醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより 575号 「牡蠣(かき)よりは海苔をば老の売りもせで」 白井一道

2017-11-19 15:44:40 | 日記

 牡蠣(かき)よりは海苔をば老の売りもせで  芭蕉

句郎 「牡蠣(かき)よりは海苔をば老の売りもせで」。「老慵(ろうよう)」と前詞を置き、この句を詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳の時の句。
華女 「老慵(ろうよう)」とは、どのような意味なのかしら。
句郎 物憂そうな老人のことだと思う。
華女 芭蕉は自分自身のことを言っているのかしら。
句郎 物憂そうな老人を見た芭蕉はその老人に自分を発見したんじゃないのかな。
華女 芭蕉のこの句は読んですっと入って来る句じゃないわね。
句郎 何を言っているのか、分からないよね。
華女 芭蕉は牡蠣(かき)売りの行商をしている老人を見たのよね。
句郎 そう、その老人は商売っ気がなく、物憂そうによろよろしていたのかもしれない。
華女 だったら牡蛎のような重い貝ではなく、軽い海苔でもうりゃいいのにと芭蕉は思ったわけなのね。
句郎 そうなんだろうね。海苔でも売ればそんなに物憂そうによたよたしなくても済むじゃないか。
華女 さっさと海苔売りになればいいのに、海苔売りをしないで重そうな牡蛎などを売り歩いているからそんなに物憂そうによたよたしているだよと憐れんだということなのかしら。
句郎 そういうことなのかもしれないな。
華女 牡蛎売りの老人にはそれなりの理由があって、老骨に鞭打って行商しているわけよね。
句郎 嫌でもしなければ、生きていけない事情が誰にもある。芭蕉も又俳諧師として俳諧の添削に嫌気がさしてもせざるを得ない。それが生活だ。
華女 老いて生きる苦しみのようなものをこの句は表現しているのかしらね。
句郎 もしかしたらそうなのかもしれない。俳諧師として生きる自分自身を憐れみ、牡蛎売りの老人に対する共感を詠んでいるのかもしれない。
華女 重い牡蛎を入れた駕籠を天秤棒に吊るし、肩にかついで振り売りなど老いてまで誰がするものか、せざる得ない老人への哀惜を詠っているのね。
句郎 この句は本歌取りの句のようなんだ。『去来抄』に「去来曰く、古事古歌を取るには、本歌を一段すり上げて作すべし、喩へば、『蛤よりは石花(かき)を売れかし』といふ西行の歌を取りて、『かきよりは海苔をば老の売りはせで』と先師の作あり。本歌は、同じ生物を売るともかきを売れ、石花は看経(かんきん)の二字に叶ふといふを、先師は生物を売らんより海苔を売れ、海苔は法(のり)にかなふと、一段すりあげて作り給ふなり。『老』の字力あり」とね。
華女 西行の歌はどんな歌のかしら。
句郎 「おなじくは牡蛎をぞ刺して乾(ほ)しもすべき蛤よりは名もたよりあり」。同じ干した物ならハマグリを干したものより牡蛎を干したものの方が良さそうだと、いう歌なのかな。この西行の歌を一段摺り上げて芭蕉は「牡蠣(かき)よりは海苔をば老の売りもせで」と句を詠んだ。このように芭蕉の門弟去来はこのように芭蕉の句を理解したということなんじゅないかと思うんだ。単に良さそうだ、旨そうだという歌に人間の生きる哀歓の句を芭蕉は詠んだ。