したい 」
「 KICはそういっているけど、みんなはどうなんだ? 」
「 いっしょに探したい 」
全員が、すぐにでも移動しようとする。
「 じゃあ行って来い、ただし10分 」
ただちに子どもたちがロッジに向かう。
そして5分も立たないうちに、全員が戻る。
あっという間に見つかった。
隣に、寝ていたJNYが、自分おバンダナは荷物の中にしまい、KICのバンダナを身につけててしまっていた。
笑える。
「 このことから、学んだこと、チームで話し合って 」
子どもたちは、真剣に話し合う。
誰かのこと、にしているのではなく、自分のこととして話し合う時間は、誰も悪者にはならないし、被害者にもならない。
さて、朝食を取ったら、清掃と、そしてそして最後の実習、「 ミドルネーム 」 だ。
ボクにとっては、リートレを入れて7日目。
1週間もこの高原に滞在できるなんて、しあわせだ。
でも、この日でオシマイ。
最終日のこの日は、忙しい。
11:00にはヌプカを出発しなければならない。
6時起床、6時半集合。
ところが、今朝は様子がおかしい。
子どもたちがなかなか降りてこない。
そして、6時30分。
一旦集合。
「 何が起きてるんだ? 」
すると、KICが
「 ボクのバンダナが見当たらない 」
と言う。
「 探したんだけど、ない。 」らしい。
「 KICがバンダナがないってこと、知っていたのか? 」
知っているという子どもたちが大半。
「 知っていて、お前たち、掘っておいたのか? 」
「 探したけどなかった 」と、誰かが言う。
今回のグロース、毎日がとてもスムースに行って、時間も守るし、問題がほとんど起きなかった。
でも、最後の最後に起きた。
バンダナが見当たらない、と言った、たわいもないことではあるけれど、あえて、こういう困った問題をみんなで学ぶのがグロース。
原因探しや、事情はどうでもいい。
ただ、今目の前の現実として起きていることは、バンダナがないという事実。
この事実を真正面から受け止めて学んでいく。
なんで?とか、ちゃんと探したのか?とか、もっと前から準備しておけばよかったんじゃないか?とか、、、、、
そんなことは、子どもにだってわかっていること。
今何が起きていて、それがKICだけのの問題じゃなくて、ここにいるボクも含めた一人一人の問題であることを全員で確認する。
目の前に起きていることから学ぶ。
そして学んだら、行動する。
行動すると、何かに気づく。
気づきはまた、学びになる。
そして行動する。
その言った繰り返しの中で、だれもが試行錯誤する。
あーでもないし、こうでもない、どうすればいいのかとか、どうすればよかったのか、と。
その試行錯誤が、子どもたちの心をたくましく成長させてくれる。
答えがすぐに手に入る時代だからこそ、正解のないことを一生懸命に考え、話し合う。
スクールの語源ともなっているスコラ。
スコラ学、或いはスコラ哲学は、問題となる事象をあらゆる面から考察し、矛盾を見つけ、検証してく。
つまり正解のないテーマ ( あるいはすでに正解と言われているものがある場合にも ) に、自分なりの答え探し見つけ出していく。
簡単に言えば、あーでもないこーでもないを延々と続けていくわけだけれども、誰かの出した答えをうのみにしていくのではない魅力がある。
なんせ、スクールの語源になっているのだから、本来学校と言うのは正解を教える場所ではないはずなのだ。
「 で、KICは、どうしたいんだ? 」
「 ・・・・・みんなに・・・・協力してもらって探したい 」
「 KICはそういっているけど、みんなはどうなんだ? 」
「 いっしょに探したい 」
全員が、すぐにでも移動しようとする。
「 じゃあ行って来い、ただし10分 」
ただちに子どもたちがロッジに向かう。
そして5分も立たないうちに、全員が戻る。
あっという間に見つかった。
隣に、寝ていたJNYが、自分おバンダナは荷物の中にしまい、KICのバンダナを身につけててしまっていた。
笑える。
「 このことから、学んだこと、チームで話し合って 」
子どもたちは、真剣に話し合う。
誰かのこと、にしているのではなく、自分のこととして話し合う時間は、誰も悪者にはならないし、被害者にもならない。
さて、朝食を取ったら、清掃と、そしてそして最後の実習、「 ミドルネーム 」 だ。
今回のグロースの日記をよましてもらいました。
自分達の年のグロースを思い出しました、5人とも本当にしっかりしていて、なに世話がやけることないいいやつばっかりで今年のグロースは何色になるのだろうと思って読ましてもらっていました。
大学やバイトなどで社会にでてから大学やバイト先の先輩などなど色々な人に出会う毎日ですが、今の歳になって感じたのが本気で関わろうとしてもある程度の距離を開けられて接される毎日です。それでも本気で関われている今までの大切な人や友達を大事にして、もっとそー思える人を増やしたいと思っております。
承認という意味と大切さが最近になってやっとわかってきたような気がして、人と関わる間で一番大事だと思う今日この頃です。
今年のグロースも楽しそうなグロースでしたね。
来年はぜひ参加したいです。
悩みは、人生につきもの。
私も、相変わらず日々悩んでおります。
でも、そのすべてが人生の旅に起きることで、毎日が幸せな人生は、その幸せを味わえなくなってしまう。
たけの人生は、これからが本番。今の悩みは、未来の宝物だよ。来年会いましょう。