西東あはれも同じ秋の風 芭蕉
「西東あはれも同じ秋の風」。貞享三年、芭蕉43歳。この句は最も有名な芭蕉の句である。
「しぐるるや駅に西口東口」。安住敦の句が思い出される。「にしひがし」この語順がいい。「ひがしにし」じゃ、調子が悪い。音読みの場合は「東西(とうざい)がいいように感じる。訓読みは「にしひがし」がいい。不思議だ。芭蕉の句より安住敦の句の方が思いが読者に伝わるように思う。
芭蕉の句もこの句を詠んだ時の状況が分かると違ってくる。貞享3年8月、門人の去来は妹千子(ちね)と旅した伊勢路で詠んだ句と文章を載せた『伊勢紀行』を出した。この去来の『伊勢紀行』の跋文と共に芭蕉が贈った句が「東にしあわれさひとつ秋の風」であった。去来は『伊勢紀行』の中で「白川や屋根に石置く秋の風」と詠んでいる。芭蕉は去来の句を褒め、旅の旅情、あはれはひとつだと詠んだ。この句を後に芭蕉は推敲し、「西東あはれも同じ秋の風」として『芭蕉句選』に載せた。
芭蕉は推敲する人だった。努力する人だった。それでも安住敦の「しぐるるや駅に西口東口」には及ばない。それは「西東」という上五が何を表現しているのかが不明だからじゃないのか。
新宿歌舞伎町に吹く秋の風には哀れがある。風俗に働く若い女性たちには家に帰って誰かが温かく迎えてくれる人がいるのだろうか。居酒屋放浪記というテレビ番組に出演している吉田類さんの句に秋雨をじっと睨んでいる風俗で働く女を詠んだ句があった。
大阪道頓堀の風俗で働く女性たちに吹く秋の風にも哀れがある。新宿の風俗に働く男たちは大阪の風俗に働く男たちに比べて甘さがある。大阪の風俗に働く男たちは新宿に比べてえげつない。とことん客から絞りぬく。そんな感じを受ける。勿論女性たちも関東に比べたら大阪の方が厳しいような感じがする。
関西には古い文化がある。大阪は商人の街としての伝統がある。大阪商人(あきんど)という言葉がある。この言葉にはえげつないという意味があるような感じがする。人を信じない。金しか信じないというような人柄が大阪という商人の街にはあるような感じがする。
商業という営みは人間を哀れな存在にするような働きがあるのかもしれない。
古典古代の時代、地中海周辺地域には商業の民、ギリシア人とフェニキア人がいた。彼らは植民市を地中海周辺地域に建設した。特にフェニキア人はえげつない商取引をして強大な都市国家を建設したという話がある。強大な都市国家カルタゴがローマに敗れ、廃墟となった。ここに無常がある。哀れがある。
芭蕉の時代も無常の中に生きる哀れがあった。同じように今でもシャッター街に吹く秋風に哀れがあるように思う。ここには無常の秋風が吹いている。年々通りを行きかう人々が少なくなり、少しづつ通る自動車の数が減り、騒音が無くなっていく。若者がいない。通りを歩く人は皆、老人ばかり。それが今から三〇年前、通りを歩く者は皆、若者ばかりだった。自動車の騒音がうるさかった。それが嘘のような街になった。我が住む町にも無常があり、哀れがある。
無常と哀れ、『方丈記』、『徒然草』に表現されている。これが日本の美意識になっている。その美意識を芭蕉は継承し俳諧という新しい文芸を創造した。