外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南&北京=>故郷へ

北京五輪の翌年(2009年)からの外教(外国籍教師)生活と地元での留学生との触れ合いを綴っています。

初授業は3年生

2013年09月10日 | 日記
9月10日(火) 曇り

緊張の初授業、などという大げさなものではありませんが、この大学に着任して初めての
授業は3年生でした。
今日は教師節ということもあり、学生手作りのプレゼントを頂きました。
2009年に濰坊の学校で初めての授業も当時の1年生から濰坊名物の凧の飾りを頂きました。

宿舎から校舎へと向かう道でGWに模擬授業をした担当の先生と出会い、冗談ながら
「緊張しています」と話しましたら
「先生なら大丈夫ですよ。私も参考になりました。」と有難いお言葉を頂きました。
これも何かのご縁というのか、この先生は濰坊の学校の外事主任の日本語教師なのです。
彼がこの学校で日本語を第二外国語として勉強していた時の担当教諭だったそうで、
彼の事はよく覚えているそうです。

さて、今日のクラスは3年生2組あるうちの1組。2011年度入学組の為、1101という表記。
総勢28名。
開始前に少しばかり挨拶をして、いつものように私の日本語がどれくらい聞き取れるか
を日本語で質問しましたら
半分:男子学生若干名を除くほぼ全員が手を挙げました。
7割:2人もいたかどうか・・・
いきなりハードルを上げてしまったかと思い
6割にしましたら、ポツリポツリと4~5人ほどの手が挙がりました。

前の学校で実施した自己紹介カードによるアンケートを行ったところ、日本語を将来
仕事に活かしたいと考えているのは、その7割程度理解の数とほぼ一致していたので
あまりヒヤリングは重視していない学生が多いのかもしれません。
しかし、3年生になってもなお日本語能力試験未受験でなおかつ受験予定がない学生が
多いことに驚きました。
4年間ありますから、その間に2級を取っておけばいいのでしょうが、意識の低さを
感じてしまいましたね。
とは言いつつも、既に2年間在籍している学生たちですからある程度は予測済み。
ひたむきな子は自己努力ができる。そうでない学生は2年時から既に楽な方向に向かう。
1年間で大きな差が出来ている学年でもあります。

明日は午後から2年生の多読という授業。
やり方は任されているので、会話中心の授業に切り替えようと考えています。
まだ方向転換が可能な学年だと思いますのでね。
コメント
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