実は、なぜインテグラを買ったのか? 実は思い出せなくて・・。書いている間に思い出すかもしれないので、とりあえず書き始めます。
インテグラは、クイント・インテグラと言っていた世代があったと思いますが(リトラヘッドライト)、その後の「カッコインテグラ」VTECのついたやつ、それから私の乗ったウーパールーパー・インテグラ(自分てそう呼んでた)になり、その後も続きましたが、ディスコンされています。
買ったのはこの色でしたが、写真は一枚も残っていないので、サイトから拝借しました。
仕事の話になりますが「カッコインテグラ」の外装PL(プロジェクトリーダー)を担当しました。
「カッコインテグラ」はとにかくスマートにカッよく作りたいとなり、3D,4D共に「サッシュレス・ドア」としました。
外装にはドアも入ってましたので担当になりました。また、大きくてしかも深曲げのテールゲート・ガラスにつくモールをガラスと一体成型する(MAW(Module Assy Window))という、中々チャレンジングなこともしました。
この、サッシュレス・ドアと+ MAWには苦労しました。いや、正確に言うと、実際に苦労したのは、サッシュレス担当設計者とガラスやドアシールなどのメーカーさんでした。今ではサッシュレスドアは、パワーウインドでドア開閉時にはガラスがチョット下がるようになっていて、閉じるとガラスが上にあがり、きっちりとロックされるような形でシールされるようになっています。
しかし、当時はこの技術がなく(マニアルウインドもあった)、ドアガラスの剛性だけでシールする構造だったのです。剛性あげるったって、元々サッシュレスでガラスを支えるサッシュがないわけですら、グラグラしますよこれは・・・。笑。
先に書いたようにこのクルマはVTECを最初に積んだクルマでもあり、開発チームとして相当気合の入ったモデルでした。
結果、私が言うのもですが、みんなで頑張って開発した結果、デザインも性能も非常に良い車が出来て、販売も好調でした。
このインテグラはメディア向け試乗会を箱根でやりました。
私も当然駆けつけます。そのころ、私は以前に紹介したビートルにのっていまして、開発拠点が宇都宮郊外でしたので、私も宇都宮に住んでいて、宇都宮から高速を走って行きました。
夏ではなく、確か4月か5月でしたが足柄サービスエリア手前から渋滞し「オーバーヒート」。まぁキャブレターで吹く前にガソリンが気化してしまう形でエンスト。
なんとか、路肩に停めて10〜15分くらい待つと、またエンジンはかかり、それでなんとか遅刻せずに試乗会場に入ることができました。
先輩の多い中で、決して遅刻は出来ないので、助かりました。
また会場では、真っ赤なローダウンなど改造しまくりのビートルでしたから、試乗会にこられるお客さんに見られるとマズイかな?と気をきかせて、目立たないとこに置いたのを覚えています。
買った、ウーパールーパー・インテグラは、社員の知り合いの息子さんが乗っておられたものを、譲っていただきました。
ウーパールーパー・インテグラが発売されたのは93年で、生存したのは95年までの二年間のみでした。つまり、評判が良くなかったのかな?
私は、変わっていて好きでしたが・・・。
私が買ったのは2001年くらいで、確か94年のモデルですから、7年オチという事になりますね。
MT車でしたので、よく走りました。
又何より、MGからの乗り換えでしたから、その乗り心地の良さや、エアコン、パワーウインドなど、改めて車の進化を感心したのを思い出します。
そうそう、買い換えた理由は、MGのデフがガツンガツン言い出したからだったかもしれません。走りに支障はなかったのですが。ホンネはMGに疲れていたのかもしれませんね。
このウーパールーパー・インテグラを買って、オーディオで当時流行りの「サブウーハー」のデカイのをつけたのを思い出しました。ドカンドカンというヤツです。
大学時代に、ロックバンドのベースを弾いていたので、大きい音には慣れていましたが、テールゲートのロックが壊れるのでは?というくらいの音圧でした。
・・・私も若かった。
若いころのロックのCDをガンガン聞いて通勤していました。
それで、一年位経った頃、つまり2002年くらいに、デルソルを買いませんか?
という話を唐突に言われ、しかも「ある理由があって」デルソルに買い換えたのです。
ここは、よく覚えています。
次回の13回は、いよいよ、CRX-デル・ソルになります。