醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  558号  白井一道

2017-11-02 16:08:04 | 日記

 花みな枯れてあはれをこぼす草の種  芭蕉

句郎 「花みな枯れてあはれをこぼす草の種」。「古園」と前書きて、この句がある。貞享二年、芭蕉42歳。
華女 この句には、季語らしい季語か見当たらないわね。
句郎 そうだよね。でも句全体で初冬の感じが表現されているよね。
華女 そうね。句全体として季節感が表現されていれば俳句になるのね。
句郎 そういうことなのかもしれないな。
華女 この句は七七五の句ね。上五が七になっているわ。
句郎 上五が七になっている「花みな枯れて」という言葉に芭蕉の心入れがあるようにも感じるな。
華女 死と再生を詠んでいるのかしら。
句郎 花は枯れることによって再生するということを詠っていると私も思うね。
華女 句を詠むという行為は創造でなければ、句にならないわよね。芭蕉がこの句で発見したというか、創造したことは何だと句郎君は考えているの。
句郎 華女さんは何だと考えているの?
華女 それは中七の言葉にあると感じているのよ。それは「あはれ」という言葉に新しい意味を付与したのよ。ここに発見があるのよ。別の言葉で言えば創造なのよ。
句郎 普通、名詞としての「あはれ」とは、しみじみとした感慨とか、寂しさ、人情のようなものを意味すると古語辞典は説明しているけれどね。
華女 そう、そのような意味がこの句の「あはれ」にも確かにあるのよ。でもね、それだけじゃないのよ。寂しさ、悲しさだけじゃないよ。喜びとか、芽吹きへの期待のような意味がこの句の「あはれ」には付与されているのよ。ここに芭蕉が「あはれをこぼす」という言葉で表現したかったことなのよ。
句郎 そこにこの句の創造性があると華女さんは主張したいんだな。
華女 いままで誰も表現しなかったことを表現したのよ。「あはれをこぼす」という言葉を紡いでね。
句郎 そうなんだ。死と再生を詠んでいるということになるんだね。
華女 そうなんじゃないの。
句郎 「花みなかれ」るとは、花みな生き返るということを表現しようとしているということなんだな。
華女 そんな風に考えちゃうとこの句は理屈っぽい句になってしまうわね。そのように理屈っぽく読むのは良くないとは思っているのよ。
句郎 ではどんな風に読むの。
華女 花は皆枯れ果てるな。しかしやがて皆、緑が芽吹いてくれるんだなという深い感慨を詠んでいるのよ。
句郎 毎日、葉っぱが落ちて、掃除が大変だ。いい加減にしてくれないかな。あの欅の大木の落ち葉、どうかしてくれと、市役所に訴え、枝を切ってもらおうというようなことでは、このような句は詠めないということだな。
華女 そうよ。枯れた草に雨が降るとぐちゃぐちゃして汚い。どうにかしてほしい。こんな気持ちじゃだめよ。年老いていくものは汚くなっていくのよ。若者のような美しさは無くなっていくのよ。自動車の運転の邪魔になったりするのよ。でもね。老いた人を見て、その人の後ろには多くの若者がいることを見なくちゃね。