瓜作る君があれなと夕涼み また「涼し」を詠んだ芭蕉の句
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』には貞享四年に詠まれた句として「酔て寝むなでしこ咲ける石の上」の次に掲載されている句が「瓜作る君があれなと夕涼み」である。
華女 「君があれなと」とは、どんな意味なのかしら。
句郎 「住みける人外に隠れて、葎生ひ繁る古跡を訪ひて」と前詞があるから、君がいてくれたらなぁーという意味なんじゃないのかな。
華女 夏の夕べ、芭蕉は瓜を作る友人の家を訪ねたら夏草が生い茂り、誰もいなかった。やむを得ず、独りで夕涼みしたという句なのね。
句郎 夏草を眺め、友人を偲ぶ夕涼みを詠んでいる。
華女 深川あたりの家を訪ねたのかしらね。
句郎 訪ねた家は農家じゃないと思うんだけどね。
華女 貞享四年というと翌年が元禄元年よね。江戸時代が全盛期を迎えようとしている頃よね。
句郎 そんな時代にあっても江戸の下層庶民の生活は厳しいものだったのかもしれないな。
華女 一か所に定住することが難しかったということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。そんな世相をこの句は表現しているかもしれないと想像しているんだけどね。
華女 家庭菜園で瓜を作っていた友人の家を訪ねた無常観を詠んでいるともいえるのね。
句郎 「涼し」を詠んだ芭蕉の句の中で気に入っている句は「命なりわづかの笠の下涼み」。佐夜の中山で詠んだ句かな。うまいなぁーと思った。真夏の行脚の経験者には分かってもらえる句だと思う。
華女 延宝四年一六七六年芭蕉三三歳の時の句のようね。
句郎 餞別吟「忘れずば小夜の中山にて涼め」という句がある。
華女 貞享元年の句ね。
句郎 「川風や薄柿着たる夕涼み」京都四条河原で詠んだ句がある。現代の俳人が詠んでもちっとも古びていない句がある。
華女 「絽(ろ)」とか「紗(しゃ)」の単衣の着物を着た女性が見えてくるような句よね。この句は元禄三年の句ね。
句郎 「唐破風の入日や薄き夕涼み」。この句はどうかな。
華女 今日と大寺院の屋根に射す日が柔らかににる夕暮れが見えて来るわ。
句郎 元禄五年の句かな。芭蕉四九才。芭蕉の生活の豊かさのようなものを感じるね。
華女 実際、『おくのほそ道』の旅を終えて生活は良くなっていたんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉晩年元禄七年五一歳の時には「皿鉢もほのかに闇の宵涼み」と詠んでいる。豪華な宴の後の寂莫感が表現されているよね。
華女 芭蕉の晩年は豊だったのね。終わりよければすべてよし。そのような人生を芭蕉は歩んだのよね。そのことをこの句は表現しているように思うわ。そうでしょう。
句郎 『芭蕉俳句集』には、年次不詳の句として「楽しさや青田に涼む水の音」の句が掲載されている。明るい句でしょ。夢見る芭蕉の句かな。
華女 そうよ。死を間近にした芭蕉は夢を見ているのよ。小川の流れる水の音が聞こえるのよ。涼しい風に身が包まれているのよ。私は青田に涼んでいるような人生だったと。