繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

日本の交通事情〜日本の活力、デフレ脱却

2017-04-10 09:49:21 | 日記

交通事故の死者数が減っている。ピークの1/4らしい。

交通事故の死者が減っているのは様々な要因によると思うが、走っているクルマの量も減っていると思う。

感覚的には、東京でカンパチとかの幹線道路の渋滞がリーマン前のガソリン高で減って、少し持ち直した頃またリーマンショックで減って、それ以降そんなに増えていない気がする。

「イヤイヤ渋滞はすごい」とも言う人はいますが、80年代〜90年代と比べると確実に減っています。

 首都高速等が整備されたりして、交通の流れがスムーズになったということもあるとは思いますが、道路上のクルマの数が減ったような感じがするのです。

クルマの販売は減っていますが、保有は必ずしも減っていないので、道路を走れるクルマが減ったということではないようです。

ガレージにいる率が高くなっているのではと思います。つまりクルマの使用時間が減ったと。事実、ユーザーの年間走行距離は減っているはずです。

 

あと、交通違反や事故などに対する厳罰化があります。

クルマを運転するのはリスクが伴うようになりました。ドライブレコーダーが売れるのも、自分を防衛したいからで、またいざ装着すると「いわゆる安全運転」になって、スピードを抑えたり、発進も十分確認してから、勿論追い越しや車線変更もあまりしなくなったり、ブレーキは早めから・・・等など、慎重な運転になりがちです。

 

これは良い事なのですが、一方で意外と気持ちの緊張が減り、ふわぁ~っと運転してしまい、「注意散漫」につながる場合もあるのではと心配します。それで、衝突軽減ブレーキが役に立つのかな・・・と。

これらは全て良い事のようです、・・・。

 

しかし、なんだか引っかかるんですよね。

 

あまりクルマを走らせなくなって、事故も減って、走らないと環境にもよく、・・・と良いことだらけと思うのですが、何か右肩下がりの寂しい状況と、私のような昔の日本が元気な頃を知っている人間は、寂しく感じます。

 

日本は、欧米と比べて「クルマを走らす環境にない」と言うのはかねがねクルマ好きの私が叫んでいることです。

高速道路も100km/h、街中は信号だらけ、地方でもこんなトコに信号あるの?というとこまでついている、さらに狭い一車線・・・とにかく、「日本は狭い」く、その中を過大な量のクルマが保有されていて走る。

やっぱりクルマを気持ちよく使える社会じゃないのです。

そのせいか、教育のせいか、気持ちのせいか、日本人は運転が下手、運転テクニックがない、と思います。日常の運転でそんなもん要らないということかもしれませんが、「いざというとき」が現実おこりその時の対処が良ければ、事故を避けられることもあると思うのです。

しかし、そういう事故分析は日本ではありません。全て、「スピードの出し過ぎ」「前をよく見ていなかった」という、事故の本質とは離れた言葉で終わってしまいます。

 

そこで思うのですが、クルマが売れない、車離れ、などと言われてもう10年以上になりますが、この売れない状態、いやもっと売れなくても、それが日本の自動車環境からいうと、なるべくしてなる本来の姿かもしれません。

 

勿論「安全運転」は、良いのですが「スピードさえ出さなきゃ事故はおこらない」という、(まさにその通りですが、笑)、「クルマは走らない方がいい」くらいの勢いで世の中がその方向に動き、それに連れて、世の中の元気もなくなってきているような気がします。

歩く速度も、スマホを見ながらって人も増えたせいもあって、遅くなりました。

 

ゆっくりなんです、サッサと歩かない、なんだか活力がない。

クルマも歩行も同じように思えます。

 

先進国病?日本国病?と言えるかもしれません。

クルマが増えて、交通事故を減らそうと罰則強化や信号など、クルマをなるべく走らなくして・・・、目的通り走っているクルマは減ったけど、世の中の活力まで減らしてしまったような気がします。

 

かっこ悪かったり、辛い仕事は、やらなくなり人手不足になっています。

確かに、そういう仕事は誰でもやりたくありませんがね、これも日本国病?かもしれません。

 

日本に活力が戻らないと、日本国が生き生きとしないと、デフレからも脱却出来ないのでは?と。

しかし、日本人が向いている方向は、抑えつける方向とおもうのです。