今回は、クルマから少し離れて、今思うところを書いてみたいと思います。
ソニーの事をソニーOBにインタビューし「オレの愛したソニー」として日経ビジネスON LINEで記事になっている。興味深く読ませてもらいました。
その時々のソニーの中心になったOB達は、口をそろえて、当時は、近くに存在した創業者やその愛弟子と彼らの想いにも近く、ソニーと一体感をもって、様々な商品を「寝食を忘れて」みんなで産み出し、お客さんに喜んでもらい、それは成功となり、結果会社を大きくしたという。
ソニーOBの方々のやったことは、結果会社を発展させ、大きくすることにつながり、素晴らしい事だったと思う。
一方で、ソニーのOBの方々の話は、媒体の編集方針(世の中に発信したいこと)にそって、質問され発言させられ、さらにその方向でまとめられているのかもしれないとも想像してしまった。
世の中には「普遍的価値」と「万物流転価値」と相反する価値が存在する。
「普遍的価値」=時代が変わっても、変わらない価値観。
その企業の存在価値、コンセプトみたいなものから、何でその企業があるのか?世の中に何でお役にたてるのか?まで。
「万物流転価値」=何事も時代とともに変わっていくという価値観。
どちらも、人の生き方、姿勢など「人」に根ざしている。
(詳しくは、また今度・・・)
しかし、ソニーのOBの方々は、自分達の「良かった時代」に「普遍的価値」と「万物流転価値」などという、企業活動は勿論、人の生きて行く本質的な事を議論したり考えたりしたのだろうか?
単に、時代をリードする商品だけを創造していたのだろうか?
もっと言うと、「次はこれだ。この時代だ」と「万物流転価値」は追い求めたが、「普遍的価値」をソニーの体質に織り込まなかったのではないかと、考えてしまう。
こじつけっぽいが、世の中で「ソニータイマー」と言われるということは「品質が良くなかった」事を意味しており、
(事実、私はウォークマンの故障で泣かされ、三機種も次々と購入したが、とうとう最後は娘の言うことを聞いて、パナソニックにした。)
これはソニー製品を使う顧客の事を本気で考えていなかったのではないかと考えてしまう。
メーカーの普遍的価値の中で「品質」は基本的で大きな価値の一つだ。
これを企業内で、従業員の間で共有できていれば、商品は様々に変化しても「ソニーの本質」は守られ、お金だけで事業を切り分けたりでなく、それにそって事業推進できたように思う。
例えば、アイボなどは切られなかったと思う。
つまり、ソニーにおいては「普遍的価値」と「万物流転価値」という相反する両輪がうまく回っていなかったことが、ソニーを語る上で大切なことではないかと思ったのです。
また、ソニーを語る上で「万物流転価値」からみて、それは取り組む事業領域の変化も現象としては出てくるが、本質的には顧客の価値観がめぐるということです。
私は、今は「大量生産大量販売」の時代が終わり、同時に「大衆」の時代も終わり、「個」中心の「狭いが深い価値観」の時代に入ったと思っています。
今回の、小池都知事誕生の選挙運動を見てもそれがわかると思います。
増田さんは、旧態依然の「大量生産大量販売」の時代の選挙活動だった。つまり、都議会を牛耳っているドンを含め、自民党の推薦を受ける大きな支持基盤、つまり誰が見ても「大きな船」に乗った。
しかし、「大きな船」と思っていたそれは「泥舟」だった。
(昔話のカチカチ山の泥舟の話は怖かった記憶がある。笑)
顧客、つまり都民(国民)「個」の気持ちは、政治不信。
政治は所詮私達のわからない世界。
最低線の「法律を守っているから私は悪いことはしていない」と堂々と言う大きな船にのった政治家はズレている。
小池都知事が、こういう顧客ニーズを掴んでいたかどうかはわからないが・・・、
都民(国民)それぞれの既存政治に対する深い不信が背景にある中で、自民党にいじわるされたり、厚化粧と言われたり、都民(国民)にとってはそういう政治と政治家が嫌と感じていた中なので、「小池指示」派でなくとも「政治不信」派として、自然と小池都知事側についた。
さらに小池都知事は「ミドリ」で都民・顧客との一体感を増した。
少しでも、マーケティングに関わっている方々は、選挙結果を待つまでもなく、小池都知事の勝利を疑ってなかったと思う。
今の顧客は、大量生産大量販売の価値観に飽き飽きしている。
政治も、モノも、サービスも・・・「わかる、あなただけに・・これを・・」狭いが深い価値観がキー。
このように見てくると、世の中の「普遍的価値」と「万物流転価値」という相反する価値を、どう捉えて企業経営や様々なことに反映していくかは、非常に大切なことと思うのです。