手作りの趣味を持つ「お絵描きやさん」

北海道産のパートナーNと暮らすワーキングババ
娘3人・孫ッチが3人、休みなし
品川生まれの品川育ちです

上野五條天神社の「うけらの神事」

2015年02月04日 | 日記

昨年から行きたかった「うけらの神事」!

上野の医薬祖神である五條天神社で行います。

蟇目式や朮(うけら)焚きなど初めて聞くものばかりで、興味津々なのです。

拝殿の中には裃をつけた年男・年女が背に神矢を差し、腰に福杓文字をつけて床几に腰掛けて

神事が始まるのを待っています。

福杓文字とは、昔話にある「かき混ぜるとお米が増える杓文字」のことでしょうか?

よもや宮中の「粥杖で尻を叩くと子宝に恵まれる」行事の名残ではないでしょうが・・・

平安時代から宮中で桃の弓と葦の矢で鬼払い役を行う「方相氏(ほうそうし)」が登場します。

金の4つの目を持ち、熊の毛皮をつけている方相氏は強面さん。

宮中の方相氏は紙で作られたお面を付けます。 

同じ京都の吉田神社の方相氏は五條天さんと同様に赤いお面ですが、頭は熊の毛皮ではなく白い長髪です。

そちらも見てみたいものです。

弓矢で3方向に向けて矢を放つふりをして、鬼は外」の呪文で鬼を退治し追い払います。

病鬼を祓う追儺式、鬼やらいとも言われました。

宮司が行う蟇目式(ひきめしき)。

蟇目鏑(ひきめかぶら)という神弓矢で鬼・病霊を祓う儀式を行います。

武具でもある鏑・魔を払う音の出る蟇目がついています。

赤青の鬼が鳥居から侵入ー!

子どもを泣かせたり大声をあげたりする悪い鬼たち。

方相氏が鬼を拝殿に入れないように頑張っています。

朮勝(うけら)を焚いて邪鬼を防ぎ、煙のたなびく方向によって吉凶を占います。

うけらはお屠蘇にも使われる薬草で、焚くと甘い香りが漂ってきます。

火を用いる行事のせいか消防署職員も数人いらしています。

斎主は氏子の年番総代で鬼たちと問答します。

鬼に自己紹介せよと迫り、赤い鬼は病鬼・青い鬼は悪鬼だと自己申告していました。

真面目だ。

古語で問答の末、鬼たちは過ちを悟り神前より退散して行きました。

五條天さんでは「福は内」とは唱えないのが特徴だそうです。

総代さんも他の皆さんも豆を撒く時はとても楽しそうです。

遠くまで投げてくださった方がいらして、私も赤いボールをゲットしました。

イイコトあるかも!

豆の他にもお菓子なども撒いていました。

おけら餅(うけら餅)を頂戴しました。

自宅用と実家と2つ。

中にはうけら餅(2切れ)とうけら(薬草)が入っています。

飛鳥時代から厄除けに用いられる花だそうで、根部分は胃腸薬になるようです。

うけらを焚いた煙で餅を炙り食べるのですが、なかなか柔らかくなりません。

(なので少し炙ってから夕食のお汁に入れていただきました)←邪道ですね、スミマセン。

それよりどうやってうけらを焚くのか・・・私はクッキングシートに包み灯油ストーブに乗せてみました。

ちなみにうけらを焚くのは漢方とは直接関係なく、中国の神仙思想に通ずるそうです。

今年は2月4日より旧暦の新年です。

新春よりまた無病息災で一年過ごせますように!

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Nの出身の北海道では豆まきは落花生で行うそうです。


北品川(きたしな)散策 利田神社(かがた)と鯨塚~大井町

2015年02月03日 | 日記

散歩がてらどこへ行こうかな? と考えた時に品川の先っちょに行ってみようと思いました。

北品川の駅を降りて、船宿が集まっている運河に向かって歩きます。 

目的地まで少しの間、雉猫に案内してもらいました。

キミはもうお家に帰るんだね。 ありがと。

船だまりになっている運河に出ました。

ココから右手に行く予定。 天気が良く、風が少ないので水面に風景が映っています。

看板の文字まで読めるほど! 

お天気が良くて嬉しいv(*´>ω<`*)v

大正14年9月に竣功した北品川橋。 

90年前は、ココから比較的近い芝浦でNHKラジオ放送がスタートした年です。

古いけれどしっかりした造り。

北品川橋の橋脚に塗料製造は日本ペイントだと記してあります。

その日本ペイントはこの橋の近くにある企業なのです。 ペンキ発祥でもある企業です。 

鯨を供養・祭祀するためにたてられた鯨塚。

日本において鯨は生きていくための重要な資源だったと思います。

だって、肉、皮、骨、歯、髭、内臓、鯨の完全利用をしていたのですから!

私個人は捕鯨賛成派です。(もちろん程々に捕鯨するのがお約束ですが) 

日本の食文化を「欧米の正義」という驕りで貶されて良いわけではないと考えるからです。

***

鯨塚に眠っているのは寛政10年に天王洲で動けなくなっていた鯨(体長16m・体高2m)。

漁師に捕まえられ、11代将軍家斉にも見せられ、その後頭の骨だけが埋められたそうです。

境内に鯨塚がある利田神社(かがたじんじゃ)で、目黒川と海の境目に創建されました。

品川にある東海寺の沢庵和尚が漁業者の守護神・弁財天を勧請したのが始まりだとも言われています。

品川にあるのに空が広く感じられ、境内全体が清々しい感じがします。

江戸時代において品川の海は釣り・船遊び・潮干狩りなどで賑わった観光地でもありました。

目黒川の旧河口に出来た猫のしっぽのような形の大きな洲ということで「須崎」と呼ばれ

「須崎の弁天様」という名前で、歌川広重の浮世絵にも描かれるほどの有名な場所・観光地になっていたそうです。

江戸型の狛犬さん。 たてがみが風になびき、仔犬を遊ばせています。

手水は明治7年に東京湾を航行していた郵便船の乗組員が奉納したそうです。

海に関係する弁財天をお祀りしている利田神社ならでは。

神紋も鱗と波の文様です。

須崎のまわりは1774年から3000坪ほど埋立てられました。(そのせいで須崎の形ではなくなりました)

その後、埋立地は南品川新開地と言われていましたが、名主の名前を用いて利田新地となったそうです。

昔ながらの町には野良猫たちの姿をよく見かけます。

猫たちにも優しい町はきっと人間にも優しい街ですね、きっと。

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以下は目的の利田神社からの帰路になります。(おまけとして)

浮世絵に描かれた東海道筋にも見られる波打ち際の護岸用の石垣がまだ残っています。

時間の流れを感じさせるような磨り減った石垣。

何の気なしに見ていれば通り過ぎてしまうほど。 石垣はそ知らぬ顔をして何を見てきたのだろうか?

焙烙灸が出来る一心寺は成田山の不動明王を信仰されています。

頭の上に素焼きのお皿をかぶった上に「もぐさ・みそ・どくだみ」をまとめたものに火をつけます。

祈祷法の一つでもあるそうで、昭和6年から行っているそうです。

新馬場駅に近づくと、慶応元年創業の丸屋履物店があります。

古い木造家屋で、店内は石畳。

チャキチャキしたちょっと無愛想なオジサンが自分の足にピッタリに鼻緒をすげてくれます。

北品川商店街も新しいお店やリフォームした店舗が多くなりました。 

海のすぐそばのこの地は鉄火巻きの発祥地でもあるそうです。

穴子飯の幟が掛けられています。 穴子じゃなくて、蝦蛄を甘辛く煮つけた品川めしが食べたいなぁ。

人力車が目立つ、品川宿交流館本陣お休み処。

品川の観光資料や駄菓子が置いてあり、季節になると海苔佃煮が並びます。 

大阪出身の女性が店長のたこ焼き「蛸地蔵」さん。 看板がユニークです。 

今度小上がりでたこ焼き寄り道したいな~。 きっとNは片手ビールでしょう。 

シャッターを下ろしていてもツマラナイ街にはなりたくない北品川商店街。

それぞれのお店の特徴を出したシャッターが多いです。 看板然り! 

目黒川にかかる品川橋の欄干には都鳥と言われたゆりかもめがデザインされた街灯があります。 

竹内医院さんは古い木造の美しい建物。 明治末期の建築だそうです。 

カラーリングもオシャレです。 

南品川2郵便局近く・文具くまがいさんの外壁に三菱鉛筆の古い看板があります。

銅製らしく緑青が得も言われぬ雰囲気~。 

三菱鉛筆は大正14年創業で、三菱財閥とは関係はないそうです。

だんご遠州家さんのとなりにある自販機+カバー。

お祭り大好きな品川宿のイメージそのままです! 

側溝の蓋。 中央に品川区のマーク・その上に「品川区」・下には「旧東海道」とあります。

海が近かったからかスリットが波模様になっています。 

東海道北品川交差点に出来た大きなマンホール・・・。 これなんだ?

Nの影と比べてもかなり大きい。 NANJYOとも書いてあるけれど、普通のマンホールじゃないですよね?

2014年夏のストリートビューにはこれはありませんでした。 

青物横丁駅から大井町駅へ歩きます。

途中細い路地の飲み屋街を歩く。 なんでもTVに出たというラーメン屋があるらしくNが興味を惹かれたから。 

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旧街道を歩いていたら土建屋さんのポスターを見つけました。 ついに土建業にも萌えキャラがっ! 

東京土建のポスターに登場したどけ~んカムカムちゃん。

一説によると実写のカムカムちゃんもいるそうな。

カムカムちゃんの頭には三角コーンやヘルメットなどが乗っかっています。(実写にはありません)


川崎大師

2015年02月02日 | 日記

毎年家族で初詣に川崎大師に行っています。 

多摩川を渡る時に晴れていると富士山が見えます。

ん! 今年はスッキリと見えています。 今年はきっとイイ年になるかな? 

自家用車でいらしている方も多いので駐車場に車を停めるのも一苦労です。

東京や千葉から(それ以上に遠い場所のナンバーも!)のクルマやバスが列をなして駐車場に入ります。

そこから京急の線路を渡り、参道に入ります。 

トントコ飴が出迎えてくれる参道の角を曲がり、山門まで真っ直ぐ進みます。

だるま屋や煎餅屋、くず餅屋がズラリと並んでいて

子どもたちが小さい頃は左右のお店をキョロキョロしては

「あれ欲しい」「これ見たい」と3人ともバラバラに言って来て困った事がありました。 

毎年来ていると一年ごとの成長が嬉しく思います。

参拝の時間がもう少し遅いと正面の参道を進むことは出来ず、1本奥の道に回されてしまいますが

最近は早めに来ているので往路も参道を通れます。

人の波を超えてやっと山門に到着しました。

門松や注連縄が他では見ないような形をしています。

ん? そういえば、お寺も年神様をお迎えするのかな? 

本堂から山門を見たところです。

ここも時間によって人の流れをプラカードや拡声器で制限したりされます。

境内の石畳が見えるのはこの時くらいです。 さすが3大厄除け・初詣スポットです。

常香炉ではお互いの体や顔、頭に煙をかけます。

インドでは香木を焚いた煙で身体の体臭を押さえたり虫除け、身を清めることをしていたそうですが

現代では常香炉の煙で自分の体の悪い箇所をさすると良くなるという信仰につながったそうです。 

本堂でお参りしている次女。 今年のお願いごとは何かな? 

お参りが済むと本堂の左側に出て、毎年恒例の露店巡りが3人娘の楽しみです。

たこ焼き・焼きそばを始め、りんご飴や牛串なども好きですね~。 未だに。 

いらっしゃ~い!美味しいですよ~!と葛餅屋の店前で呼び込みしているような狛犬君達。

くずもちサンデーもソソラれますよ。 

勿論我家もここで葛餅を購入しました。 毎年のお楽しみ☆

国道15号線を帰宅している途中、パトカーが赤い警棒を振っています。

その先には左側の車線をキープするようにコーンを立てている人がいます。 

おぉっ!駅伝の準備なのですね。

良かった~。

これが始まると渋滞にハマってしまうので、その前に通行出来て、ちょっと安心しました。 

旗立の方々はボランティアでしょうか? お疲れ様です。

義父が存命中は「毎年駅伝が近くを通ってイイね。見に行くんでしょ?」と毎年羨ましがられていました。

駅伝の応援をされている方々を見るたびに義父を思い出します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年も皆様にとって良い年になりますように。


上野・五條天さんはご利益120%!

2015年02月01日 | 日記

新年のある日、Nと長女と3人で上野へ行ってきました。 

春には桜見で賑わう場所はまだ蕾が小さく出来た位。

枝が空に映ると綺麗な紫色に見える時がありました。  想像したよりも濃い紫です。

上野駅アトレで長女が買ったパンダ焼き(大判焼き)。

アンコ入りとクリーム入りを1つずつ、3人で分けながら頂きました。

皮が柔らかいタイプなので冷めても美味しかった! (*^_^*)V  長女、ごちそうさま!

縁結びやパワースポットで有名な花園稲荷神社さん。

縁結びではお陰さまで!・・・の意味も込めてしっかりお参りさせて頂きました。 

花園稲荷さんの脇には穴稲荷神社は天海大僧正が寛永寺を創建する時に

狐が住み処を失ったことを可哀相に思って洞穴を作ってその上に祠を建てて祀ったものです。

手水の四隅を餓鬼が支えています。 頑張っているけれど寒そうです。 

***

同じ境内にある五條天神社へお詣りに行きます。

私は此方の神社さんがメインなのです。

 (古い御札やお守りを焼くための穴・清めの塩が撒かれている)

毎月10日にある「医薬祭」に実父の病気平癒のご祈祷を申し込みます。

去年も内視鏡手術の前にも五條天さんにお祈り&ご祈祷をしたお陰で

抗癌剤治療を受けなかった父ですが何とか一命をとりとめただけでなく

医師からは昨年の12月までの余命と言われていたにもかかわらず

(体力は落ちましたが)現在でも自分の足で歩き、買物を楽しみ、何でも食べたいと言っています。

父は神頼みだけでの回復ではないと思いますが、私個人は五條天さんのご加護が大きいと信じています。 

空気感も清々しいので場所的にも私に合っているような気がします。

本当はココで授与している鷽替が目当てだったのですが間に合わず手にすることは出来ませんでした。

そんな私ですが、今後も父ともどもよろしくお願いします!

上野の公園を抜けてアメ横をブラブラ~。

最近は中華やトルコ料理などの屋台風に食べさせるお店が多くなったように思います。

今までのアメ横のイメージからは違ってしまった気もしますが

ある意味、人が集まり活気があるということは良い事だと思います。 

Nは亥年生まれなので摩利支天さんのお守りを身につけています。

去年は京都でお守りを求めましたが、東京にも摩利支天さんがあると教えてあげました。 

その場所は御徒町の二木の菓子の真ん前。 

神社の境内が建物の2階部分にあるため、本殿の目の前にはアノ赤い看板がドドン!と見えます。

二木の菓子の左側には山手線が”ガタタン・ゴトトン”と乗客を運んでいきます。

東京らしい神社状況だなぁ、と感心したり何気に可哀相に思えたりします。

Nは今年のお守りを授与して頂き、京都の古いお札を収めさせて頂きました。

この都の花「サクラ」がデザインされているマンホールは上野公園で見つけました。

他のマンホールの写真をUPされているHPでも上野公園以外では見かけることはないそうです。

高圧とも併記されていて、高圧というのは交流600V~7000V以下、 直流750V~7000V以下。

もしかしたらそれぞれの都立か国立の公園ならではのマンホールがあるかもしれないなぁと思いました。