酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 芭蕉
句郎 「酒のめばいとど寝られぬ夜の雪」。『閑居の箴』として「あら物ぐさの翁や。日ごろは人の訪ひ来るもうるさく、人にもまみえじ、人をも招ねかじと、あまたたび心に誓ふなれど、月の夜、雪の朝のみ、友の慕はるるもわりなしや。物をも言はず、ひとり酒のみて、心に問ひ心に語る。庵の戸おしあけて、雪をながめ、または盃をとりて、筆を染め筆を捨つ。あら物ぐるほしの翁や」と感慨を述べ、この句を詠んでいる。貞享3年、芭蕉43歳の時の句。
華女 芭蕉は孤独を愛し、孤独の辛さを味わった人だったのね。
句郎 人は誰でも一人でいたいと思うと同時に誰かと語り合いたい、誰かと一緒にいたいと思う時があるんじゃないのかな。
華女 女にとって結婚とは、そういうものなんじゃないの。一人じゃ淋しい。人肌の温もりが冬になると欲しくなるのよ。しんしん降る雪の夜、人肌が欲しかったんじゃないのかしら。
句郎 寒いからね。温かくなりたいと痛切に思ったんだろうね。酒飲めばいつもだったら眠くなるはずが目が冴えてならない。そんな一人の夜にはあるんだろうね。
華女 婚期を逸した女にはそんな夜があるのよ。一人降る雪の街を歩き、とある初めて入る居酒屋で隣り合った男と酒を飲む。熱燗と男との会話に癒されることがあるのよ。
句郎 芭蕉は独りに耐え、物思いに浸ったんだろうね。
華女 芭蕉は孤独に耐えられる強い男だったのよ。女はそんな男に魅力を感じるものなのよ。
句郎 芭蕉は家族のある生活への憧れがあったんだろうね。
華女 そりゃそうでしょ。誰だったそうだと思うわ。女の幸せというものは、愛してくれる男と結婚し、子供を産み、子供を愛して育てる普通の生活が幸せなのよ。男だってそうなんじゃないの。
句郎 平凡で普通であるということが一番幸せなのかもしれないよ。
華女 そうなのよ。その平凡で普通であるということが簡単そうに見えて難しいのよね。
句郎 今の自分の生活が平凡で普通であると今が幸せなんだと言うことが自覚されないからね。
華女 確かに、そうよね。この間、ギックリ腰になったのよ。急いで靴を履こうとしたら腰がぎっくりしちゃったのよ。腰が動かなくなり、立ち往生しちゃったのよ。その時よ、つくづく思ったわ。何でもなく靴が履けるってことが幸せなんだって。
句郎 普通に歩ける。物が見える。聞こえる。文字が読める。これらのことが難しくなると普通だと思っていたことが大変なことなんだと思うんだよね。
華女 眼鏡をかけなきゃ、文字が読みづらい。不便なのよね。
句郎 老いということは、幸せとはどんなものなのかを知っていくことなのかもしれないな。
華女 芭蕉のこの句にはまだ若さがあるわね。人恋しいという気持ちに若さがあるわ。
句郎 そうだよね。若いね。若さの苦しみが詠まれているね。
華女 若いから苦しみがあるんだよね。酒を飲んでも目が冴えたりするんだよね。若々しさかな。